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おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2025会津若松の旅⑲大正浪漫の雰囲気のただよう『七日町通り』

2025-07-17 05:40:43 | 旅行

会津若松の旅、最後は蔵が建ち並ぶノスタルジックな通りで大正浪漫を感じる『七日町通り』を訪れました。大正浪漫の雰囲気のただよう『七日町通り』は、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。明治時代以降も重要な通りとして繁栄を極め、昭和30年代頃までは、会津一の繁華街としてにぎわっていました。その後、一度衰退したこの通りは現在大正浪漫を感じられる通りとして甦り、観光客に人気の通りとなっています。

先ずは『七日町通り』と桂林時通りの交差点からスタートです。

かくれ蔵 會や

会津木綿を中心とした生地を使って手作りされた衣類や小物がたくさん販売されています。生地好きにはたまらない空間です。おしゃれに着こなしたディスプレイが通りから目に付きます。

JR七日町駅に向かう『七日町通り』です。

鶴乃江酒造㈱

全国区の人気酒蔵です。『会津中将』がメインブランド。でも最近は女性杜氏が醸す日本酒として『ゆり』のブランドも人気があります。大きな蔵ではないので、昔ながらの目の届く範囲内で高品質な日本酒を作られています。

バンダイスポーツ七日町店

大規模スポーツ店かwebショップ全盛の昨今、この店は野球一色。野球愛を全身に感じます。

スタートから350m駅に向かった地点です。この先は電柱が地中化され、よく整備された「七日町ふれあい通り」になります。

もめん絲

会津木綿が買える店で、会津木綿を利用した小物や手作り小物も豊富です。

 

手作り』にこだわった、昔ながらのお菓子たち

嘉永元年(1848)創業以来、

そして、創業嘉永元年の老舗長門屋の蔵づくりのモダンな店舗です。5代150年余にわたりお菓子造りに取り組んできた老舗。会津産鬼クルミを使った「香木実」「くるみゆべし花雪」や、「羊羹ファンタジア」「会津起上り最中」など、お土産にぴったり。

そして『七日町通り』の終点 あいづふるさとアンテナショップ 駅カフェ

JR七日町駅舎内にある会津17市町村のアンテナショップです。

『七日町通り』は、JR只見線の踏切で終了です。

JR只見線は旧型(キハ110系)と新型(キハE120系)の2種類があります。 2両編成で新旧車両が1両ずつ繋いである列車もありました。

全長約250mの『七日町ふれあい通り』です。綺麗に整備されています。

お昼は、通りにある「あかべこカフェ」で頂いた玉子サンド分厚い、美味しかった。

会津若松の旅の最後は、郡山へ向かう磐越西線の会津若松駅でSLに出会いました。1999年4月29日から磐越西線で復活を遂げたSL(C57-180)で定期運行しているSLばんえつ物語です。SLばんえつ物語は、新津駅 - 会津若松駅間を磐越西線経由で運行している臨時快速列車です。

最後にSLの歓迎を受けて、郡山へ戻ります。

完。

 

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2025会津若松の旅⑱登り窯がある会津本郷焼『宗像窯』

2025-07-14 11:03:15 | 旅行

会津若松の旅、次は400年以上の歴史を持つ伝統的な会津本郷焼を見に行きました。

会津本郷焼は、 陶器と磁器の両方が作られており、各窯元ごとに独自の技法やスタイルが受け継がれています。 そのため、一つの焼き物としての統一性がありながらも、窯元ごとに異なる個性が光る点が特徴です。 丈夫で実用性に優れた会津本郷焼は、日常使いの器として広く親しまれています。

会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」があります。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「にしん鉢」で古くからにしんの山椒漬け専用として使われてきました。「にしん鉢」で有名な「宗像窯」を訪れました。

「宗像窯」の先祖である宗像出雲守式部は、767年(奈良時代)に福岡県宗像大社の神官として布教の為会津美里町(旧会津本郷町)に移り住み、宗像神社を建立し、代々神官をしておりました。当時、神官は布教活動を行う地域で生活の糧を自らの工夫によって得るのが原則であったため、会津本郷焼の産地として発展していたこの地で、1719年(享保4年)より、「宗像窯」を創業し、神官の傍ら焼き物作りを始め、文政の頃、八郎秀延の代より専業となりました。

