原題:『The Legend of Tarzan』
監督:デヴィッド・イェーツ
脚本:アダム・コザッド/クレイグ・ブリュワー
撮影:ヘンリー・ブラハム
出演:アレクサンダー・スカルスガルド/マーゴット・ロビー/サミュエル・L・ジャクソン
2016年/アメリカ
ターザンの微妙な「立場」について
さすが動物たちが当たり前のように話す『ジャングル・ブック』(ジョン・ファヴロー監督 2016年)とは違って、主人公のジョン・クレイトン(=ターザン)は動物たちの意志は理解できるが動物たちが勝手に話しかけてこないだけ大人向けと言えるだろう。
それでもはやり『ジャングル・ブック』同様に、本作は西部劇の色合いの濃い「復讐譚」である。ターザンの相棒としてコンゴに赴いたアメリカの特命公使で大学教授であるジョージ・ワシントン・ウィリアムズが米墨戦争のみならず、南北戦争におけるネイティブアメリカンの虐殺を後悔していると語るように、そもそもターザンとコンゴ奥地に住む族長のムボンガの諍いの原因は、ターザンをジャングルで育ててくれたゴリラのカラをムボンガの幼い息子が放った槍で殺された復讐でその息子をターザンが殺したことから始まった。ムボンガが人間を殺したことに「誇りはないのか?」と訊かれたことに対してターザンは「知らなかった」と答えるのであるが、ここは微妙なところで人間の間に差別はあってはいけないが、人間以外の動物との間には差別があっても仕方がないというニュアンスを感じるのである。その後、コンゴの村に戻ることを勘案するならば、ターザンの答えが正解なのか疑問が残るのであるが、ターザンのような立場に立たされる人間は他に存在しないので正解があるのかどうかが分からないし、吹き替え版で観たために翻訳自体の正確性も分からない。