会津若松『大内宿』の旅は、『大内宿』の歴史をしる「街並み展示館・問屋本陣」を伺ったみました。
『大内宿』の「問屋本陣」は、会津若松と日光今市を結ぶ下野街道(南山通り・会津西街道)の拠点のひとつとして江戸時代初期に建てられ、会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っています。この時の行列の総人数は約600人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったといわれています。
大内宿町並み展示館として復元した本陣は、大内宿のほぼ中央に位置し、殿様専用の玄関(乗りこみ)、上段の間、風呂、雪隠があり、茅屋根のどっしりとした風格とともに当時の面影を色濃く再現しております。
館内では茅葺きに関する資料や昔の民具等の展示をしています。カッテにはいろりがあり、一年中薪を燃やし茅屋根の保存にも一役かっています。現代ではいろりのある生活も少なくなり、貴重な体験ができます。
旧問屋本陣を再建、内部に宿駅時代に使われた生活用具を展示されてます。
「本陣」は大名の宿舎となるもので、防備のための工夫や身分の高い人用の玄関やトイレ、風呂が置かれていました。「問屋」は次の宿場まで人馬や物を運ぶ”継立”が仕事でした。
最後に宿場の入口付近になる「三澤屋久右衛門」です。会津の銘酒の一つである「雪中百姓」を販売しています。「雪中百姓」は「大内宿三澤屋」の深井戸から汲み上げた地下水を逆浸透膜方式でRO水に替え、会津の名酒、醸造元「花春酒造」にて特別純米酒として作り上げました。
作りたての香りを封印したままにまろやかさを追求し大内宿の山中『雪の中』で1月から100日間寝かせます。その後に冷凍庫に床替をし、清々と育てます。まろやか美の探求です。
14年ものまであり、日本酒では珍しい長期熟成酒で希少価値の高い日本酒です。
続く、、、
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