おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2021東京谷中ポタリング『戸越銀座⇒谷中銀座』④「谷中霊園」

2021-08-31 13:42:17 | まちま~い

そしてもう一つの谷中での目的地『谷中霊園』です。

現在放送されているNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公「渋沢栄一」と主君の徳川15代将軍「徳川慶喜」が眠るのを見てみたかったのです。

『谷中霊園』は谷中の丘の上にあり見晴らしが抜群です。

こちらが徳川15代将軍の「徳川慶喜」のお墓、広い霊園に案内板がでています。

ここが「徳川慶喜」が眠るお墓です。塀に囲まれ、谷中墓地の中では一番立派な墓です。

 大正2年に77歳で亡くなるまで、明治時代をまるまる生きた「徳川慶喜」ですが、 征夷大将軍であった期間はわずかに1年と数日、その前後のある時期においては、 この人物の行動次第でその後の日本の将来はどうとでも変わったかもしれません。

優秀な人物でありながらたまたま幕末という時代に将軍になり、時代の流れに逆らうことができなかった慶喜の生涯を思うと、複雑な気持ちになる場所だ。屏に囲まれた墓の正門には葵の紋があります。

そして「神道式墓所」の様です。

左が「慶喜」で右が室の「美賀子」のお墓です。仲良く並んでいます。

そして近くに「渋沢栄一」のお墓もあります。

 昭和6年(1931年)に92歳の天寿をまっとうした「渋沢栄一」は、『谷中霊園』の乙11号1側にある渋沢家墓所に眠っています。

この「渋沢栄一」の墓はまっすぐ「慶喜公」の墓へと向いています。

「渋沢栄一」のお墓は、 左が「後添え夫人兼子墓」 中央が「栄一」 右が従兄妹でもあった先妻「千代墓」です。

生涯で設立や経営に携わった会社は500社以上とも言われ「近代資本主義の父」とも呼ばれる「渋沢栄一」は昭和6年に92歳の天寿をまっとうし、谷中霊園にある渋沢家墓所に眠っています。

 

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2021東京谷中ポタリング『戸越銀座⇒谷中銀座』③「谷中銀座」

2021-08-28 06:33:52 | まちま~い

「根津神社」を過ぎて更に北上し、いよいよ目的地『谷中銀座』に到着です。

谷中は谷中霊園を中心とした寺町であるとともに、夕日の名所「夕やけだんだん」の坂下には昭和レトロな商店街『谷中銀座』が広がり、静けさとにぎやかさを併せもつ街です。

町の商店街『谷中銀座』は、全長170メートルの通りに約70店舗が立ち並び、ロケ地やマスコミにも取り上げられ多くの人々が訪れるスポットとなりました。

下町の雰囲気が見られる懐かしい感じの商店街で、地元の方の生活拠点となっています。 迷路のような細い路地裏や、レトロな雰囲気の通りは観光スポットとしても人気となっています。

『谷中銀座』はJR日暮里駅からも近く、東京メトロ千代田線千駄木駅との中間に位置します。

そして『よみせ通り』は日暮里駅から『谷中銀座』商店街を進んだ先でぶつかります。 昔ながらのお店が軒を連ねており、下町のようなノスタルジックな雰囲気が魅力のスポットです。

江戸時代の谷中は寺町で、墓参を兼ねた行楽の地として栄え、町屋が立ち並び、独特の風情を醸す町並みを形成しました。明治・大正期になると商工業者が移住するようになるが、江戸時代から台地上の谷地を活かし、狭道をさらにくねらせ、階段を付けたり行き止まりにして敵が進入しづらい町にしたため、区画整理に不向きな地形のまま、近代的都市への基盤整備は行われておらず、木造家屋が密集する地区には、当時の町並みや建物が多く残され、江戸時代の原型を留めています。

続く、、、

 

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2021東京谷中ポタリング『戸越銀座⇒谷中銀座』②「根津神社」

2021-08-25 05:39:13 | まちま~い

谷中へのポタリングの続きです。

上野公園の不忍の池を過ぎて北上すると東京の下町のなかでも特に昭和の面影が色濃く残るエリア「根津」に着きます。

古い木造の家々や古民家を利用した昭和レトロなカフェなどが点在する昔懐かしい街並みの「根津観音通り商店会」がありました。

この辺りの中心地「根津神社」、現在の社殿等7棟は、宝永三年五代将軍徳川綱吉が奉建遷座したもので、国の重要文化財に指定されています。根津神社は、1900年前に日本神話の英雄・ヤマトタケル尊が創建したとされる古社で、東京十社の1つです。

