快気分析

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仕組みとアプローチ -   明智光秀が大敗した山崎の戦いの謎 秀吉と毛利氏の自己矛盾

2019-05-25 08:50:49 | 明智光秀
 明智光秀が山崎の戦いで短期に大敗した要因の一つには、秀吉軍の中国おお返しが有ります。
 当時は秀吉が毛利方の備中高松城を水攻めしていたのですが、秀吉は本能寺の変を知るなり信長に無断で勝手に和睦案を示し、毛利氏も短時間で判断してそれに応じたため和睦が成立した、と言うの通説ですが、以前にも記事にした通りで当時において本当に和睦が成立していたのかどうかは疑問とも考えられる面があります。
 この和睦なのですが、見直してみると更におかしな点が有るのです。
 それは矛盾が二つ有る事です。
 一つは「鳥取城の戦いの時に城主の切腹を思い止まらせようとした秀吉が、今度は備中高松城では城主の切腹を条件にしているのはおかしいし、妥協した毛利氏もおかしい」と言う点です。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E7%B5%8C%E5%AE%B6#%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%9F%8E%E7%B1%A0%E5%9F%8E%E6%88%A6%E3%80%8C%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%9F%8E%E6%B8%87%E3%81%88%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%80%8D

吉川経家

(中略)

鳥取城籠城戦「鳥取城渇え殺し」

(中略)

6月、経家の予測より早く羽柴秀吉率いる2万の軍勢が因幡に侵攻し、7月に鳥取城を包囲、攻撃を開始した。秀吉は無闇に手を出さず、黒田孝高の献策により包囲網を維持し続けた。鳥取城は包囲網により糧道を断たれ、陸路および海路を使った兵糧搬入作戦も失敗。兵糧は尽き、2ヶ月目には城内の家畜や植物も食べ尽くし、3ヶ月目には守城兵の餓死者が続出し始める。城内は「餓死した人の肉を切り食い合った。子は親を食し、弟は兄を食した」という地獄絵図となった[1]。それでも4ヶ月の籠城に耐えたが、10月、経家は森下道誉・中村春続と相談し、ここに至って城兵の助命を条件とし、降伏することとなった。

秀吉は経家の奮戦を称え、責任を取って自害するのは森下道誉・中村春続だけでよく、経家は帰還させるとの意思を伝えた。しかし経家はそれを拒否し、責任を取って自害するとの意志を変えなかった。困惑した秀吉は信長に確認をとり、信長は経家の自害を許可した。

引用終了

 城主である吉川経家が切腹するつもりなのを何とか思い止まらせようとしたのに、備中高松城の水攻めでは城主清水宗治の切腹を和睦の条件にしているのです。
 矛盾していますね。
 もう一つのおかしな点は秀吉が信長に援軍要請する位の大軍を動員し始めた毛利氏が備中高松城主である清水宗治の切腹で簡単に和睦に応じたと言うのかもおかしな点です。
 毛利氏が本能寺の変を知らなかったとしてもそれは元々であり、秀吉勢へ大軍を動かして戦う姿勢だったのがどうして急に豹変したのでしょうか?
 信長は過去に和睦を条件に開城させた後、皆殺しをした事が一度では無く、それは当然毛利氏も知っていたはずなのに、です。
 仮に毛利氏が本能寺の変を知っていたのだとしたら尚更和睦には応じないし退却するはずなのです。
 そして秀吉勢を追撃するかどうかは秀吉勢のワナである可能性も想定して実施しなかったとしても、鞆にいた足利義昭が勝手に上洛したように見せながらも上洛をサポートしたはずなのにその形跡は有りません。
 明智光秀からの誘いは有ったはずなのにその書状は残っておらず、もしかすると光秀からの要請が有ってそれに応じたように見せかけて調子の良い返事をし、実際には上洛をさせず光秀のハシゴを外した可能性も少なからず考えられます。
 以前にも記事で書いた通り、雑賀衆の中で反信長の中心だった土橋重治への書状はこのあたりの状況を示すものである可能性が有るのかも知れません。
 秀吉と毛利氏のこれらの動きから見えて来る事は「秀吉勢と毛利氏の和睦にはどこかにウソが有る、そしてそれは自己矛盾として残っている」と言う事です。
 中川清秀からの連絡程度では本来、本能寺で信長が落命したかどうかなどわからないはずなのに信長なら許さないはずの和睦を勝手に毛利氏と結んでしまうのも自己矛盾です。(石見銀山の当時100万石相当の利権の放棄も含んで来るのですから)。
 これらから見えて来る事は「秀吉と簡単に和睦に応じた毛利氏は既に共謀関係にあった」、そして「中川清秀は信長の落命と遺体処理について真実を知っていたから秀吉にそれを連絡した」、「なので秀吉は信長が落命してその首が決して出て来ない事がわかっていたからこそ毛利氏と勝手に和睦して明智光秀(信長の首が出て来ないと加勢する武将らがろくに得られず敗北は確実)との戦いを仕掛けた」と考えています。


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