「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

伊藤仁斎②「慈愛の心、渾淪通徹、内より外に及び、至らずという所無く、達せずという所無うして、一毫残忍刻薄の心無き、正に之を仁と謂う。」

2020-12-11 22:09:16 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第三十回(令和2年12月11日)
伊藤仁斎に学ぶ②
「慈愛の心、渾淪通徹、内より外に及び、至らずという所無く、達せずという所無うして、一毫残忍刻薄の心無き、正に之を仁と謂う。」
                                                      (『童子問』上巻第四十三章)

 仁斎という号は、万治元年(1658)三十二歳の時に「仁説」を著した頃から使用したと言う(伊東倫厚『伊藤仁斎』)。号に表される様に、仁斎は、「仁」を説いた孔子の『論語』を重んじ、「仁」の徳を「聖門第一字」とした。

 その事に対し仁斎は「仁の徳は広大なものである。然し、一言で表すならば、「愛」が相応しい。君臣の間に在ってはそれを「義」と言い、父子の間では「親」と言い、夫婦の間では「別」と言い、兄弟の間では「敍」と言い、朋友の間では「信」と言うが、それらは全て愛から出ている。愛は実心(まことのこころ)から出ている。それ故、これら五つ(義・親・別・敍・信)は、愛から出る時は実(まこと)であり、愛から出ない時は偽りである。君子にとっては慈愛の徳より大きいものは無い、残忍刻薄の心より痛ましいものはない。孔子門下で仁を「徳の長」としているのはこの為である。」と述べている。

 仁斎は、仁とは愛であると断言した。仁愛という熟語がある様に、仁と愛とは不可分の関係がある。道徳の根底に深い仁=愛の心が満ちている事こそが本物なのである。仁斎は人間の日常生活に於いて、愛に基づく所作や言行を行えているかどうかを問うている。

 更に仁の徳について述べる。「慈愛の心が一つとなって貫き通し、内から外にも及んで至らない所は無く、達しないという所が無く、ほんの少しも残忍でむごく薄情な心が無い様を「仁」というのである。当方には用いて彼には行わないと言うのは仁とは言わない。一人だけに施して十人に及ばないと言うのは仁では無い。一寸の呼吸の間も在り、眠っている間も通じ、心が愛を離れず、愛が心に満ちて全く一つになってしまっているのが、正に之を仁と謂う。それ故、徳は人を愛するより大いなる事は無く、物を損なうより不善な事は無い。」

 この言葉の様な愛深き人間こそが「聖人」であり孔子の門生だと仁斎は信じ、そして自らも実践すべく努力した。勿論、「愛」は無差別であってはならず、親から疎へと及んで行くべきである。身近な人に愛深く接する実践の無い者が人類愛を説いても空虚でしかない。仁斎の偉さは、自らの人格に「仁」を体現して、接する人々には春風の様に親しまれ乍ら、その深き愛を少しでも広く及ぼそうと努力して生きた所にある。

 わが国の天皇陛下もまた、正に「仁」の体現者として国民に慕われ続け来た。それ故、第五十六代清和天皇が諱に「惟仁」を用いられてより、多くの天皇の御名前には「仁」の字が用いられて来た。今上陛下は「徳仁」、上皇陛下は「明仁」、昭和天皇は「裕仁」である。

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