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「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

学校長のリーダーシップ

2007-12-14 15:51:00 | 日々の出会い・感動
12月11日、広島県三次市を日本協議会広島支部の亀田代表と共に訪れ、日本協議会会員の集いを開催した。大学生の頃からの同志である中川君や片山君など地元有志が集まり、夜遅くまで話に花が咲いた。

12日は朝から三次市の教育委員会を訪れ、学力テストの情報公開についてお聞きし、資料を戴いた。市の広報誌「広報みよし」11月号には「みらいの三次づくり」のページに「学力調査の結果から よくわかる・力がつく 授業改善のために」と題して、「平成19年度 全国学力・学習状況調査」の結果が「三次市」「広島県」「全国」と並べて公表され、その解説・課題が記されていた。又、広島県が独自で行った「平成19年度広島県『基礎・基本』定着状況調査」について広島県と三次市を比較して掲載されていた。

又、「広報みよし」8月号には「学力向上着実に進んでいます!平成19年度三次市学力到達度検査」と題して、小学校(国語・算数、2年から6年)中学校(国語・数学・英語、1年から3年)の結果が三次市・全国の数字と比較して総ての学校別に掲載されていた。学校別・学年別の数字が明らかとなり、問題ある学校学年が一目瞭然である。例えば河内小学校は2・3・6年は全国平均を上回っているのに、4年生だけが平均を15点位下回っている。このテストは業者発注なので、全国で参加している学校の平均が出されている。

三次市教育委員会の雰囲気にも緊張感が感じられ、情報公開に踏み切る事により、着実に前進している事を実感した。

次に、亀田氏の母校でもある三次高校を訪問し、田邊康嗣校長のお話をお聞きした。田邊校長は、平成11年2月28日に世羅高校の石川校長先生が自殺された後に、世羅高校に校長として赴任されて見事に立て直された先生である。お話をお聞きしながら、校長の信念が学校を建て直すとの確信を改めて実感させられた。先生は、「教員は全員が独自の教育哲学を持ち自分の信念に従って教育を行っている。それ故、全員を納得させようと思っていたら、それだけで赴任任期が終了し結局何も出来ないで終ってしまう。それ故、校長は自らの信念を表明し続けて、職員に「何を言っても校長先生は聞かん」とあきらめの念を抱かせれば良いのである。その結果、校長先生の哲学が一貫した学校に生まれ変わるのである。

三次高校では、「教育サービス宣言」を発表し、「私たちは県北の教育及び文化の拠点校として地域に信頼される学校となることをめざし次の宣言をします。」として8か条の実践項目を掲げられた。それに倣って生徒会が自ら「一校一和宣言」として「私たちは三次高校に来て良かったと思える人となるため、次の事を宣言します」と8か条を制定したという。三次高校の正面には学校で輝く生徒一人一人を表彰する大きな垂れ幕が何本も垂らされていた。

学校予算の多くを教員の研修費用に回し、全国の有名高校への派遣など教員の実力向上に力を注いでいるとの事である。余り意味の無い研修には派遣せず、先進校といわれている現場に派遣して実力向上を計るとの事だ。熊本の進学校である熊本高校にも受け入れてもらったと語られていた。その費用を捻出する為に校長自らの出張は殆ど自費で行かれているようだ。教員の実力向上の為の投資は結局は生徒全員がその恩恵を受けることになるから、と笑って語られた。

世羅高校の時は、駅伝日本一復活の為に、苦労して県立高校としては初めてケニアからの生徒を招きいれて陸上部を強化して見事中国地方代表に返り咲いたとの事である。

三次高校は、現在剣道で県下有数の高校であり、校長先生を始め生徒全員が短歌を創作する「文武両道」の学校と成っている。日頃校長室は暖房を使わず、湯たんぽで暖を取られているようだった。私達が部屋に入って初めてストーブが点火された。

校長先生の強力なリーダーシップによって学校が大きく変わった話は熊本にもある。団体の介入で荒れ果てた矢部高校を建て直し、退職後は、当時3流校でしかなかった熊本工大高を「文徳高校」として校風を一変させて防衛大学や京都大学にも合格者を出す迄に立て直された阿部光二校長先生の事を思い出した。

先日、熊本県教職員連盟の会合の際校長OBの方が、ある学校を訪問したら、校長先生が体育館の会談に坐りこんでおられ、「先生疲れられているようですね」と声をかけたら、「はい、もう疲れ果てております。」と力なく応えられたそうである。「校長たるもの例え、疲れていようとも、人前でそれを見せるべきではない。本当に情け無い」と語られていたが、校長先生の気力・希薄・信念の強さが問われていると思う。

三次高校を辞去する時、田邊校長から『平成十八年度巴峡別冊短歌集』を戴いた。その中には田邊校長16首を始め、教員12人、1年から3年までの生徒全員の短歌が掲載されていた。来年は、全国の高校生から短歌を募集するとの事である。
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1 コメント

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Unknown (間違いを訂正しておく)
2021-12-10 01:43:50
>当時3流校でしかなかった熊本工大高を「文徳高校」として校風を一変させて防衛大学や京都大学にも合格者を出す迄に立て直された阿部光二校長先生の事を思い出した。

この表現は完全な事実誤認ですね!
きちんと訂正してください。

阿部光二氏が行った文徳高校でのあなたが言う立て直しは当時の文部省学習指導要領から完全に逸脱しておりその数年後に熊本県内で他校で同様の問題が起きたときに大変な報道があったことをあなたはご存知ないようですね?

有名大学に合格者を出したから阿部氏が立派なのではなく
その他大勢の生徒から巻き上げた授業料で一部の進学クラスに資金を投入してあえて合格者を増やしたというのが実際の中身です。

だから文徳OBとして書いておくと阿部氏の前も3流で阿部氏が去った後も3流(実際は5流ぐらいか?)と言うのが正しい表現です。

要するに阿部氏の流儀の教育改革では持続性がなく
とどのつまり一過性の徒花みたいな改革にすぎなかったのです。

『永遠の武士道』みたいなたいそうな名前のブログ表題ですが中身は武士道どころかそこらへんの事実誤認に基づく自己陶酔ブログと改題なさったらいかがでしょうか?
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