「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

沖縄「十一万人集会」の欺瞞

2007-11-24 21:47:09 | 日々の出会い・感動
自由主義史観研究会機関誌『自由と教育』十一月号掲載

沖縄「十一万人」集会の欺瞞   多久善郎

 九月中旬、日本会議国民運動セミナーの講演で私は沖縄に渡った。日程の合間に、今春から起こっていた「教科書検定騒動」の実態について人々の話を聞いた。集団自決の「軍命令」が実証出来ないので、「軍の関与」へと論点がすりかえられて、連日マスコミが煽っている事、文部科学省の検定意見撤回の運動が参議院選挙と相俟って、保守系議員の発言を封じ、参議院選挙で与党が敗北するや、反安倍政権の運動として一気呵成に「検定制度」空洞化の為の政治圧力をかけようと大きな集会を準備している事等、一連の動きがある戦略の元に巧妙に仕組まれて進行している事が解って来た。マスコミでは、知事や市町村長が職員に、教育長が校長に、議会議長が全議員に出席を要請したとの記事が連日報道され、まるで「全体主義」の様相を呈していた。

 九月十六日の沖縄タイムスには、国会陳情に同伴した民主党代議士が文部科学省の検定基準の中に「沖縄条項」を入れさせねばならない、と主張していた。左翼が火を着けて中国や韓国の圧力で設けられた「近隣諸国条項」の「沖縄版」だ。その為に「沖縄県民全てが怒っている」という形を示すべく県議会・全市町村議会で撤回要求の意見書を採択し、九月二十九日には盛大な県民集会を開催しようと企画していた。「沖縄条項」が出来たら沖縄は日本では無く、中国韓国と同じ異郷の地になってしまう。内地から追い出された左翼勢力が、沖縄を「反戦平和」の最後の砦として「聖域」化して反転攻勢しようとしていた。意図的に作られた「沖縄県民の総意」という欺瞞を明らかにせねばならない。そこで私は、九月二十八日に再び沖縄の地に足を運んだ。

 二十九日、沖縄県の宜野湾海浜公園で開催された「教科書検定意見撤回を求める県民集会」広場には、開会二時間前の午後一時頃到着して情報収集を行った。人もまだ多くなかったので、広場(芝生)の大体の広さを足で実測した。横が179歩、縦が通路を挟んで後ろが60歩・前が62歩だった。私の一歩は大体60cmなので、横が107.4m、縦が36mと37.2m。総面積は7861.68㎡。広場には座っていたので、1㎡に2人がせいぜい。私の周りでは左側と前にスペースがあった。日傘を射している人が居て、それが視覚を遮るために空きスペースが出来た。大会の途中で20人位の実行委員が広場内をくまなく回りカンパを集めていたので、すし詰めではなく、人が歩ける余裕があった。計算すると、この区域の参加者数は1万5千人位である。但し、私が実測したのは集会で座るために割り当てられた区域、その周辺にも人が居たので、少しは増える。せいぜい2万名ではないのか(尚、公園全体の広さは立ち木や花壇も含めて20688㎡と云う)。

集会には、大量の貸切りバスが使用され、路線バスも片道無料券が前々日の新聞に印刷されていた。開会前、広場には、自治労沖縄県本部・連合沖縄・日本共産党・社大党・新日本婦人の会・県労連・創価学会沖縄青年委員会・公明党・沖教組読谷高校分会・読谷村婦人連合会・那覇市職労などの団体旗が林立していた。公園入口では「琉球大学学生会・沖縄国際大学学生自治会・全学連」(4名だが)がマイク情宣を行い、別の場所ではゼッケンをつけた「革マル派」や、極左の市民団体がチラシ配布を行っていた。中核派も居たそうだ。会場内を「琉球独立」という大きな旗を掲げて行進している人々も居た。正に、左翼の「反戦平和祭り」の感が否めなかった。一方、恵忠久氏の主宰する「国旗・国歌推進県民会議」のグループ二十数名が「軍命令は存在しない」旨のチラシを2万枚配布されていたが、文句を言う人は殆ど居なかった。

 集会での仲井間知事の挨拶は、原稿の棒読みでいやいやながら登壇させられている感じを受けた。実際、発表後は退席していた。それ以外は、完全なアジ演説であり、感情に訴えかけるものだった。演説終了後は全体から拍手が起こりはしたが、政治集会独特の熱気は余り感じられなかった。演説の途中で合いの手が入り、拍手が何度も湧き起こるという事は殆ど無かった。婦人会の代表が「軍は住民を決して守らない」と絶叫していたのが印象的だった。登壇した高校生二人が交代しながら文章を読み「真実を伝えて下さい」と訴えていたのは、何か作為を感じた。「おじい」や「おばあ」を信じる純朴な態度は良しとしたいが、「真実探求」の意味が良く解っていないのは可哀そうな気がした。集会全体のトーンが、これまで沖縄の教育現場で教えられて来た事を変えるべきでは無いという事で、日教組の反戦反軍平和教育を守れ、と叫んでいるに過ぎない。双眼鏡で舞台上を眺めたが、私が知っている県議は見当らなかった。

