「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武田信玄②「御大将の誉といふは、第一に人の目利、第二に国の仕置、第三に合戦勝利」

2020-07-28 11:38:21 | 【連載】続『永遠の武士道』
「続『永遠の武士道』」第十回(令和2年7月28日)

御大将の誉といふは、第一に人の目利、第二に国の仕置、第三に合戦勝利
                 (『信玄全集』末書上巻之六)

 武田信玄を評する言葉に「人は城人は石垣人は堀、情けは味方仇は敵なり」がある。甲府の躑躅ヶ崎の信玄の館が平城であった事と、信玄の下に「武田二十四将」と称される優秀な家臣団が存在した事がその背景にある。「人材の城」を造る事に見事成功したのが信玄だった。

 信玄は、「大将の名誉というのは、第一に人材の評価、第二に国の政治、第三に合戦での勝利」であり、その三つが立派に良く行われる事を「高名(こうみょう)誉(ほま)れ」と言う、と述べている。大将の第一の務めは「目利(めき)き」・人材の評価に在る事を十分に認識していたのである。

 それ故に信玄は、家中の「法度」の根元に次の五点を据えた。①大将は人を良く評価して、その者の得意な事を知って役務を与えよ。②武士の手柄や無手柄を其々上中下に分けて考量し、鏡に物が良く写る様に大将の私心無く評価する事。③手柄に応じた恩賞を与え、声をかける事。④部下には慈悲の心を持って接する事。⑤大将が怒る事が余り無いと奉公人は油断してしまう。油断があれば分別ある人でも背いてしまう事がある。怒りを表すにも過ちの程度に応じて行い、ゆるす事もせねばならない。(『甲陽軍鑑』品第四十一)。これらの全てに、部下を公正かつ私心無く見る事が出来るかという「目利き」・眼力が問われるのである。

 信玄が、異才の醜漢だった山本勘助を評価して召し抱えたのも、外見に囚われずに人材の本質を見抜いたその眼力だった。ある時信玄は勘助に、「人の使い方というのは、決して人を使うのでは無く、その者の持つ能力を使うのである。政治を行うに当たっても、人々の良き能力を活かす様に行う。欠点が現れない様にして、その者の能力を十分に発揮させる事が出来るならばどんなに気持ち良い事であろうぞ。」と述べている(『甲陽軍鑑』品第三十)。

 信玄の家臣の中に、合戦になると癪を起して目を回す大臆病者が居た。家臣達は早く解雇すべきと注進したが、信玄は熟慮してその者を家中の隠し目付に任じ、家中の悪事を探り全てを逐一報告せよ、任を果たせぬ時には死罪に処すると命じた。その結果、その者はとても役に立ったという話が『名将言行録』では紹介されている。又、信玄は「渋柿の木を切って甘柿を継ぎ木するのでは無く、渋柿は渋柿として役に立てるべきである。」とも諭している。

 中心に立つ者の第一の仕事は、部下の統率であり、その人物の「目利き」が出来るか否かが全てなのである。その上で、率いる組織や会社・国家の良き運営、更には競争や戦いでの勝利が齎されるのだ。「人の和」こそが「天の時」「地の利」に勝る事を教えている。

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