「宗像窯」では伝統的に登り窯で焼成をしておりましたが、現在ではガス窯も併用しております。登り窯につきましては、焼き方は始めに一番下の大口で2日ほどかけてゆっくりと窯全体を暖めながら温度を上げていき、一旦大口を閉め、上の部屋の焼きに入ります。ここからの焚き方は横焚きになり、左右から二人で焚いていきます。 およそ三日三晩、不眠不休で焚き続けます。

宗像窯登り窯(町指定文化財)

 宗像窯登り窯は、山の傾斜を利用して燃焼効率を最大限に高めた伝統的な薪窯です。登り窯は江戸中期に築かれたと伝えられております。現在、東北で使われている登り窯としては最古のものであり、大きさは全長約20m、幅は約5mあり、七つの窯が連なる日本有数の大窯です。


 2011年東日本大震災により被害を受けましたが、「宗像窯登り窯再生プロジェクト」(代表 大塚孝義氏)により2012年に修復されました。2013年に東大寺の北河原公敬別当ご臨席のもと復興祈願式が執り行われ、同年初窯が焼かれました。そして、2017年に修復後、2回目の窯焚きが行われました。現在町指定文化財になっています。

近くには能満山常勝寺があります。こちらの紅葉も綺麗でした。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑰会津若松のシンボル『鶴ヶ城』

2025-07-07 05:35:41 | 旅行

会津と言えば有名なのが『鶴ヶ城』ですねぇ。名だたる名将たちが治め幕末には最後まで武士の誇りを貫き通した会津藩のシンボルです。会津若松市のシンボルである『鶴ヶ城』、その天守閣は市内のほぼ、どこからでも望むことができます。赤瓦や石垣、茶室など、みどころも豊富。市民公園になっているため、朝の散歩やジョギングなどを楽しむ人々の姿も見られます。市民の憩いの場として現代の生活に溶け込みながら、会津の歴史を今に伝えています。

大河ドラマ「八重の桜」で演じた綾瀬はるかさんの福島の復興を願う桜の植樹があります。

場内は見事な紅葉です。春は桜、秋は紅葉がよく似合うお城です。

会津若松市のシンボルである『鶴ヶ城』は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。お城といっても当時は天守はなく、館程度でした。その後、伊達政宗が城主となったあとは、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め、七層の天守を築きました。

江戸時代に入り、会津で大地震が発生。被害を受けた天守は大改修され、現在と同じ五層の天守となりました。幕末の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましたが明治7年、政府の命令により取り壊され、現在の天守は昭和40年(1965)に再建されました。内部は博物館になっています。

五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。

2011年3月、天守の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦が赤瓦になりました。赤瓦は会津松平藩の藩祖保科正の時、慶安元年(1648)頃に葺き替えられたことが記録されています。表面に釉薬を施して焼いた赤瓦は強度があり、会津の冬の厳しい寒さ、凍結にも耐えることができたようです。明治7年(1874)7月に天守をはじめ、鶴ヶ城内の建造物を取り壊されました。その6年前、戊辰戦争を戦った白虎隊の少年たちも、この赤瓦の天守を仰ぎ見たことでしょう。

『鶴ケ城』天守閣の2体のしゃちほこは、白目の部分と歯に金箔(きんぱく)、全身には銀箔がほどこされた豪華なつくりで、極め付きは瞳の真ん中に輝く大きなダイヤモンドが使われています。とても豪華なつくりです。

会津は千家茶道復興の地であります。場内にある茶室「麟閣(りんかく)」は、千利休の子、少庵が建てたと伝わり、戊辰戦争後、市内に移築されたものを、平成2年に元の場所に移築・復元したものです。内部の床柱は少庵みずから削ったとされます。千利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられた後、千家茶道が途絶えるのを危惧した蒲生氏郷は少庵を会津へかくまい、秀吉に千家再興を願い出ました。この結果、少庵は京に戻りその後、子孫は表千家、裏千家、武者小路千家と3つに分かれ、連綿として今に続いています。

 

