峠を越えてもまだ先がある

谷 和也 シニアの挑戦 ゆっくりマイペースで

新世界

2013年04月18日 | 日常と健康

 本来の目の水晶体とは異なる素材の、眼内レンズが両目に入っている。そのレンズと合うよう、伊丹市の眼鏡店で新たにメガネを調整してもらった。メガネを新調したのである。考えてみれば“不思議”だ。レンズ2つを通してモノを見ているかっこう。実際には両目だからレンズの個数は全部で4つ。そして、近くを見る場合だけは、メガネを外す。

 新しいメガネをかけて見る世界は、とても明るく、新鮮な「動く映像」が広がっていた。くっきり見えるので、まるで精密な機械仕掛けのような光景のように錯覚するほど。これまでは、いかに“ぼんやり”としか見えていなかったということなのだ。モノが見え始めた乳児たちの目に映る世界は、ひょっとしたらこういう感じだったのか。


 だんだん慣れてくると、新鮮さは薄らぐ。感動もなくなってくる。だが、今のところは「よく見えるようになった」と、しばしば感じる。まだ、週1回程度、眼科医に通い、チェックを受けている。自宅で両目に点眼薬を日に4回さす。つい、うっかりして忘れることもあるけれど、目薬を使っている間は少なくとも「目を大事にする意識」は持ち続けているのではないか。

 《白内障の手術をするということは、体の部品が傷んできた証拠である。インドネシア語で白内障をどういうか。インドネシアから来日中の人に尋ねたら「katarak」という返事。医学用語であり、英語の「cataract」から来ている》

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予後

2013年04月12日 | 日常と健康

 両目の白内障手術が終わった。左目についで2週間後に右目。手順は同じ。眼帯は一夜で外れ、あとは抗生物質の薬を3日間飲み、目薬を1日4回さす。炎症を抑えたり、感染病を防いだり、細菌を殺す効果のある薬などの点眼薬だ。順に「ブナロック」「リンデロン」「ガチフロ」と名がついており、5分間隔で目に入れる。間違わないように容器のキャップをそれぞれ青、黄、ピンクに変えてくれている。

 術後の視力が安定するには約3か月かかるという。早く眼帯がとれた割には、期間が長い。25㌢~30㌢の文字は新聞でも書類でも両目の裸眼で今、実に「明るく」「くっきり」見える。水晶体の中の白濁を取り除いて、代わりに入れた(移植した)人工レンズがちょうどそんな焦点距離になっており、それより遠くを見るにはメガネで調整することになるのだ。

 それにしても、目の手術も進歩している。第一、麻酔が点眼で出来る。痛みを感じないで、手術がすぐにすむのは素晴らしい。人工レンズ(直径約0.6㌢)にはバネというか羽根のようなものが2か所についていて、白濁を抜いた水晶体の袋の中に固定する仕組みになっているという。日本では年間120万件の白内障手術が行われているそうである(週刊文春4月11日号)。

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2分の1

2013年04月04日 | 日常と健康

  目の白内障手術の途中である。まず左目だけをすませた。残りの右目は来週4月11日に受ける。今は左右の視力が大きく異なるちぐはぐの状態で、以前に使っていたメガネをかけている。メガネは目を“防御”する役目もあるのだ。「はめていて支障はない」と医師がいう。両目が終わってから、度数を調整して新しいメガネにすることにしている。

 まだ「2分の1」の“開眼”だが、初めて眼帯を外した時は、《周囲が一気に明るくなった》。随分、「暗い世界」で過ごしていたものだ。驚き、はしゃぎだしたくなるような、浮きうきした気分。世界が鮮明に見える。テレビがアナログからデジタルに切り替わったさいに見た“感動”に似ていた。半分でこれだから、両目だと「倍の見え方」か(?)


