オーストラリア
2008年/オーストラリア
差別の解消による新たな差別
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
この作品の意図はオーストラリア原住民アボリジニをはじめ女性や子供や黒人に対する人種差別の存在を明確に示してそれを克服するという物語であろう。だから作品前半はアメリカのテレビ西部劇『ローハイド(Rawhide)』のクリント・イーストウッドが演じていたような役をニコール・キッドマンに演じさせて男性に劣らない強い女性を描いたのであろう。
しかしこの作品には瑕疵があると思う。作品後半に日本軍がオーストラリアのダーウィンを空襲するシーンがある。その空襲は事実であり、多数の犠牲者を出したのだが、作品内で描かれているように日本軍が上陸して抵抗しないオーストラリア人を銃殺したりはしていない。
2008年、オーストラリア政府がアボリジニに対して公式謝罪したという字幕でこの作品を終わらせるということは、この作品はフィクションではあっても事実に基づいていることになる。そうなると当時日本の軍人は‘無差別’に人を殺していたというような印象を与えてしまうであろう。
もう一度確認しておきたい。この作品はアボリジニをはじめ女性や子供や黒人に対する人種差別の存在を明確にしてそれを克服する物語である。ナラの最後のセリフは「物語が人と人の絆を強める」というものだったはずである。しかしこの‘物語’は‘日本人’を差別することでオーストラリア人とアボリジニたちとの差別を解消しようとする歪んだものであり、そのような‘間違った物語’こそが今日まで続く差別を放置した原因となったのではないのか? 作品の出来自体が良いだけにこの差別は看過できないのである。私は今この作品の興行収益に貢献してしまった自分を恥じている。1000円返して!
差別に関しては映画評論家の中では人一倍敏感なはずであるおすぎ氏がこの作品を高く評価しているのが不思議である。
2009年3月6日の読売新聞夕刊(P.12)で、日本軍のダーウィン侵攻の場面に関してヒュー・ジャックマン氏が以下のようにコメントしている。
「激動の時代の豪州は、あくまでも物語の背景。あの場面でバズが描く本当にショッキングな悪は、当局が、目標となった島にアボリジニの人を置き去りにしたということ。本当の悪が浮き立つように日本軍侵攻が描かれているのだと思います。」
事実なのだから日本軍侵攻を描くことに問題はない。問題なのは描かれ方であり、あのような描かれ方では本当の悪が浮き立つどころか霞んでしまうことくらいは理解して欲しいものである。
中川前財相、地元でおわび 支援者は「団結して支える」(朝日新聞) - goo ニュース
本会議には出席できないけれども地元に戻るのは良いリハビリになる中川の病気
とはいったい何なのだろうか? 極めて中川に都合に良いこの病気は限られた情報
から判断するのならば精神に関するものである。「悪い時に支えるのが後援会」では
あっても精神を病んでいる国会議員を支えるというのは本人に酷なのではないのだ
ろうか? ただの地元の恥であるのならば勝手にすればいいとも思うが、今や中川
は日本の恥である。あの醜態は今後ネット上で永遠に流れるのである。以上を勘案
するならば支援者は中川自身のためにも引退を勧めるべきであろう。判断を誤れば
取り返しのつかないことにもなりかねない。