「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武田信玄③「くどく物をお尋ねあり。其人の心を、くみとり、なさるること。常の儀なり。」

2020-08-04 14:37:15 | 【連載】続『永遠の武士道』
「続『永遠の武士道』」第十一回(令和2年8月4日)

くどく物をお尋ねあり。其人の心を、くみとり、なさるること。常の儀なり。
(『甲陽軍鑑』「信玄公御若き時より人御遣い被成様之事」)

 前号で、武田信玄の人を見る力=目利について記したので、今回も更にその点について学んで行きたいと思う。

『甲陽軍鑑』品第五十三に「信玄公御若き時より人御遣い成され様之事」というのがあり、その中に、信玄が人を如何にして試したかが記されている。信玄は国内の治水工事や鷹狩などで出かけた時には、村々の有様や山々の竹や木の茂り具合等を良く見て覚えておき、帰城後、知らないふりをして周りの武士達に尋ねた。その中で詳しく見覚えている者がおれば、それは度々行って覚えたのか、お供の時だけで見覚えたのかなどと更に突っ込んで聞き、幾度も良く答える者を抜擢して、他国への使者や国境の視察に派遣した。信玄公はくどいばかりに物事を良く聞いた。その事によって人の心を、くみとろうとするのが常であった。側に仕えていたものの親が病気になったりすれば、その病状を詳しく聞く中でその者の親に対する孝不孝の程度を計った。古人も「金は火を以て試し、人は言を以て試みる」と言っている。この様にして近くに仕える者の中から優れた六人を選び出して「耳聞(みみきき)」に任じ、様々な家中の者に関する善悪を良く見て意見させ、自らの判断の参考としたのである。

 信玄は、人を見間違う七つの場合を指摘している(『甲陽軍鑑末書結要本』)。それは、①油断の者を、落ち着いた人と見そこなう。②軽率な者を、素早い者とみそこなう。③動きが鈍い者を、沈着な者とみそこなう。④そそっかしく早合点で慌てる者を、敏捷な者とみそこなう。⑤ものが解らない者は道理に暗く、はっきりと物を言わないのは全てに不案内の為であるのに、慎重な者だとみそこなう。⑥周りの事を全く気にせずにものを言う者を「口たたき」と言う。その者は人の役に立つ意見は全く言わず、自分の利害で人の悪口や媚びる様な事も言う、その様な「口たたき」をさばけた者だと見間違う。⑦信念の無い者は作り事をして其れに固執する。それを我が強く人に負けるのをいやがる剛強武勇の武士だと見間違う。これらの違いはその人物を日頃から良く見ておかねば気付く事は出来ない。表面で人を判断するのでは無く、その人物の真実の姿を見透かす能力こそが「目利き」の力なのである。

又信玄は「いんげん(因言・高慢な言葉)」と「過言(かごん・思いあがった失言)」との違いについて述べている。「因言」とは、事実を大げさに言いふらすものであり、自信過剰から出てしまった言葉の為、あまり問題ではない。だが「過言」は、無い事をあったかの様に言うものであり、三度物を言えば三度言葉が変わる。虚言だからであり、必ずやめさせねばならない。「因言」と「過言」とを弁別できるのも日常的な「目利き」の為す業だと言え様。

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