 検査をしたら、左目のメガネをかけた矯正視力は「0.2」から「0.9」にまでアップしていた。ただ、焦点距離が自動では調整できない、人工レンズを水晶体(の袋の中)に固定させている。少し遠くを見るには、メガネの力を借りなくてはならない。私の場合、ここまでは「成功」。ラッキーなケースだが、中には「あまり効果がない」と言う人もいる。

 

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「順調」

2013年03月29日 | 日常と健康

  3月28日午後、左目の白内障手術をした。自宅に近い眼科医。医師は院長1人で検査をする看護師、事務員らが6~7人。手術室は椅子に座ると、後ろに倒れてベッドになる。理髪店の椅子に似ていた。薄いビニールで作ったような患者衣を着せられて、手術が始まるとあとは“マナ板のコイ”。事前に説明を受けていた通り15分ほどだった。

  木曜日が手術日と決まっている。一般の治療はなく、数人ずつ集中して施術となる。患者は高齢者計6人。私は4番目となった。年齢の高い順にしたそうだ。「同病相憐れむ」ではないが、共通の手術を受けるので、何となく心情が分かり合えるよう。手術は短くてすむ。だから、待つのもそう苦にならない。どこでも同じようなやり方なのだろうか。

  水晶体のにごりを吸出し人工のレンズを入れるのだ。部分麻酔をするため痛みは感じない。「順調ですよ」。手術の後半に語りかけてくれた。患者に不安がらせない配慮だろう。午後5時すぎ、院長から様子伺いの電話。特に痛みもない。次の日の朝、チェックを受け、早々と眼帯を外してもらう。点眼は続けている。右目の手術は4月11日。順調である。

 

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今頃になって

2013年03月08日 | 日常と健康

 「カネはないけど、ヒマはある」。年を重ねた高齢の人の間で、よく聞くセリフある。2年前に古希を過ぎた。少し前までは、私もヒマを感じることがあったのに、今はそうでもない。カネがないのは従来通りだが、一般でいう「ヒマ」もまた、あまりないようなのだ。どうしてか。1つは、本のせい。もうひとつは外国映画を見るのに忙しいのである。

  本はインドネシア語と韓国語の関連。今頃になってインドネシア語を再び本気でやるというのも、実は“ヒマだから”こそ? わざと忙しくしているのかもしれない。後輩から大学で学んだテキストが送られたのを機に、辞書を片手にその「文学書」の翻訳をノートに書き続けているのだ。日本の古典を読み直すより、ずっと“新鮮味”がある。

 インドネシア語に関しては、You Tubeを探すと、現地で話題になったヒット映画を見ることができるとわかった。意外や意外である。法的な問題は別にして、とてもありがたい。全部を聞き取れなくとも、映像なので筋は理解できるのだ。韓国語の方は、まだ言葉の勉強の段階。テレビドラマの字幕付きで、字幕と対照しながら語彙を増やしている。それにしても、教材がパソコンとテレビ。時代は変わった、とつくづく思う。

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パーティー

2013年01月28日 | 日常と健康

 日曜日の夕方、予約していた梅田・Hepナビオにあるステーキハウスへ。娘家族の孫たち3人が今春高校・中学・幼稚園に進む。その入学入園祝いの晩餐パーティーである。総勢7人。席が特別テーブル室の“貸し切り”状態になっていたのは、ラッキーだった。シェフが目の前で焼いてくれるのを、次々いただく。みんな大満足。ご馳走さんでした!

 ステーキは、ハワイ旅行のさいホテルで、一緒に食べて以来。その時、末の孫娘はまだ誕生していなかった。随分久しぶりになり、今回、末娘も一人前のメニューで付き合えるのだから、成長したものだ。年月の過ぎるのは早い。シェフが料理中アルコールに火をつけ、炎が上がるシーンはあったが、どうせなら派手なパフォーマンスがあれば…。

 そんな演出が加わると、いつまでも記憶に残る。中学から京都の私立校に入り、高校・大学に“エスカレーター式”で進む。親の金銭的負担も大変だが、子供の側も中学を選ぶ意識をし始めた時から厳しい受験勉強を積み重ね、たいへんだった。この試練はいつまでも忘れないだろう。次のステーキ食事会まで、こちらがくたばるわけにはいかない。

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雨ニモマケズ

2013年01月18日 | 日常と健康

 寒いけれど、北の東京などに比べ大阪はまだましな方だろう。ジム帰り。久しぶりにメキシコ出身の知人と近くのコンビニでばったり。40歳すぎのがっちりした体格の男だ。声をかけた。相手は日本語ペラペラなのだが、スペイン語で。「Hace frio!」。寒いね、という挨拶を返してくれた。が、こちらは“言語回路”が通じるまで少し時間がかかる。

 気温・気候のせいではない。長いことその国の言葉にふれていないと、頭の中で固く凍ってしまい、なかなか溶け出してこない。しばらく立ち話をしていると、次第に思い出してくる。ま、こんな程度である。夜、たまたまNHKテレビのスペイン語講座を見た。それほど難しいとは感じない。でも、とっさの場合に、口をついて出ないとダメなのだ。

