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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

第三十三回「くらしの教養大学」開催される 1999年

2010-11-30 07:18:25 | 『しらうめ』19号(1999)

 過日皆様にお知らせしました、県婦連主催による「くらしの教養大学」に、会長、ほか二名が入学し、めでたく、修了証書を受けることが出来ました。

一月二九日  私たちの年金はこれからどうなるか
二月十五日  遺伝子組み換え食品が、私たちに与える影響は?
二月二三日  私たちの暮らしと、環境ホルモン
三月 一日  蛋白資源と私たちの健康 見直されている、日本型食生活

 毎回百人ほどの受講者がらり、怖い話ばかりでした。今、世間を騒がせている問題です。
 会員の皆様にも是非考えていただきたく、報告する次第です。

   菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月


埼玉県ごみ減量推進会に参加して 奥平正子 1999年

2010-11-29 18:56:23 | 『しらうめ』19号(1999)

 当推進会に参加して三年目となります。会の内容は従来から埋め立て量を減少するため、焼却を中心としたごみ処理に大きく依存していた。が、焼却処理に伴い発生するダイオキシン類による環境汚染の実態が全国各地に明らかになり、埼玉県も焼却処理中心見直しの状況を、資源循環型のものに転換していき、製品の製造、流通の段階にまで逆戻り、ごみの発生や排出を抑制するシステム作りを希望としているのがこの会です。学識経験者三、事業者団体七、県民団体六、行政団体六、計二十二人の集結です。最新活動としては、容器包装廃棄物の店頭回収のあり方を県知事に提出したところです(「コンビニの店頭でペットボトルの回収箱を設置していただく。ただし飲み残しのないようにご協力を仰ぎたい」。
 こういう最中、ダイオキシンについては色々な角度からマスコミが取り上げ異常な程関心がもたれています。特に県内では所沢が注目され、野菜やお茶等のダイオキシン濃度公表値を発表するまでに至り、幸いにして世界の取り決めである安全数値以内ということでお茶好きの私もホッとしています。
 それでは嵐山町はいかがなものでしょうか。環境課に聞いてみますと、燃えるごみ → 小川地区衛生組合。資源プラスチック類 → (株)エコ計画。紙類→永田紙業等、各業者にお世話になっているという。この中の一つ(株)エコ計画は近隣の御理解と御協力により嵐山花見台工業団地内にあり、中間処理工場で皆さんからの募集の動物のマークが外壁に書かれている建物です。金属くず、空カン等は圧縮処理→再資源化へ、廃プラ、紙くず、木くず、ゴム繊維等は油圧プレス圧縮 → 固形燃料へ、汚泥は肥料化へ、まだまだ処理方法はありますがダイオキシンも発生しない程の安全数値内になる高熱焼却炉を使用しているようです。そして二千年までには取り扱い廃棄物の九〇%をリサイクル目標にしているということです。又、花見台のエコ計画で処分できない物(接着剤を使用した物等)は群馬県のエコスペースへ運ぶそうです。そこは十年先を見越した処分場の整備を実施しており、その後の跡地利用も考慮しているといっております。今までの処分場には植樹がされ、十年後には回りの自然と区別できない風景になる様子です。とにかく今年度は一度見学してみましょうね。
 花見台のエコ計画、群馬のエコ計画のそれぞれの要望はとにかく徹底的の分別を要求していました。そこで婦人会の皆さんの漲るばかりのパワーで現環境を昔のよさのわかる自然環境に変えていきませんか。一人ではできないことも会員皆さんの徹底的分別の一声運動で一人が五人に声をかけ続けると、嵐山町内に浸透していくことも一年かからないと思います。
 若者によき環境になるように伝えていく事も、高齢者により深く、浸透させていく事も私達中間層の仲間達ではないでしょうか。環境を大切にする心を持つ人を育てる事も貴女なのです。
 一人一人の徹底した分別は手間もかからない状態で業者へ渡すことになり、ゆくゆくは税金も安くなる方向に繋がり、私達のパワーが町の財政にも影響するはずです。そして町の環境をよくし、県の環境も向上し住みよい世界となる訳です。青い空は繋がっています。私達中間層の働き次第で地球を救うのです。
     “大きく動こう!菅谷婦人会よ!”

   菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月


月と水 嵐山町教育長・飯島留一 1999年

2010-11-28 18:54:00 | 『しらうめ』19号(1999)

 柳生新陰流の剣の極意といわれる歌に、次のような歌があります。

 「映るとも思はず、映すとも思はず、映る月と水」

 月は自分の姿が水面に映っているとは思っていない。池の水も自分が月の姿を映しているとはさらさら思ってもいない。しかし現に月は水面にくっきりとその姿を映しているのだ。
 この歌が剣の道にどう関わっているのか素人のわたしにはわかりませんが、考えてみると我々人間社会も、このようなことが言えるのではないでしょうか。
 たとえば家庭、親は己の姿が子供に映っているとは思っていませんし、子供の方も親の何かを映しているとは思っていません。しかし、傍から見れば、まさに「月と水」で、親の姿がくっきりと子供に映っていることを見出して驚くことがよくあります。
 「子は親を映す鏡」という言葉がありますが、まさにこの「月と水」の関係を言っているのだと思います。“似たもの夫婦”という言葉も同じことだと思います。
 学校においても同様だと思います。
 教師は、自分の考え方、感じ方、喋り方、板書の文字、身だしなみ、そういうものが、子ども達に映っているとはひごろ思ってもいないと思いますし、子どもたちもそんなに感化を受けているとは思っていないのではないかと思います。しかし、事実として教師の人柄や生き方は、子どもたちに多くの影響を及ぼしているものなのです。
 晋の名宋相、謝安の夫人が、平生一向に夫がわが子を教えないのに不満を表わし、「あなたが、子を教えているところを見たことがありません」とからみますと、謝安曰く、「われは常に子を教える、これある哉」つまり、いつも一緒に暮らしておるのですから、四六時中、お手本を示しておる。別に新しく説教するまでもないと言うのです。
 親も教師も、子どもたちの前でこう言い切れる自信のある生き方をしたいものです。

   菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月


健康を求めて(その四) 嵐山町長・関根昭二 1999年

2010-11-27 18:53:00 | 『しらうめ』19号(1999)

 『しらうめ』の第十七号で「私が毎日実行している方法は、入浴時に腹部と咽喉部を塩でマッサージする事です」と書きましたが、このところ少し中止しました。それは一月中旬に寒い日がありましたので、私は「オンパックス」という貼る懐炉をシャツの上から腹部に貼りつけて何日か過ごしました。それを見て女房が肌着の上に貼った方が暖かいと言いましたので、肌着の上に貼って一日を過ごしました。そして風呂に入る時、見ましたらへその周囲が紅くひぶくれしていました。昼間は何にも感じませんでしたが、やけどをしてしまったのです。これでは到底塩でこする事など出来ません。やけどが治るまで一時中止することにしたのです。
 のどの方は関係ないのですが、効果の方がさっぱり分かりませんので同時に止めてしまいました。のどについては、私はアレルギー体質によるものだと思っていましたが、今度は別のお医者さんに診断してもらいました。私がアレルギー性だというと、血液を検査してみるからと言って採血しました。その後の結果は「ハウスダスト」によるものだということです。これは空中にある微細なダニによるものだと説明されました。私は早速バルサンを求めて私の室中を煙で満たしました。先生にこのことをお話ししましたら、そんなことしても何の効果もないと言われました。このダニは空気中に飛んでいる目に見えるようなものではないから、タイのような風の吹いている国へ行けば居ないんだという話でした。
 私の室は足の踏み場もないほど、本や雑物が散らばっていて掃除は到底出来ないのでホコリもたまっているのです。私ののどはそうした環境から発生したもののような気がします。
 先生から薬をもらって飲み始めましたら、咳の出る現象は全くなくなってしまいました。
 今は薬を止めて一年にもなりますので、また薬をもらわなければと思っています。

   菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月


青木さんを訪ねてマレーシアへ 菅谷婦人会長・根岸千穂子 1999年

2010-11-26 18:50:00 | 『しらうめ』19号(1999)