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建しています。「桜門」、「本殿」に繋がる「神橋」。

境内にある約2000坪の「つつじ苑」には、100余種3000株のツツジが咲き競います。見頃は4月中旬から下旬、種類が多く早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社です。立派な「桜門」。

「乙女稲荷」へ向かう「千本鳥居」。

「御社殿」は宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行ったとのことです。

江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。

翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されています。

 

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2021東京谷中ポタリング『戸越銀座⇒谷中銀座』①「東京の中心通り抜け」

2021-08-22 07:48:50 | まちま~い

『谷中銀座』は東京23区のほぼ中心に位置する台東区にあり、東京の北の横綱商店街です。南の横綱商店街「戸越銀座」から走ってみました。

「戸越銀座」からは国道1号線をずっと北上します。途中JR五反田駅を抜けて高輪台の丘を越えて東京タワーの見どころである「三田通り」にはいります。この通りから見える「東京タワー」は都会のビルに挟まれていますが、よく「東京タワー」の全景が見えて見る人を圧倒させます。

そして三田と言えば「慶應義塾大学」、一際目立つ立派な校舎です。

更に国道1号線をずっと北上すると「皇居」の内堀にぶつかり、ここで国道は20号線に変わります。

昔の江戸城の内堀は今も変わっていません。

内堀を渡るといよいよ江戸城の本丸へ向かいます。

近くには東京オリンピック2020の行われた「東京国際フォーラム」があります。

そして「東京駅」、1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきました。既に改修工事も終わり、丸の内近辺もよく整備されて一大観光スポットになっています。

更に北上して「大手町」に入るとワクチン接種の「自衛隊大規模接種センター」、自分の番はまだまだと横目で見ながら進みます。

道はずっと直進ですが、御茶ノ水を超えた辺りから道の名称が「都道452号線」なり 更に北上すると「上野公園不忍の池」に到着です。

対岸に見えるたてものは「上野精養軒」、「上野恩賜公園 」内にある老舗 西洋料理 店で日本における フランス料理 店の草分けの存在です。

明治期には国内外の王侯貴族や名士達が馬車で駆けつけるなど、鹿鳴館時代の華やかな文明開化を象徴する存在でした。

続く、、、

 

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2021東京世田谷ポタリング『烏山川緑道』⑤

2021-08-19 05:32:35 | まちま~い

いよいよ『烏山川緑道』の終点に近づいてきました。

8棟ある巨大なUR賃貸住宅の「希望が丘団地」です。『烏山川緑道』はこの団地の中を通ってます。

『烏山川緑道』が以前川だった証の橋の跡です。こんな形で「梶山橋」が残っています。

そして巨大団地の隣にある「希望が丘公園」です。「希望丘公園」は昭和52年に開園した洋風づくりの公園です。

公園内には、球戯広場、壁泉広場のほか、時計台やアーチ橋、複合遊具などの施設があります。壁泉から水が流れる様子は、周囲の風景と共に、清涼感を感じることができ、もともと「烏山川」が流れていた場所の公園です。

そして『烏山川緑道』の終点の世田谷区立「千歳温水プール」です。

川の源流ではありませんが、緑道の終点の様です。

実は「烏山川」はまだ上流がある様で延長の緑道がありました。名称は『八幡山緑道』となります。道を挟んで「希望が丘公園」の向かい側にあります。「烏山川」はここに続いている様です。

「希望が丘公園」の前の道を超えて「八幡山緑道」には子供が水遊びできる「世田谷区立じゃぶじゃぶ池」があります。コロナ禍の時期では使用できません。

更に進むとよく整備された緑道が続きます。

途中、明治大学の合宿所や日大の寮があります。若い力が溢れる緑道です。

そして緑道を更に上っていくと環状八号線にでます。

ここが川であった証の「道草橋」があります。

そして環状八号線に並行して更に進むと、以前緑道らしき道が一直線に進んでいます。

そして大きな木に当たり、緑道は消滅してしまいました。烏山川の水源はまだ先の北烏山にある「高源院」の「弁天池」とされていますが、緑道の旅はここで終わりです。

烏山川の源流を見れなかったけれど、ここで『烏山川緑道』の完走です。

 

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