goo blog サービス終了のお知らせ 

快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  秀吉が仮に毛利方へ寝返ったとしたらどうなっていたのか

2019-12-10 22:14:50 | 明智光秀
 秀吉が毛利氏と内通していた可能性についてその可能性はゼロではなく、内通レベルとまで行かなくても兵糧戦や水攻めと言う戦い方、それ自体に談合の臭いがするように(個人的にという程度で)思っているのですが、しかし秀吉が毛利方に寝返る可能性についてまでは確信が持てません。
 寝返りをするとその後に主君を裏切ったと言う汚名を背負って行かねばならず、そこまでリスクをとってまで謀反を実行する家臣がいたとすれば、それは死罪を宣告された斎藤利三など以外には通常有り得ないのではないかと考えています。
 その斎藤利三とても信長から死罪を言い渡された後に周囲のとりなしで何とか死罪は免れたと記録されている文献も有るようなので、本当に斎藤利三が信長襲撃を主導したのかもわかりません。
 仮に信長による斎藤利三への切腹命令が多くの者達に知られていたのだと仮定した場合の話になりますが、それを悪用して斎藤利三の明智軍を装って信長襲撃を実行してしまえば、誰が見ても斎藤利三が実行主体であると思ってしまう為、明智光秀ら明智方はもう逃げ場がなくなり、そのまま信長襲撃実行犯として突っ走るしかなくなってしまった、という事も考えられます。
 ところで秀吉ですが、仮に毛利方に寝返った場合について果たしてどうなるのだろうと考えて見ると意外な事が浮かび上がります。
 当時の状況では毛利勢は4万から5万、宇喜多勢はその半分として2万から2万5千、そして秀吉本体は2万から3万。
 これらの内で秀吉本体のすべてが秀吉の寝返りに追従して行かずに半分以下の1万のみが秀吉について行ったとしても毛利、宇喜多、秀吉勢で合計7万から8万5千。
 これはすごい数字ではないでしょうか。
 一方の織田信長、信忠、明智光秀と与力勢は合わせてもおそらく5万は行かないでしょう。
 何故なら当時は四国の長曾我部討伐に神戸信孝、丹羽長秀らの軍勢が配分されており、一度四国に渡ってしまえば簡単には中国地方には援軍に向かえないからです。
 兵力差だけでなく、毛利氏、宇喜多氏は地元の地形、気象、地盤、川や水の状況、地元民の情報網などの点から「地の利」の面で有利なわけであり、どう見ても秀吉が仮にですが毛利方に寝返った場合は織田勢はとても勝てないどころが信長、信忠が討ち取られる可能性も有るわけです。
 秀吉が実際にそれを目論んでいたのかどうかはわかりりません。
 追い詰められればおそらく実行したのでしょうが、当時においてそこまで追い詰められたいたのかどうかはわかりません。
 仮に織田勢の援軍が到着した場合に秀吉が目論んだと考えられる事はと言えば、それは毛利勢に信長や信忠を討たせる事、或いはライバルである明智光秀ら明智勢を討たせる事あたりではないかとなるのですが、その為には織田方の軍事機密を毛利方へリークする方法を採る事になります。
 敵方に味方の軍事機密をリークするという例は以前の記事でも書きましたが、小西行長が朝鮮出兵の際に、仲が悪かった加藤清正の軍勢に関する軍事機密を朝鮮側へ意図的に漏らしたというものが有ります。
 小西行長は師匠である秀吉の手法を伝授されていたのではないでしょうか。
 

仕組みとアプローチ -  調略工作が毛利方から秀吉勢へ及んでいなかった、と言う証拠などはどこにも無い

2019-12-10 08:18:40 | 明智光秀
 秀吉の調略が毛利方の重臣らの多くに及んでいたと言われる事はよく知られている事ですが、では逆に毛利方からの調略が秀吉勢へなされていた可能性についてはどうなのでしょうか。
 秀吉方の重臣らへ毛利方から調略がなされていなかったという証拠などどこにも無いし、そればかりかかなり盛んに調略工作が行われいただけでなく、秀吉本人へも調略が及んでいた可能性も十分有り得ると自分なりには考えています。
 秀吉もまた家臣のある程度が毛利氏から調略されていると薄々わかっていても気付かぬフリをしていたのかも知れません。
 何故かと言うと備中高松城の水攻めで現場にいる家臣らを毛利勢が襲撃する可能性がより低くなる、と秀吉は計算していたからではないでしょうか。これは毛利方が自身の指揮官や軍勢の温存を考えていたのとほぼ同じ事です。
 そしてこのような関係が既に鳥取城攻略の頃から始まっていた可能性も高いのではないでしょうか。