 成田発十三時JL航空でマレーシア・クアラルンプールに向かう。窓から下を見ると、海の上に、白い雲がまるで羊の群が散歩をしているように、ぽっかりぽっかり浮かんでいる。時計を一時間早める。六時過ぎ、夕焼けに雲が染まっている。飛行機より高い入道雲の横を通過し、マレーシアの陸地が見えてきた。近づいてくるときれいに整理された畑に、やしの木が整然と植えられているのが見える。これは、やし油を取るそうだ。また、ところどころ赤い土が露出しているところがみえてくる。これは木を切り出して輸出した跡だと分かる。主に日本だそうだ。
 六時四十五分クアラルンプール空港に着く。迎えに出て下さっているはずの青木さんの姿を探す。いたいた、懐かしい姿。すっかり、この国にとけ込んでいる様子がうかがえる。皆で再会を喜ぶ。
 空港の外へ出ると、むっと暑い空気が動く。皆んな夏の姿となる。バスで青木さんの住んでいるコンドミニアムに向かう。
 二十七階建ての、二十三階に住まわれていて、ベランダからの夜景が素晴らしい。まるでディズニーランドのピーターパンの世界である。ランドマーク・ベトロナス・ツイン・タワーのみごとな照明。街全体が、おしげもなく灯りがついている。十時を過ぎたというのにまだまだ躍動している。昼間の疲れで私達は眠りに着く。
 雲の切れ目から、朝日が顔を出す。もう街はさまざまな音につつまれ、一日が始まっている。私達も、青木夫妻の案内で朝食をとるため街へ出る。歩いて十分程の所で粥の朝食、客の注文をつたえるウエイトレスの声のいいこと。まるでオペラの一場面に私達もいる様な気分になる。そこから少々歩いたところにチャウキットマーケットがある。ここはたくさんの種類の果物、魚、むき出しで積み上げられた肉類、日用品の露店が、所狭しとのきをつらねている。いろいろな匂いがいりまじり、人が生き生き生活しているのだとしっかりと思わせる。初めてみる果物もあり、あれもこれもと買い求めてしまう。またハーブ類も料理に使われているので種類も多く値段も安い。衣類もたくさんあって汗を流しながら散策する。
 夜はバングサ、ナイトバザールへ行く。人、人、人でごったがえしている。屋台がのきをつらねている。ありとあらゆるものを売っている。Tシャツ等は五リンギッ(日本円は一リンギッが三十二円位)程で買える。物価が安いのにはうれしくなる。
 次の日は、オートキット・ガーデンに行く。温室でしか見たことのない、らん、ハイビスカスが太陽の下で咲いている。種類もたくさんある。近くには国家記念碑、国会議事堂などがありクアラルンプールの真中である。
 街から少し離れたシャ・アラムには美しい青いドームのモスクが建っている。見学者は女性は紺色の足首までかくれる長い上着を着て、スカーフをかぶり、男性もショートパンツの人はやはり上着を着る。七十歳位(とても若く見える)の男性が案内してくれる。青木さんは何回も訪れているとのことで案内の方とはとても親しく、丁寧に案内して下さる。敬けんな気持ちになる。金曜日には礼拝に訪れる信者でうめつくされるそうだ。帰り道、ドリアンだけを売っている露店があり青木さんはみごとなマレー語で三人の男と交渉してドリアンを買う。鉈で切れ目を入れてもらう。その匂いの強烈なこと、しかし果物の王様と言われるだけあってその美味なことといったらたとえようもない不思議な味である。一人は匂いにたえられなく逃げてしまう。その分しめしめと皆んなで食べてしまう。
 バトウケイヴ・ヒンドウ寺院のある大鍾乳洞、急勾配の階段を登って行くとヒンドウ教の寺院が大きな鍾乳洞の中にあり、日本の赤ちゃんのお宮詣りと同じように、生れて一、二ヶ月の頭をそって黄色い粉をつけた赤ちゃんを神の前に置き礼拝を受けていた。どこの国でも小さな命を大切に無事に大きくなる様に祈るのだと思った。
 次の日はLRT(モノレール)に乗る。座席はジュラルミンで出来ていて冷たい。一年中暑い国なのでこんな所も日本とは違うのだと思った。二駅程で国立モスクの駅に着く。ここでもスカーフをかぶり、ショートパンツの人は長い上着を着て見学する。すみずみまで掃除がゆきとどいていて、宗教をだいじにしていることが分かる。
 街を歩いてみて、女性はほとんどの人がスカーフをかぶっている。男性も頭の上にちょこんとのる帽子をかぶっている。歩調もゆったりとしていて、全体がゆるやかに感じられた。
 クアラルンプール二十三時発JALで帰途に着く。青木夫妻には大変お世話になり、楽しい旅行ができました。
 青木さんは英語、マレー語共に堪能でみがきのかかった素晴らしい女性になって日本に帰ってこられます。婦人会にもその風を入れていただいて皆んなで向上してゆきましょう。

   菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月