 インドネシア語は月に2回、会話教室に通っている。予習も復習もないから、気が楽だ。趣味のようなかたちで、相変わらず“しぶとく”続けている。それでも、やらないよりはましなはず。ジムに通うのも、今は生活の一部として半ば習慣に。週4日か5日でも、通えている間は“健康維持につながる”。寒いけど、そう思うように努めている。

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即決

2013年01月15日 | 日常と健康

 眼科医に出かけ、目を精密検査してもらった。「白内障」だといわれる。薄々感じてはいたが、“やっぱり”である。要は、眼球が濁っていて、水晶体を通して網膜上に結んだ像が、ぼやけているのだ。脳にくっきりとした像として伝わらない。だから、濁りを取ればよく見える。超電波を使い片方ずつ日を置いて手術し、各10分程度で済むそうだ。

 歯や目の病気になる高齢者は多い。年を取ると仕方がない。歯科に次いでとうとう眼科も“患者”の仲間入り。受付ロビーの隣に、視力など調べる機器が並んだ部屋、別の精密検査室、医師に診てもらう診療室にも機器が備えられている。名前を呼ばれ、次々と検査移動。瞳孔を広げる点眼薬を入れる。「ボヤけますよ」の言葉通りだった。

 左0.2、右0.3。メガネをかけての視力である。レンズを換えてもこれ以上あがらない。瞳孔を広げ、外からみた検査撮影では網膜部分の映像はぼやけている。「白内障」はかなり進行しているという。網膜には異常がなさそうだが、濁りを取らないとはっきりしない。手術日を決めた。3月28日(左目)と4月11日(右目)。その前に検査と説明が1日ずつある。

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視力

2013年01月09日 | 日常と健康

 視力が落ちた! それは承知しているが、とにかく“えらいこと”になっていた。メガネ屋でショックな宣告である。「4ランク度数を上げているんですよ。今のレンズと見え方がそう変わらないのでは、眼の病気かもしれません。医者に診てもらっては…」。レンズ更新を求めても調整のしようがないという。結局、新しいメガネは買えずじまいだった。

 かけ始めは中学時代。黒板の字が見えづらいかったためで、以来“メガネ人生”は、もう60年近くになる。度数は徐々にアップ。今、メガネをかけて2、3㍍先なら「くっきり」見えるが、5㍍ほど離れると「ぼやけ」る。教室(インドネシア語会話レッスン)のホワイトボードの字が読み取れない。教室用にと、予備のメガネを買おうとしたのだ。

 メガネの値段は随分安くなった。業界の競争が激しい。喜ばしいことと歓迎している人も多いはず。だけど、今回のように「買おうとしても、売ってくれないこともある」。きっとレアケースだろう。幸い、メガネのピント合いにくいが、日常生活に困るほどでもない。長く眼を酷使してきたから、どこか傷んでもおかしくない。来週、眼科医で診てもらう予約をした。

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成長と衰え

2013年01月03日 | 日常と健康

 年明け。例年とそう変わらない元日だった。ただ、今年は、暗いうちの寺社参りは控えた。2日の兄弟親戚が集まる会合には出席。新年会である。1年ぶりに会う孫らは成長していて、次々と背が追い抜かれていく。高齢者たちは大きく変わっていない。私だけが目立って年老いていたか。足が弱っていない振りをしても、無理。バレバレであった。

 昨年中に海外旅行へ出かけた土産話が披露された。恒例のイタリアのほかフランス組もいて、それぞれ年賀状で写真を載せている。平均的日本人の“縮図”のようだ。ギリシャに出かけた弟夫婦は、日希協会の会長と副会長としてアテネクラシックマラソン(11月11日)の男女優勝者にレース後、トロフィーを提供した。今回は「奈良一刀彫の兜」だった。


 現地のギリシャ語の新聞には、大会前からその紹介記事が出ていた。「Ο ήλιος  ανατέλλει από  τον  Μαραθώνα」という見出し。ギリシャ語の辞書だけは副会長から頂いていたが、習ったわけで もない。「マラソンを通した友好 陽出ずる国(日本)のひまわり」という。正しいかどうかは自信がない。紹介記事は何となく好意的。褒め称えていた。これも、感じである。

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