おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2021東京河川ポタリング『玉川上水』③代々木緑道~西原緑道

2021-12-29 05:39:16 | まちま~い

西新宿のクイントビルと文化学園前を抜け、『玉川上水』を遡る旅は甲州街道の南を西へ向かいます。

新宿から笹塚までの『玉川上水』は暗渠になっており、暗渠の上は「玉川上水旧水路緑道」として整備されています。中でも代々木3丁目部分の緑道には「代々木緑道」という名前がついています。

「代々木緑道」は新宿から程近くにある甲州街道と平行している緑の道です。 京王線が地下を走るので細長くてかなり長く、ベンチが多くて、イイ休憩が出来ます。

大都会の真ん中を通る緑道なので首都高速4号線と交差したり、都会的な景色の中にあります。

一方では都会のオアシスっぽく緑溢れて癒される森林の景色も楽しめます。

緑道の所々には橋が残り『玉川上水』の面影が垣間見れます。

更に進むと3段建ての高速道路「西新宿ジャンクション」があります。その場所は物凄く圧倒され、すごく迫力のある建造物の景色になっています。

この辺りから緑道は「初台緑道」「幡ヶ谷緑道」と地域の名前に変えて景色は新宿のビル街から住宅街に変わります。

そして緑道は京王線幡谷駅付近で「西原緑道」と名前を変えます。中でも「玉川上水旧水路西原緑道」は、代々木上原でも有数の桜の名所となっています。

椅子も多く設置され散歩している親子ずれをよく見かけます。春になると桜が綺麗に咲き誇るのでしょう。都会の中でもとても良い環境ですねぇ。

更に進むと「常盤橋」に出て、周りの建物がなくなり開けた空間の東京消防庁消防学校があります。

緑道はここから「大山緑道」と名前を変えて続きます。

続く、、、

 

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2021東京河川ポタリング『玉川上水』②新宿駅近辺の『玉川上水』

2021-12-26 06:46:59 | まちま~い

『玉川上水』ポタは、最下流の「四谷大木戸」から上流の水源「羽村取水堰(東京都羽村市)」まで遡って行きます。

『玉川上水』は「四谷大木戸」から「新宿御苑」と通り抜けて、新宿駅南口を甲州街道に並行して流れていますが、この間は暗渠化されておりほとんど面影がみれません。

新宿駅南口を超えて甲州街道に並行した「葵通り」に入ると『玉川上水』の面影があります。

川がないのに葵通りの「葵橋」の石碑があり、ここを『玉川上水』が通っていたとわかります。

葵通りは真っ直ぐに伸びており、現在の『玉川上水』は暗渠化されてその上に道路が走っています。

更にその先にはビルの狭間にある都会の小さな公園「あおい公園」があります。

更に真っ直ぐに進むと西新宿交差点の超高層ビル前に辿り着きます。

文化学園服飾博物館などが入る新宿文化クイントビルという商業ビル前にくると、新宿駅地下にあった明治期の暗渠がモニュメントとして再現されています。ここもかつての流路だったことがわかります。

2003年(平成15年)に作られた『玉川上水』の記です。

この辺りはかつて京王線幡ヶ谷・初台駅間にある本町一丁目交差点地点から文化学園大学東方・西新宿二丁目交差点地点までは、1936年(昭和11年)以来、京王線の敷地として利用されていました。

当時は『玉川上水』に並行して電車が走っていたが、その後上水は暗渠化されて路線用地に転用された。現在は路線も地下化され、地上部は遊歩道などに再転用されています。

『玉川上水』ポタ、長~く続きます。

 

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2021東京河川ポタリング『玉川上水』①玉川上水の終点「四谷大木戸跡」

2021-12-23 05:28:36 | まちま~い

『玉川上水』は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つです。1653年(承応2年)に多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3mの間に全長42.74kmが築かれました。また、一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されています。

現在の『玉川上水』を「四谷大木戸」から「羽村取水堰」までの全長43kmを遡り走ってみました。

まずは四谷大戸木があった「四谷四丁目」の交差点へ向かいます。途中、今年の話題だった「TOKYO2020の国立競技場」を通り抜けます。「隈 研吾」さんによるデザインは、周辺の明治神宮外苑との調和を目指した杜のスタジアムのコンセプトを掲げ、「自然に開かれた日本らしい素晴らしいスタジアム」です。

屋根や軒庇などを鉄骨と木材のハイブリッド構造とし、最大高さを47.4mと比較的低く設定することで、水平ラインを強調した構造となっています。使用する木材は47都道府県から集められた杉材およびカラマツ約2,000平方メートル分を使用、塗装により本来の木材よりやや白みがかったものとなっています。

そして進むといよいよ四谷大木戸のあった「四谷四丁目」交差点に到着です。

四谷大木戸は、江戸時代の四谷に設けられていた、甲州街道の大戸木(街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所)でした。現在の東京都新宿区四谷4丁目交差点にあたり、新宿区立四谷区民センターの脇には「四谷大木戸門跡」の碑が立っています。

『玉川上水』の終点である「旧四谷大木戸地点」には東京都水道局新宿営業所及び新宿区立四谷区民センターがあり、傍らに「水道碑記」(すいどうのいしぶみのき)が建てられており、 往時、ここに水番所があり、ここから先は埋設された石樋・木樋を通して江戸市中各地へと配水していました。

四谷大木戸の水番所(水番屋)では、水番人が詰めて塵芥の除去などを行っていました。 このほか大木戸の水番所は、市中への配水量を調節しつつ、余った水を渋谷川(穏田川)へと放流する役割も行っていました。

