「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

新嘗祭の一日

2007-11-23 22:20:14 | 日々の出会い・感動
平成19年の新嘗祭の今日、空は雲一つ無い快晴ですがすがしい朝を迎えた。長女が玄関に国旗を掲げる。長男が居た時は長男が掲げていたが今は福岡に行っているので長女の任務となっている。私が子供の時も父からその任務を任されていた。

午前10時過ぎに娘と共に、熊本県護国神社に行く、熊本まほろばの会のメンバーでもちつきの準備を行う。境内では、今年から仏所護念会の方々がもちつきや出店を出されて秋祭りを行われている。10時半、八代の開田さんが新米のもち米2升と臼と杵を持って来て下さった。愈々もちつきの始まりである。

11時から神社の拝殿で新嘗祭の祭儀が始まり、私は常務総代でもある為、祭儀に参列した。熊本県護国神社総代・崇敬会の方に加えて仏所護念会の方が多数参列され盛大だった。傷痍軍人で盲目の加納文次氏が佐々友房作の長い漢詩を朗々と吟じられた。

祭典の横ではもちつきが続く、私も祭典終了後、上服を着替えてもちつきに参戦した。子どもたちもかわいい杵で餅つきを体験する。私の高3の娘は剣道で鍛えているだけあって、大きな戦力(餅つき)である。米だけの餅、よもぎ餅、かぼちゃ入りの黄色い餅、餡子入り、チーズ入り(黄色の餅に)など様々な餅が出来上がっていき、搗きたての餅を多数戴いた。勿論、熊本県護国神社のご神前に大きな鏡餅を作って奉納し英霊に喜んで戴いた。

臼を大人4人で車に載せて、私は先に帰路についた。午後2時から陸上自衛隊第8師団第8音楽隊の第32回定期演奏会(創隊50周年記念演奏会)に参加する為である。演奏が行われる熊本県立劇場コンサートホールは満員であった。素晴らしい演奏だったが、最も心に残ったのは「荒城の月」だった。土井晩翠が会津鶴ヶ城を偲んで作詞し、滝廉太郎が竹田の岡城を偲んで作曲したこの名曲は「廃藩置県」によって滅び行く日本武士道への挽歌でもあった。

川内駐屯の第8施設隊が「薩摩川内焔児太鼓」を演奏、「出陣」の曲は勇壮で迫力満点の素晴らしいものだった。ローカルマーチと題して熊本の民謡「五木の子守唄」「田原坂」「おてもやん」を行進曲風にアレンジしたものも素晴らしかった。又、昭和17年に熊本県知事が国民精神総動員運動(特に教育の振興を強調)を提唱し菊池一族の「誠忠」の精神を強調し、当時熊本県民歌として普及した「盡忠菊池の歌」も披露された。勿論菊池一族の勤皇の歴史についても解説された。

熊本城築城400年に当り、「花の熊本城」や「田原坂」も披露された。解説で、熊本城築城に当り、加藤清正が万一の籠城時の食糧として銀杏を植えた事や、細川忠弘公が熊本の領主として入国・城に入城する際に、加藤清正公の位牌を先頭に掲げて敬意を表し、天守閣に登って加藤清正公の廟である本妙寺に向かって深々と拝礼された事。更には、西南戦争のとき熊本城を落とせなかった西郷隆盛が「おいどんは官軍に負けたのではなか、清正公に敗れたのだ」との言葉を述べた事なども紹介された。

演奏を終って、入院中の姉を見舞いに行ったりした帰路、13夜の満月が空には輝き、とても美しく輝き始めていた。帰宅後我が家の神棚と仏壇にも、今日搗きたての餅を供えた。
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