【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「京都ぎらい」井上章一

2016年04月26日 22時15分33秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「京都ぎらい」井上章一

新書大賞1位の作品を読んだ。

P39-40
 大阪市の北、京都市の南西に、高槻という都市がある。大阪府下の都市である。その高槻に住む人々を、大阪人はよくひやかす。
「あんたら、もうほとんど京都やんか。大阪ちゃうわ。いっそのこと、京都になってしもたらどうや」
 おわかりだろうか。大阪では京都に近いことが、しばしばからかいの的となる。こういう揶揄がなりたつのは、大阪人があまり京都をうやまっていないせいである。統計的には語れないが、私の実感でも、京都をみくびる度合いは、大阪がいちばん強い。

芸者と芸子の違い
P66
 宴席で芸を披露して接待につとめるのは、もともと男の仕事だとされていた。江戸でも京大坂でも、彼らは芸のある者=芸者と呼ばれている。武芸の達人を武芸者というが、それと同じような呼称として、この言葉はなりたった。
 18世紀のなかごろには、その宴席へ女たちもはべるようになる。上方では、新しく登場した彼女らを、芸者(男)と区別するために、芸子とよびだした。そして、男である芸者は事実上絶滅し、今は女の芸子だけがのこっている。だから、芸者と言えば、もう見られなくなった、歴史上の男たちをさすことになる。
(中略)
 いずれにせよ、女の芸者をただの芸者とよびだしたのは、江戸東京の花柳界である。京大坂、上方では彼女らを芸子と名づけていた。
(中略)
 ちなみに、芸妓は、芸者や芸子を総称する漢語である。
(じゃあ、白拍子はどうなのか?宴席で芸をしなかったのか?そのあたりも説明して欲しかった)

P205
 新政権が慰霊の対象としたのは、討幕派、いわゆる官軍側の戦死者だけである。自分たちの味方になって死んだ者の例は、招魂社、のちの靖国神社をもうけ、合祀した。しかし、彼らが賊軍とみなした側の死者については、その霊的な処理をおこたっている。

【感想】
著者がひがみっぽい性格である、と分かった。
大阪人なら、洛中・京都人のプライドの高さを笑いとばしただろう。
きっと、真面目な方なんでしょう。

ただし、本作品はひがみだけじゃない。
様々な角度から京都を論じ、歴史的な蘊蓄が語られる。
だから、新書大賞受賞した、と思われる。
ただ、1位になるほどかどうかは、後世の判断に委ねたい。
(2位になった「生きて帰ってきた男」の方が、労作と思うし、先日読んだ「歴史認識」とは何か」も、もっと高ランクになっても良かった、と思う。基準がイマイチ分からない。歴史問題を扱った作品は当たり障りがある、とか…。まぁ、「参考にしてくれ」、ってことだろう。もし、関東の方なら、お坊さんの話とか新鮮に感じただろう…もう知ってるし)

PS
これって、京都に限らず、東京二三区の住民が、埼玉県をはじめ他府県民を低く見るのに通じる感情のように思う。

新書大賞|特設ページ|中央公論新社

honto - 新書大賞2016 今最も読むべき新書が決定!!:ネットストア

【ネット上の紹介】
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

[目次]
1 洛外を生きる(京都市か、京都府か
さまざまな肥やし ほか)
2 お坊さんと舞子さん(芸者か、芸子か
呉服と映画の時代は、すぎさって ほか)
3 仏教のある側面(北山の大伽藍
写真とイラスト ほか)
4 歴史のなかから、見えること(皇居という名の行在所
京都で維新を考える ほか)
5 平安京の副都心(嵯峨、亀山、小倉山
南朝の夢の跡 ほか)

この記事についてブログを書く
« 「日本の神話古事記えほん」... | トップ | 「台湾生まれ日本語育ち」温又柔 »

読書(エッセイ&コラム)」カテゴリの最新記事