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑯湯野上温泉『洗心亭』(2)朝食と朝の散策

2025-07-04 05:03:37 | 旅行

会津若松の旅、『洗心亭』の朝食です。会津の朝食は季節に合わせた素朴にも温かみのある和食膳です。

粒立った、甘く美味しいお米(会津産コシヒカリ)に合うおかずが並びます。

朝食後の散歩で館内を散策します。

館内には、福島県会津地方に伝わる郷土玩具・縁起物「起き上がり小法師」が語源となっているイメージキャラクター「こぼうし」が所々に置いてあります。何度倒しても起き上がる事から「七転八起」の象徴とされています。縁起物としての機能は「無病息災」「家内安全」などがあります。

湯の神が住むと言われる湯野上温泉郷は、自然湧出も含めて源泉地が無数にあり、湧出量は量り様がないほど豊富です。当温泉の歴史は古く、その由来には諸説ありますが、8世紀頃、小野嶽山頂に住む頭領の猿が、仲間との争いに敗れ満身創痍を負い、大川の西岸に辿り着き、岩場に温泉の湧出するのを発見したことが始まりと言われています。健康と美肌に効き、マイナスイオン濃度も高く、身体の芯から温まります。

目の前には奥会津の静かな森と大川のせせらぎを楽しめるラウンジ「雅流風」。湯の神が住むと言われる湯野上温泉郷で、四季折々に移り変わる絶景とともに、心も身体も温まるひとときを過ごせます。

訪れた紅葉の季節は、一面紅葉に飾られて旅館の中に居ながら絶景を楽しめれる事ができました。

『洗心亭』には昔の温泉旅館らしく売店「藤見屋」あります。地元の特産品や会津の民芸品などを販売しております。また、当館のイメージキャラクター「こぼうし」のグッズも販売しています。

『洗心亭』には隠れキャンプサイトがあります。キャンプサイトは旅館の前の一段下がった敷地にあり、バイクや車でそのまま乗り入れできます。東屋に水場があり、十分にキレイな仮設トイレも配置されています。

広さ的には学校の体育館よりちょっと大きい程度。林の中なので眺望は全くないが、近くを流れる川の音、たまに鉄道の踏切、警笛の音、列車が橋を渡る音が聞こえてきます。風が木々を揺らす中の木漏れ日が非常に心地よい空間です。

キャンプ場の使用料は一人2500円ですが、旅館の露天風呂付きの浴場を利用可能なのでそれだけでも1500円以上の価値があります。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑮湯野上温泉『洗心亭』(1)館内散策とお待ちかねの夕食

2025-07-01 05:29:56 | 旅行

会津若松の旅、南会津の泊は 湯の神が住む郷「湯野上温泉」の『洗心亭』に泊まりました。『洗心亭』は周囲を約4,500坪にもわたる自然林に囲まれた森の中にあり、源泉かけ流し100%の天然温泉と会津の素材をふんだんに使う会席料理を美しい自然の中で楽しめる温泉旅館です。

『洗心亭』には四季折々の表情を見ることができるラウンジがあり、夜は客様の会食場として朝はティーラウンジとして利用できます。

食だけではなく、お客の心も癒す空間となっており楽しめます。

ラウンジの外にはベランダがあり、真近いに南会津の紅葉を楽しめます。

お待ちかねの『洗心亭』の夕食は、自然豊かな奥会津の素材をふんだんに使う、他では味わえない四季折々の品数豊富なお料理です。頂いたのは会津の「いま」を感じる「会津秋のめぐみ彩膳です。

福島の酒、先付け、前菜

いちじく豆腐 蒸し海老

お造りのお刺身

しめじと豆苗の和え物

破筍と山フキの煮物

南郷トマトカプレーゼ

鮎の塩焼き、昆布の山椒煮

りんごグラタン

季節の天ぷら

福島牛すき焼き(地鶏卵)

柿のヨーグルト掛け
アプリコットジャムとぶどうを添えて

会津地方には、古くから伝わる縁起物の郷土玩具の一種である起き上がり小法師があります。起姫(おきひめ)とも言われています。会津の人にとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具で、稚児をかたどった可愛らしさがあります。『洗心亭』は食器にも凝っており、楽しめます。

続く、、、

 

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