『玉川上水』は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つです。1653年(承応2年)に多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3mの間に全長42.74kmが築かれました。また、一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されています。
現在の『玉川上水』を「四谷大木戸」から「羽村取水堰」までの全長43kmを遡り走ってみました。
まずは四谷大戸木があった「四谷四丁目」の交差点へ向かいます。途中、今年の話題だった「TOKYO2020の国立競技場」を通り抜けます。「隈 研吾」さんによるデザインは、周辺の明治神宮外苑との調和を目指した杜のスタジアムのコンセプトを掲げ、「自然に開かれた日本らしい素晴らしいスタジアム」です。
屋根や軒庇などを鉄骨と木材のハイブリッド構造とし、最大高さを47.4mと比較的低く設定することで、水平ラインを強調した構造となっています。使用する木材は47都道府県から集められた杉材およびカラマツ約2,000平方メートル分を使用、塗装により本来の木材よりやや白みがかったものとなっています。
そして進むといよいよ四谷大木戸のあった「四谷四丁目」交差点に到着です。
四谷大木戸は、江戸時代の四谷に設けられていた、甲州街道の大戸木(街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所)でした。現在の東京都新宿区四谷4丁目交差点にあたり、新宿区立四谷区民センターの脇には「四谷大木戸門跡」の碑が立っています。
『玉川上水』の終点である「旧四谷大木戸地点」には東京都水道局新宿営業所及び新宿区立四谷区民センターがあり、傍らに「水道碑記」(すいどうのいしぶみのき)が建てられており、 往時、ここに水番所があり、ここから先は埋設された石樋・木樋を通して江戸市中各地へと配水していました。
四谷大木戸の水番所(水番屋)では、水番人が詰めて塵芥の除去などを行っていました。 このほか大木戸の水番所は、市中への配水量を調節しつつ、余った水を渋谷川(穏田川)へと放流する役割も行っていました。
東京都水道局新宿営業所の裏側にある「四谷大木戸跡」、江戸城を守るため、甲州街道に設けられた大木戸(関所みたいなもの、門)です。ここで通行人の取り調べなどを行いました。両側に石垣を設け、その間に門を作った、櫓門のようになっていたといいます。しかし、1792(寛政4)年に撤去されてしまいました。
「四谷大戸木跡」に近い「新宿御苑」にも当時の名残りがります。「旧大木戸門門衛所」は、「新宿御苑」の出入り口のひとつである大木戸門の名前は、四谷大木戸に因むものです。昭和2年に建てられ、大戦の戦火にも耐えた歴史的価値を非常に感じる建築です。
また、このあたりは甲州街道最初の宿場となる「内藤新宿」が開設されていました。約1kmにわたる街道で今でも名残りがあります。
『玉川上水』の終点に近い新宿御苑の「親水公園」付近では、『玉川上水』は御苑北縁の道路下に埋設されていて、大雨時などの下水越流時には千駄ヶ谷幹線(穏田川)へ連なる排水路として利用されています。
地上には新宿区により「玉川上水を偲ぶ流れ」(玉川上水・内藤新宿分水散歩道)の整備が進められ、2012年3月に完成した。この流れの水源には新宿御苑トンネル共同溝内に湧出した水を使用しています。
江戸時代の大水道事業の『玉川上水』、現在も使われており、江戸を偲ぶ大遺跡を自転車で走ってみました。
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