 集会前日に、渡嘉敷の方とお会いしてお話をお伺いしたが、渡嘉敷では集団自決命令を出したと言われている赤松大尉の悪口を言う人は殆どおらず、明日の集会にも村長や議員は義理で参加せざるを得ないが、住民の参加は殆ど無い(沖教組は別)との事だった。渡嘉敷で反軍を主張するのは、赤松部隊にスパイ容疑で処刑された人の親族一人と集会で登壇した吉川教育委員長だけ。実際、集会で吉川氏が登壇した際、会場からの拍手は2・3人だけだった。渡嘉敷からは殆ど参加していない証拠である。渡嘉敷では、集団自決の犯人探しをすれば、住民同士が責任をなすりあう事になってしまうので、そっとしておいて欲しいというのが本音だと語られていた。集会の翌日に私は、渡嘉敷島に渡り、慰霊碑や自決跡地に線香を手向けてお参りしたが、「白玉の碑」には「大東亜戦々没者御芳名」として軍人軍属・防衛隊・一般住民593柱(明年のお祭りで5名追記の予定)の名前が共に刻まれ祀つてあつた。赤松部隊が建立した「戦跡碑」も補修、清掃されて美しく管理されていた。碑文として曽野綾子さんの記した文章も彫られていた。地元住民の赤松部隊への気持ちがこの管理状況の中に示されていた。

 翌日、参加者数について二大マスコミは、主催者発表を若干修正して11万・11万6千と報道した。当初県警は左翼からの抗議を予想して数を発表しなかったが、11万の数字が一人歩きし出した為、終に「4万2千人」という数字を発表した。だが、私が会った県警の方は2万から3万位だろうと語っていた。幸い、琉球新報が集会翌日の1面と最終面に亙る大きな全景写真を掲載していた為、熊本に戻った後にこの「証拠写真」新聞を20部取り寄せ、熊本大学日文研の女子学生に協力を依頼して人数を数えてもらった。十月十四日午後四時過ぎ、報告の電話が入った。新聞紙を渡したのが八日だったので、丸五日かけて数えてくれた事になる。彼女ははっきり「1万3千37人でした。」と報告した。彼女はサークルの友人の助力を得て、先ず、写真上の人物の特定を、見えにくい所は虫眼鏡を使って行っていったという。その作業が結構時間がかかったようで、最後に100人ずつ区分けして数をカウントしている。4万人位は居るだろうと覚悟を決めて数の集計作業に入ったら、何と1万3千少々で終ってしまったので、驚いたという。だが、例え1万3千でも数えるには大変な使命感と根気が要る。

 私は早速、インターネットでこの集計結果を発信した。翌日私が出演したスタイルFM日曜討論(福岡)でも発表した。十四日・十五日・十六日とこの数字が全国を駆け巡り大きな反響があった。

 十六日、日本会議国会議員懇談会事務局を通じて自民党の教科書議連で琉球新報の写真と集計結果を示した所、議連でも数える事となり、琉球新報の写真より広い範囲の航空写真を元に、「テイケイ」という警備会社がパソコンによる解析作業を行い、十七日にはその結果が報告された。それは、横を13区画・縦を8区画に分けて104の区画の参加者数を割り出して集計したもので、完璧であった。「上記合計18、179人(視認可能部分のみ)建物、木陰、写真外等を推定したこの時間帯の総数は、19,000~20,000人」というものだった。もはや集会実行委員会は言い訳ができない。沖縄集会参加者数11万人の世紀の大嘘が暴かれた瞬間だった。

 その後、琉球新報社から集会記録集『沖縄のうねり』を取り寄せた。私が関心を持ったのは、同日に行われた宮古島と石垣島の集会の写真だった。宮古の集会には2500人が参加したと書いてあるが、100名位の写真だ。市総合体育館での石垣集会の写真も3500人参加と書いてあるが、200人位だ。この写真の周辺部を合わせても500人は集まっていないのではないか。最近、集会実行委員会は数の欺瞞が明らかになって来た為、沖縄だけで無く、全国で開かれた集会の合計数だなどと、嘘の上塗りをしていると言う。南京虐殺30万人に上海からの戦死者数を含めると言い出したのと同じ手法だ。

 私は、何故数にこだわったのか。集会実行委員会は最初からこの集会の参加者数を「沖縄県民の総意」と称して政府文部科学省に圧力をかける戦略を抱いていた。当初5万名を集めると言っていたのが、8万名は集まると豪語し、集会の途中では「10万人が集まった」と発表し、更に集会終了時に「公園の外にも一杯居る。バスが渋滞して到着していない人も居る」として「12万名が集まった」と発表した。沖縄県民の人口は137万人、その1割近い参加者が集まった事にどうしてもしたかったのだ。だが、彼らが観念的に「一杯集まっている」と誇って全景を掲載した航空写真が自らの墓穴を掘った。彼らのプロパガンダは科学の目に敗れ去ったのである。

 5万名を目標として「上からの動員」まで強要して開催されたこの集会、11万のプロパガンダに比して実際は2万名弱しか集まらなかったという事は、完全なる失敗に他ならない。沖縄県民の良識は未だ健全なのである。
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