適塾
2011年12月06日 | 雑
幕末激動期の1838年に蘭学者・緒方洪庵が、大阪(大坂)で「適塾」を開いた。現在の大阪大学は、その流れをくんで発展し、次々合併を重ね、1番近い統合が大阪外大である。私の母校は“吸収”され、名前が消えた。微妙な心境だが、歴史を遡れば“洪庵塾”に行きつく。元々は蘭学・西洋学を学んだ場所。こじつければ外大の色合いも濃い。
図書館で借りた『緒方洪庵-幕末の医と教え』(思文閣出版・中田雅博著)を読んだ。25年間続いた適塾には住み込みや通いの若者たちが猛烈に勉強した。塾生は計1000人を下らず、1説には3000人とも。第10代塾頭(原書を会読する時の長)が福沢諭吉である。諭吉は幼少時に父を亡くし、洪庵と諭吉は互いに実の父子のような意識を持っていたらしい。
むろん諭吉は洪庵を尊敬。翻訳についも「緻密で放胆、蘭学界の一大家」と最大級の論評を残している。洪庵は愛妻家というか、子宝に恵まれた。12歳下の妻・八重との間には7男6女がいた。うち4人は幼逝しているが、自分の子と塾生の面倒をみるのは想像しただけでも大変だ。相撲部屋のおかみさんの役目もこなした“偉い人”だった。
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