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おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2025会津若松の旅⑨江戸時代にタイムスリップの大内宿(1)

2025-06-10 01:09:45 | 旅行
会津若松の旅、次は『大内宿』を訪れました。福島県南会津にある『大内宿』は、江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました。現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、この景観を引き継ぐために店舗兼住居として生活しています。会津若松から南へ約30km、国道121号線県道131号線を通り到着です。
 
 
『大内宿』の敷地内へは周りが畑の一本道を進みます。
 
 
里山の中に茅葺屋根の民家が見えてきました。さすがに電線が通っており、電気がある生活をしています。
 
 
『大内宿』にある一本道は約500mあり、江戸時代には会津西街道の宿駅として栄え、旅の要所として重要な役割を果たしてきた地域です。整然とした屋敷割や本陣、脇本陣など当時の姿をとどめ、国重要伝統的建造物群保存地区になっています。街道沿いに並ぶかやぶき屋根の家々は、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
 
 
茅葺屋根の家の見学は後にして、先ず『大内宿』名物の「ネギそば」をお昼に頂きました。頂いたのは、『大内宿』の一番奥にある「浅沼食堂」です。「浅沼食堂」も茅葺屋根の民家で、入り口からの大通りの1番端、見晴し台のふもとにあり 昔ながらのおうちで囲炉裏もあります。
 

『大内宿』は、昭和56年には国重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、
この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り景観保存と伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。
 

「浅沼食堂」では、お通しに大根とネギの煮汁が出てきます。

そして『大内宿』名物の「ねぎそば」です。「ネギそば」は、お箸の代わりに丸ごとねぎで食べるそばのことで、一般的には輪切りに刻んで薬味とされるネギをお箸代わりにそばをたぐって、それをかじりながら食べるという奇想天外な郷土食です。

御馳走様、続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑧飯盛山(2)色々見どころのある飯盛山観光

2025-06-07 11:31:45 | 旅行

会津若松の旅、「飯盛山」に来ています。

山頂の広場には「白虎隊十九士の墓」があります。慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽伏見の敗戦によって会津藩はこれまでの軍事的欠陥をさとり、3月10日、改めて軍隊の編成替えをおこないました。

そこで誕生したのが、中国の四方(東西南北)の武神の名のもとに、『玄武隊』『青龍隊』『朱雀隊』『白虎隊』の4隊でした。それぞれの隊は年齢によって編成され、更に各隊は身分階級によって、『士中』『寄合』『足軽』の3隊に分けられ、白虎隊は総勢343名(現在の推定)でした。

そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名でした。そしてその中の17名は無事に入城しましたが、20名は「飯盛山」で自刃をされ、1人蘇生された飯沼少年を除いた19士の墓となります。

「飯盛山」の山頂からは鶴ヶ城がよく見えます。

「飯盛山」の山頂には 飯盛分店展望広場があり、山頂の一帯を見渡せます。

山頂の北側になる「さざえ堂」です。正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。

その形が さざえの殻に似ていることから俗に「さざえ堂」と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

近くには五穀豊穣の神、「宇賀神(白蛇)」をお祭りしています。寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建設され、現在は明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られております。

「飯盛山」の山頂から「さざえ堂」の前を通り、北側に下っていくと「戸ノ口洞穴広場公園」があります。猪苗代湖から流れて来る水の公園で紅葉に時期には、素晴らしい紅葉の絨毯が敷かれます。

公園内には猪苗代湖の水が流れ出る「戸の口堰洞穴」があります。天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため「飯盛山」に向かう際、この洞穴をくぐりました。

「戸の口堰洞穴」は、「飯盛山」の山腹に掘られた水路です。江戸時代初期に、猪苗代湖の水を会津藩内に引くために開削に取り掛かったのが始まり。江戸末期には大改修が行われ、「飯盛山」には約150mの洞穴が掘られました。

戸ノ口原での戦いに敗れた白虎士中二番隊の20名が、鶴ヶ城の安否を確かめるためにこの洞穴を通って「飯盛山」に出たと言われています。現在、内部はコンクリートの水路トンネルとなっており、秋には洞門くぐりが開催されます。

又、公園内には厳島神社があります。そばの御神木からは何百年にも渡るこの神社の歴史が感じられます。緑と水路に囲まれた空間は清々しく、神聖な気持ちで参拝する事ができます。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑦飯盛山観光(1)「白虎隊」の自刃の地

2025-06-04 05:41:40 | 旅行

会津若松の旅、会津若松市街の東2kmにあり、城下町を一望に見渡す小高い山の「飯盛山」を訪れました。

ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。

又、「白虎隊記念館」主に「白虎隊」をはじめとする戊辰戦争関係の史料(遺品、遺墨、写真など)を収蔵、展示しています。2階ではアニメによる「白虎隊」の解説ビデオ(10分)を上映しています。

城下町・会津若松市を一望できる標高314mの小高い山の山頂へは、183段の階段を登れば到着できますが、スロープコンベア(動く坂道)を利用すれば、より簡単に山頂へとたどり着くことができます。

