「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

中江藤樹⑧「蓋し初学の士、良知を安心立命の地と定め、厳密に志を立、勇猛に己に克去りて、一毫も艱難苦労を憚るべからず。」

2020-07-31 21:07:44 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第十一回(令和2年7月31日)

中江藤樹に学ぶ⑧

蓋し初学の士、良知を安心立命の地と定め、厳密に志を立、勇猛に己に克去りて、一毫も艱難苦労を憚るべからず。
                                 (中江藤樹「岡村子に送る」)

 藤樹が亡くなる慶安元年(1648)夏に、藤樹書院で学び故郷に戻る弟子・岡村伯忠に与えた、書簡の一節である。岡村は「師に従い友と講究する時は万欲を放下した様に思われるが、その場を離れて様々な人々と接する時には、心が揺れ易く欲に奪われ易くなり良知に至り難いのは何故か。」と質問した。この質問は、現代に道を求める人々にも共通する悩みであろう。師や友と道を学ぶ時には邪念が起こらないが、一人になるといつしか迷いが生じる。

 この質問に対して藤樹は厳しい答えを書き記している。「名利や旧習は長年身に付いて来たものだから、その根は深く汚染の度も大きい。それ故、一旦良知の力で迷いが無くなった様に思えても、久しく慣れて来た外部の誘惑に接した時には、縁に引かれ興をそそられ心は眩んで気が乱れ、従来の如く欲に溺れてしまうものである。」と、日頃世俗の中で生きて来た現実を直視し、それを脱する為には、強い努力が必要な事を示唆する。

「困苦勉励の地道な努力をせずに、速やかに達する事を願って安易な方策を考えたり、中々進まないのは、生れ付きの気質の濁り・文才が無い・学術の誤り、などと疑いや惑いを生じてはいけない。全てが、自分の修業の工夫が厳密武毅(げんみつぶき・厳しく細やかで武く強い)になっていないが為の惑いなのである。間違いの原因は全て自分にある。」

「それ故、初学の者は、良知を安心立命の地と定めて、厳密に志を立てて、勇猛に己の欲に打ち克ち、毫も艱難や苦労から逃げてはならない。己に克つ為にはその身命さえも惜しんではならない。『殺身成仁(身を殺して仁を成す)』の義である。この様に、厳密武毅に力を用いたならば、克服出来ない人欲などあろうはずがない。」

「且つ初学の時は厳密武毅に力を用いると言っても、時として堕落しない事はない。その時、其の堕落を咎めてはならない。唯、幾度も提撕(ていせい・奮い起こす)警覚(けいかく・戒め呼び覚ます)して、徳が成る時を期待せよ。かりそめにも速成・安易の念を起こしてはならない。これが初学者が徳に入る為の最初の門である。」

「厳密武毅」「提撕警覚」、厳しい言葉の中に、最晩年の藤樹の中に赫赫と燃え続けていた激しい求道の炎と、その火を一人でも多くの「後生」に伝え灯さんとの強い執念を感じる。


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