霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

人身売買(今様)

2012年11月25日 | 心霊現象
今日はちょっとショッキングな題名です。
内容もまた尋常じゃない。
この世界のどこかで今も間違いなく行われている、神からも人からも程遠い「蛮行」です。
「わたし」とは関係ない、と思っていらっしゃり、また感心も薄いかもしれない。
でも、自分の目の前で「それ」が行われると、無関心を装うことはさすがに出来ない。
これが「人の心」というものでしょうか。
そして、その人身売買が、私の目の前で行われた・・・。


買ったのは、在日韓国人。買われたのも韓国の12、3歳の女の子。
その金額は総額で100万円にも満たなかった。(当時の為替レートからみれば、円はウォンの約10倍。韓国では1000万になる)
その在日韓国人とは、私が勤めていたあの金貸しの「じいさん」。
老後の面倒をみてもらうべく、貧しい韓国の中学生になったばかりの女の子を、金を払って連れてきたのだ。(遠い親戚といっていたが、分かったものではない)
実の子供やその家族もありながら、面倒やわずらわしさやきたないことは、女中がわりに買ってきた
その子にやらせるつもりだ。

言葉一つ出来ないその子の「日本語担当」が、私だということだった。
「よろしく、たのむ」と言われても・・・。
自分の娘としての、養子縁組の手続きは終わった。
金さえ払えば、闇の家業を生業(なりわい)としている者は結構いるものだ。
法律関係は簡単に手続きが済む。これも驚きである。
あとは「娘」として使いたい放題。何でもやることがまた約束事だったのだろう。
しかし、日本に於ける義務教育は外せない。
しぶしぶ学校へやることは実行したようだ。
が、そのかかる費用が思ったより高くついた。(もっと安く、簡単に通わせられると思ったのだろう)
子供を育てるという事を考えに入れず、ただ都合よく使うことだけを考えての蛮行であれば、文句や
ぐちは当然出る。
ベランダの布団干し。小さい子がうまく出来るわけがない。また「韓国式」との違いもあるだろう。
75歳すぎた「ばあさん」の気に入るように出来るはずもない。
日本語と韓国語の入り混じった「罵倒」がとぶ。
キョトンとする「女の子」。
泣いたりわめいたり、たたかれて悲鳴をあげたり・・・。

私はちょっとした知り合いの「弁護士」に聞いてみた。
韓国では「ある」そうな。人身売買がである。しかし表向きは「無い」。闇の取引としてあるのだ。
案外日本もあったりして・・・。
東南アジア系の人身売買は「映画」になったりして、その闇の部分は少しは知っていた。
幼児売春から臓器売買まで、想像を絶する世界がまだ、ある処でまかり通っているのだ。

その子の日本語教育の教材は、私は「外」にあるものを使った。
うでを組んで歩きながら、電柱を手でたたいては「でんちゅう」、自転車があればそこへ行って指さして「じてんしゃ」と教える。
子供は覚えが早い。いや「その子」は賢く、頭もよかった。
次々に頭に入り、その「物体」も間違わず頭に記憶された。
「オー、チャジョンゴ。オー、ペコッ。オー、コット」、理解できるとスピードをあげて「日本語
教育」はすすんだ。
「あなたをなんとよぶか?」指で私を指す。「先生じゃないな」、ではお姉さんだ。
「オー、オンニー。カムサムニダ」と、手を合わせる。
こうなると可愛いではないか。いろんなことを教えたくもなる。
時々ギュット抱きしめては、その出来の良さを褒めた。
女の子のやわらかい体のぬくもりが、初めての体験として私の記憶に残る。

が、結果韓国へ強制送還された。
犯罪に手を染めたわけでもない。が、日本語が分かってくると友達が出来る。
そしてだんだんと、学校よりも「悪ガキ」と付き合うようになる。授業を途中で抜けたり、朝から一日休んだりと、その「不良ぶり」がうわさになった。
韓国色のまだまだ強い「女の子」を、面白がったのか、いじめたのかは分からない。
自分をもてはやし、相手にしてくれる子供と「たむろ」したかったのだろう、きっと。
「養女」をまた取り消すのも簡単だ。(闇の法律家があんじょうやってくれる)
「彼女」は短い時間それも幼い時に、いったい「何を」感じて韓国へ帰っていったのだろうか・・。



