出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

新刊

2011年09月02日 | 発売前
今週、大嫌いな見本出しに行ってきた。嫌いな理由は、もともとは「売り込なければならないという緊張と、馴染みのない仕入担当者に冷たくされるのが嫌だ」などであったが、今となっては「嫌なものは嫌」としか言いようがない。行ってみればどうってことないんだが、行くまでが嫌でたまらず、血圧も上がる。

今回はその話ではない。唯一の馴染みの担当者(以前の担当者、ようするにチョコボール)と会話ができて嬉しかったんだが、彼に「新刊、出してます~?」と尋ねられたのである。当たり前じゃないか、何のためにこんなところへ…と一瞬思ったんだが、午後だったので、考えてみたら他の用事で訪問していたと思われてもおかしくはない。

ちなみに午後の見本出しは、今回初トライであった。取引を開始したときに「午前中に持ってこい」と言われていて、ずっとそうしていたんだが、「委託配本しないとき(注文対応のみ)は午後でもよい」ことは知っていた。最近になってようやく、午前か午後かの違いが委託の有無であるはずはなく新刊搬入日との関係だろうと気づいたのである。昔の話だが、オンライン書店で書誌情報が早く出るようにと思って早めに見本出しをしてみたときも、午前中に行った。午後は別の仕事で忙しいんだと思っていた(もちろん、それもあるであろう)。実際は、納品日の何日前の午前中(まで)と決められていたのである。

午後は、窓口の人全員が「さあ、見本を受け付けますよ!」という状態ではないので、場合(取次)によっては結構待たされる。が、合計3カ所で、混んでいるときの午前中よりは早く終わる。他の出版社の営業マンたちの中で血圧をあげなくて済むのもいい。

で、「新刊、出してます~?」だが、ただの軽口だったわりには大変興味深い質問だと思う。

うちもそろそろ創業10年になり(なんと!)、「ちゃんとできてるか! 成績悪いと呼び出すぞ!」という雰囲気もなくなってきた。成績が良くなったわけではないんだが、とりあえず「出版始めたけどダメでした廃業します、とはもう言ってこないだろう」的な状態になった(と思う)。安心で快適な、放置プレイ。

やっていけてるのか!とギャーギャー呼び出しをくわなくなっても、休眠状態じゃないだろうな!とは言われてしまったわけである。で、休眠じゃないことのひとつの目安が、「新刊出してる」。

取引申し込みのとき、出版計画というものを提出する。経験者であれば話は別だが、うちのような新規参入だと「売れる企画か」見られる。売れそうでなければ「売れない→いずれ資金が底をつく→取引お断り」となる。今思えば、継続的企画力とかも関係するんだが、ようするに資金の問題である。

今までは「続けている」というより「続けていく」という感覚だったので、続けている出版社と新刊を出すことが、頭の中で結びつかなかった。どちらかというと、「やたら新刊をぶち込んでくるが、危ないのではないか」という、どこかの出版社の話が書店から聞こえてきたりするので、出さない分にはOKであろうとさえ考えていた。

既刊だけで回っている出版社って、まったくないんだろうか? 休眠でなくちゃんと税金の申告もしているような出版社で、「新刊? こないだ出したの、いつだっけ? でも補充と注文だけで結構行くから、ノープロブレム」みたいなところはないんだろうか?

本日のように配本の残りをうちで受け取って、汗だくになってトラックから降ろしたり事務所に積んだり…をすると、既刊だけで(ちょっぴりの増刷の繰り返しで)回っていったらどんなに楽だろうと思ってしまう。たまに「この人の本を出したい!」と思うときもあるので、「一生新刊出さない」と決めたいわけでは決してないが、自社刊行物の知識・在庫の把握・棚卸しなど、これ以上点数が増えなかったらずいぶん楽であろうとは思う。

いや、うちの話はどうでもいいんだが、取次の仕入担当の人が、挨拶代わりに「新刊出してるか?」ときくってことは、「もう、世の中は新刊で回っているのが常識」というくらいなのであろう。

先日近所の古本市で、古本マニアに「新刊=面白くない」みたいな反応をされてムカついたんだが、「買われては売られ買われては売られ、ぐるぐる古本市場を回り続けている」本の世界がある一方、「ドンドン出し続ける!」世界もあるのだと、改めて感心してしまった。

やたら出るとか多すぎとかネガティブに言われることが多い新刊だが、新陳代謝みたいで、実は健康で楽しいじゃないかと思う。

コメントを投稿