峠を越えてもまだ先がある

谷 和也 シニアの挑戦 ゆっくりマイペースで

鳩ぽっぽ

2007年04月22日 | 
 池田市の五月山公園のちびっこ広場に、童謡「鳩ぽっぽ」の歌碑が建っている。作詞・東くめ、作曲・滝廉太郎。歌詞の上部に白いコンクリート造形があり、飛んでいるハトが2羽。中央の“球”はマメを表している。場所は公園の名物・長いスロープの滑り台の右側。意識して見れば目立つのだが、子供たちを遊ばすのに気をとられるのか、けっこう大きいのに保護者らも意外に気づかない。公園に“溶け込んで”しまっているのかもしれない。

 ♪鳩ぽっぽ はとぽっぽ ぽっぽぽっぽと飛んでこい
 お寺のやねから おりてこい まめをやるから 皆たべよ
 たべても すぐにかえらずに ぽっぽぽっぽと ないて遊べ

 この「鳩ぽっぽ」と混同されやすい文部省唱歌に「鳩」がある。「鳩」の歌詞は
 「♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ 豆がほしいか そらやるぞ
  みんなで仲よく 食べに来い」
 どちらも作曲は滝廉太郎。「鳩ぽっぽ」は東くめの作詞がはっきりしているのに対し、「鳩」の作詞は不明とされている。歌詞の中身はそっくり。東くめ作詞の第2バージョンのようだが。

 滝廉太郎は東くめとは東京音楽学校(現・東京芸大)の2年後輩。東くめは明治10年に和歌山・新宮市で生まれ、東京で学校を卒業後、22歳で同郷の東基吉(高校教員)と結婚している。夫の勧めで、日本で初めての口語体による童謡をつくることになり、滝廉太郎とコンビでチャレンジ。そして明治33年に口語体童謡の「鳩ぽっぽ」が誕生した。“ぽっぽ”のような鳴き声擬音を取り入れたのも初めて。

 その後もコンビで歌をつくって、翌明治34年にいくつか発表した。おなじみの「お正月」(♪もういくつねると お正月…)の歌もそのひとつ。滝廉太郎は2年後、24歳の若さで世を去った。

 東くめは大正6年に、夫が池田師範学校(現・大阪教育大学)に校長として勤めたのをきっかけに転居して、91歳で亡くなるまで池田市室町に住んでいた。池田では児童の歌唱指導に取り組んだ。晩年、テレビ出演などで改めて全国的にクローズアップされ、昭和37年に池田市は初の市文化功労者として表彰。翌38年5月5日の「子どもの日」に地元有志が歌碑を建立(デザインは沢村徹氏)した。

 歌碑は相前後して、生まれた新宮市(JR新宮駅近く)や東京・浅草寺などゆかりの地にも建てられている。

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