東京都水道局新宿営業所の裏側にある「四谷大木戸跡」、江戸城を守るため、甲州街道に設けられた大木戸(関所みたいなもの、門)です。ここで通行人の取り調べなどを行いました。両側に石垣を設け、その間に門を作った、櫓門のようになっていたといいます。しかし、1792(寛政4)年に撤去されてしまいました。

「四谷大戸木跡」に近い「新宿御苑」にも当時の名残りがります。「旧大木戸門門衛所」は、「新宿御苑」の出入り口のひとつである大木戸門の名前は、四谷大木戸に因むものです。昭和2年に建てられ、大戦の戦火にも耐えた歴史的価値を非常に感じる建築です。

また、このあたりは甲州街道最初の宿場となる「内藤新宿」が開設されていました。約1kmにわたる街道で今でも名残りがあります。

『玉川上水』の終点に近い新宿御苑の「親水公園」付近では、『玉川上水』は御苑北縁の道路下に埋設されていて、大雨時などの下水越流時には千駄ヶ谷幹線(穏田川)へ連なる排水路として利用されています。

地上には新宿区により「玉川上水を偲ぶ流れ」(玉川上水・内藤新宿分水散歩道)の整備が進められ、2012年3月に完成した。この流れの水源には新宿御苑トンネル共同溝内に湧出した水を使用しています

江戸時代の大水道事業の『玉川上水』、現在も使われており、江戸を偲ぶ大遺跡を自転車で走ってみました。

 

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2021東京河川ポタリング『妙正寺川』③「落合公園」から合流点「高戸橋」

2021-12-20 06:06:24 | まちま~い

『妙正寺川』ポタは「落合公園」を過ぎて進むと、都営大江戸線「中井駅」手前でレンガ造りのおしゃれなサイクリングロードになります。

そして昭和48年3月に完成した「新落合橋」付近で、再び西武新宿線と交差します。

更に進むと広い空間のある「辰己橋」に到着です。かつて『妙正寺川』はこの辺りの西武新宿線「下落合駅」の東側で流路を南に変えて、今の「神田川」の滝沢橋~落合橋間の地点で「神田川」と合流していました。

しかし、大雨の度にこの合流地点は川の水が氾濫したため、「高田馬場分水路」の建設に合わせて流路を変更し、「辰巳橋」で「神田川高田馬場分水路」に合流するよう流路改築が行われ、現在の形になりました。

更に進むと都心に入り、JR山手線「高田馬場駅」付近で地下水道となって川の姿は見えなくなります。

更に進むと「神田川」との合流点「高戸橋」に到着です。

「高戸橋」から上流を見て、左が「神田川」、右がトンネルの『妙正寺川』です。

どちらも勢いよく流れており、元気な川です。

『妙正寺川』の終点「高戸橋」の名前の由来は、旧町名の豊島区「高田」と新宿区「戸塚」の両町名を合成したものと考えられています。場所は新宿区と豊島区の境にあり、新目白通りと明治通り(環状5号)との交差点(高戸橋交差点)の北側です。

「高戸橋」は都営荒川線の鉄橋と並行して架かっており、高戸橋交差点の北東側や「神田川」の下流側は都電荒川線の有名なシャッターポイントになっています。

ここから下流は「神田川」になり、さらにその下流は「隅田川」に合流して川は東京湾に注ぎます。

『妙正寺川』ポタ、ここで完走です。

 

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2021東京河川ポタリング『妙正寺川』②「平和の森公園」から「落合公園」

2021-12-17 05:42:12 | まちま~い

『妙正寺川』ポタ、気持ちよく走っていくと「平和の森公園」に到着です。「平和の森公園」は、中野刑務所跡地に開設された公園で、昭和55年から地下式の下水処理場とともに防災公園として順次整備をすすめ、平成29年より再整備工事を行い、令和2年4月1日に再オープンした真新しい公園です。

構想の段階から下水処理場と公園との兼用として計画された防災公園です。

団体利用では、軟式野球・少年野球・少年サッカー(小中学生)・フットサル・ソフトボール等に利用できます。

更に進むと西武新宿線「沼袋」駅付近で線路と交差し、『妙正寺川』は線路の下を通り抜けます。

この辺りの川も護岸がよく整備されています。

更に進むと緑が生い茂った「江古田公園」に到着です。ここで『妙正寺川』は、「江古田川」と合流し、「妙江合流」と呼ばれています。

かつて、この辺りで享徳の乱(1454~1482)の最中の文明9年(1477)、太田道灌、豊嶋泰経らが激しい合戦を繰り広げました。この合戦がおきたことを示す碑が、ここ「江古田公園」に建っています。この乱で関東は二分されました。そのとき江戸城を根拠地とした道灌は、武蔵国の領主たちを支配下にまとめて戦を有利に進める重要な役割を果たします。ここでの合戦は武蔵野を開発してきた豊嶋氏に代わり、太田氏が武蔵野支配を確立する上で大きな意味を持っていたため、碑が立っているようです。

更に進むと今度は「哲学堂公園」を通ります。「哲学堂公園」は明治37年に哲学者で東洋大学の創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園です。

園内には77場の哲学に由来するユニークな名前の建物や石造物、通路などが点在しています。哲学の思想と世界観を垣間見ながら、のんびり散策を楽しむことが出来ます。

そしてさらに進むと、再び西武新宿線と交差します。この辺りは目白大学がある文教地区になります。

そして大きなカーブのところに「新宿区立落合公園」があります。中央から東側にかけてはスポーツコーナーや複合遊具を設置しており、西側には流れや池があります。広場や樹林地には大きな樹木が多く、木漏れ日の中で遊ぶことができます。『妙正寺川』の調節池も設置されています。

まだ、続く、、、

 

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