「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

上杉謙信①「心に物なき時は心広く体泰なり。心に我慢なき時は、愛敬失はず。」

2020-09-01 11:50:53 | 【連載】続『永遠の武士道』
「続『永遠の武士道』」第十五回(令和2年9月1日)

心に物なき時は心広く体泰なり。心に我慢なき時は、愛敬失はず。
                    (『定本 名将言行録』上杉謙信「家訓」)

 今回からは、武田信玄の好敵手だった上杉謙信に学んで行きたい。謙信は信玄より九歳若いが、お互いに尊敬し合う好敵手同士だった。上杉謙信について太田道灌は「十の内八は大賢人、他の二は大悪人である。怒りにまかせて為した事には多くの間違いがある。一方、勇猛で無欲、清浄で器量が大きい、廉直で隠し事が無く明敏で良く察し、慈恵に富んで下を育み、好んで忠諫を容れる等は善い所である。」と、評している。確かに、謙信は怒りに任せて非道な事をやらかしてしまう事があった。だが、「義」を第一として私心の無い戦いの姿には非常に魅かれるものがある。

 かつて米沢を訪れた時に買い求めた上杉謙信の「第一義」の文字が書してある扇子の裏面には、「上杉謙信公家訓」として「心」の在り方に関する言葉が十六記されてあり、深い感銘をもって手帳に書き写した事がある。激しすぎる気性の謙信は、自らの奔馬の如き心を如何に制御するべきかを考えてこれらの言葉を記したのだと思う。それらの言葉を紹介する。

 「心に物なき時は心広く体泰(ゆたか)なり。心に我慢〔我儘〕なき時は、愛敬失はず。心に欲なき時は、義理を行ふ。心に私なき時は疑ふことなし。心に驕りなき時は、人を敬ふ。心に誤りなき時は、人を畏れず。心に邪見なき時は、人を育つる。心に貪(むさぼ)りなき時は、人に諂(へつら)ふところなし。心に怒りなき時は、言葉和(やわ)らかなり。心に堪忍ある時は、事を調(ととの)ふ。心に曇りなき時は、心静なり。心に勇ある時は、悔むことなし。心賤しからざる時は、願ひ好まず。心に孝行ある時は、忠節厚し。心に自慢なき時は、人の善を知り、心に迷ひなき時は、人を咎めず。」

 一つ一つの言葉が自らの在り方を省みさせるものである。心に兆す「一物」「我慢(高慢の意)」「私欲」「私意」「驕り」「誤り」「邪見」「貪り」「怒り」「堪忍」「曇り」「怯(勇の反対)」「賤しさ」「不孝」「自慢」「迷い」という十六の「曲者」を謙信は見出していた。そして、それを克服すべく、日々心を磨き続けたのである。人一倍正義心が強かった謙信は、それが昂じて時に非義と思われるものに対し徹底的に殲滅する事があった。だが、謙信はその「やり過ぎ」を悔いる冷静な心も持っていた。

 私自身も正義感が非常に強いので、ともすれば他の不義を徹底的に糾弾する誘惑に駆られる事がある。だが、「心に自慢なき時は、人の善を知り」「心に堪忍ある時は、事を調ふ」で、謙信公に習って心の奔馬を制御し、大事を為し遂げて行きたい。

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