石段は山頂までは183段です。山頂から素晴らしい景色が眺めれます。

山頂の広場には着くと色々な建造物があります。1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑が目につきます。

「飯盛山」の山頂からは鶴ヶ城が見えます。会津若松市内を一望する「飯盛山」の紅葉も素晴らしいものがあります。

そして更に奥へ進むと「白虎隊自刃の地」があります。戊辰戦争慶応4年(明治元年)~明治2年の戊辰戦争で、会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊でした。彼らは明治元年(1868年)8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の「飯盛山」へと落ち延びました。

だがここから眺めた戦闘にによる市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。

「飯盛山」まで辿り着いた白虎隊士で、ただ一人、生き残られた飯沼貞吉さん。貞吉さんのおかげで、白虎士中二番隊が後世に伝わりました。 亡くなられて此の地に眠られているが、60数年ぶりに、共に戦った仲間とお会いできたのだと思います。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑥ワシントンホテルのディナーと朝食

2025-06-01 17:23:26 | 旅行

会津若松の旅、お泊りは駅前に近い「会津若松ワシントンホテル」に宿泊しました。

そしてお待ちかねの夕食は「ワシントンホテル」の最上階にあるレストラン「ガスライト」で頂きました。「ワシントンホテル」駅前にあり会津若松の中心に位置して市内全域を見渡せます。

さて、ディナーは、

前菜3種

帆立のソテー会津山塩添え

キノコ・ベーコンパスタ

デザートにマンゴー

さすが結婚式なども多く手がけるホテルということもあり、お料理は大変美味しゅうございました。

そして朝食は、ていねいに心をこめた、朝ごはんです。シェフたちが腕を振るい、胸を張るのは、地域の食文化と旬に出会える、地産地消の郷土料理。出来たての風味を五感で味わえる献立です。そして、旨みや食感も追求した、炊き立てごはんとパン。「ワシントンホテル」は、心と体を温かく満たす朝食でした。

この日はよく晴れて、最上階にあるレストラン「ガスライト」から会津若松の市内を見渡せました。先ずは南方向、鶴ヶ城方向です。

そして北方向、喜多方の方向です。

最後は北東方面、磐梯山、標高1816mです。

そしてホテルのロビーに飾られているデコレーションがすごい。会津若松はやはり日本酒の街ですね。。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅⑤ターミナル駅会津若松駅と駅前の会津酒楽館

2025-05-29 05:32:28 | 旅行

会津若松の旅は、「会津若松駅」に戻って来ました。「会津若松駅」には磐越西線只見線が乗り入れています。また、磐越西線はJR貨物の第二種鉄道事業区間でもあり、JR貨物の貨物駅でもあるが、現在はオフレールステーションに移行している様です。

磐越西線においては途中駅であるが、当駅から北東と北西へ線路が走っており、スイッチバック構造をしているほか、当駅から郡山方面のみが電化されています。そのため磐越西線は当駅で系統分離されています。南方向に只見線が分岐し、同線西若松駅を起終点とする会津鉄道会津線の列車も只見線経由で当駅まで乗り入れています。1番2番線ホームの車止めです。

磐越西線の会津若松ー新津間を結ぶ車両はGV-E400系の電気式気動車です。

磐越西線の会津若松ー郡山間は、E721系電車です。

会津若松駅前には会津若松を象徴する「白虎隊士の像」があります。白虎隊は戊辰戦争の際に会津藩隊士の子息で組織された軍隊です。鶴ヶ城を守るために日夜活動していました。飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て自決したことで知られる白虎隊です。駅前では白虎隊士が飯盛山を見つめています。

会津若松駅駅舎は歴史のある街の玄関口として、特徴的な瓦葺きの屋根の駅舎となっています。駅前広場は広々としてタクシープールが広がっています。

酒の美味しい会津地方で会津若松駅の近くに「會津酒楽館」があります。「安全」「美味しい」をキーワードに会津の地の物を中心に、旬の限定品や定番品の紹介、隠れた酒蔵紹介や会津こだわりの店、名所などいろいろな情報を 提供してくれる酒屋さんです。

會津の地酒を購入するならここで、綺麗な日本酒の歴史がギュッと詰まったオシャレな店内は、年齢層幅広く見飽きない程に魅了させられる店内です。 地下の売り場も設けてあり店内の温度管理での面も考えています。 福島県の日本酒は勿論、會津の地酒をゆっくり堪能したい人には持って来いの場所です。ちょっと飲みたい人の為の、それぞれの酒蔵のワンカップや、冷酒等も多彩に在庫してあります。

今回購入したのは入手困難な喜多方の地酒「吉の川」のカップ。飲み口が良く、ふくらみのある味わいです。

喜多方ラーメンに合う、おいしいお酒はないかとの多数のお客様のご要望にお応えして、ついに登場したのが「喜多方ラーメン酒」です。名前は変わっていますが、純米酒で、コクがあり、飲み口すっきりの辛口です。

続く、、、

 

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