貧しさゆえに「幼児期」を、想像を絶する世界に身を置かざるをえない世界の子供がまだまだたくさんいることも知っている。
が、観たくないものを見ずにすめば、この世は何事もなく過ぎ去っていく。
そして日本の子供たちは、温室で無菌培養されるがごとく、これがあたりまえのようにして育って
いく。今は・・・。
国が落ち着き、大人も高学歴になり良き環境に囲まれて育つ「彼ら」は、しかしそれが稀有なことだとは思わない。
だから当然あたりまえな事に「感謝」はない。
国があり、水があり平和があり、物がある。
しかしその「あたりまえ」はいつまで続くかは、何一つ保障はない。



時々その女の子の、それも抱きしめた時の「ぬくもり」を思い出す。
体で感じたその感触は、きっと一生私は忘れることが出来ないだろう~。
幸せになってほしいとはもちろん思うが、「それ」をもってむしろ人生をジャンプして高く飛んでいってくれたらありがたい。
たとえ一時でも、どこへ行ったかも、この世に絶対にあってはいけない事である。
一人一人が「神の子」であれば、神を金で買ったことになる。
これ以上の冒涜はない!
世界で行われているこの「蛮行」に対し、地球上の全人類は「何」をもって償おうとしているのか?
「何と罰当たりな」ことが、あまりにも多いこの地球に、それでも「愛」が注がれている事実を
知らなければ、いずれ人類は自暴自棄になるしか道はない。



日本はそれでも「よい国」でしょうか?
有権者の約半分が、来たる投票日まで「どうしていいか分からない」と言っている。
御多分にもれず、私もです。
国に何をしてほしいかではなく、国に何が出来るかを考えよと言った名言があった。

この世に私は何が出来るんだろう・・・、と、私も考えています。



仕事あれこれ(2)

2012年11月22日 | 心霊現象
一昨日の間違い直し、ありがとうございました。
「軍服とサーベル」が正しいのです。「バーベル」は重すぎて下げられません。(笑)
頭の中はサーベル(刀)が浮かんでも、手は勝手にバーベルを印字している。
こんな事はあまりにも多いのです。
私達「女子会?」の会話は、こんな間違い用語(単語)が飛び交いますから、聞いている人は
チンプンカンプンでしょうね。しかしなぜか私達には分かる。
とうとうそんな年代になってしまいました。うれしいですね。
人様から、違ってますよ~って言われるのが、ありがたく、うれしく、心がほっこりしてくるのは
私だけでしょうか? とにもかくにも、厚く御礼を。




さて、昨日の続きで、もう一つのアルバイトも書いてしまいますね。
眠らない家業といえば、『ホテル』がある。
池袋・西口に『ホテル・メトロポリタン』がある。
そこが次のアルバイト先だ。私の身分は「契約社員」。半年に一回づつ契約を更新する。
最初に配属されたところは「リネン室」。
社員の制服のクリーニングから客室の風呂用シャワーカーテンのクリーニングなどなどの業者への
発注をおこなう。
また、厨房で働く人達の作業用(シェフたちの白衣と帽子)衣類のクリーニング発注などが主な仕事
だった。はやく言えば「クリーニング部門」である。
間違いなく「本人」に品物が戻ればOKである。
中にはボタンが取れたり、ほころびたり、体に合わなくなったりで修正(修理)をもやる。
社員の若い方々は、地下のその部署を嫌がったが、ほとんど全社員と顔を合わせることから、私は
喜んで日々をすごしたものだった。
ホテルのリネンで、初めて『拝みボタン』というものを知り、その付け方を習った。
『おがみボタン』とは、黒服つまり偉い人が着る制服で黒い上着に付いた前ボタンをいう。
両手を合わせて「拝む」ような恰好で付けられているボタンだから「そう」呼ばれていた。
この付け方が結構難しい。糸の取り方、つまりその長さを目安にして縛りつけていくとき、出来上がりの長さが思ったようにならない。長すぎても、短すぎてもダメ。
キチンと胸の前で、二つのボタンが「合掌」していなければならない。
だから「その修理」が、自分の勤務の時には来ないように祈る。そんなみんなと一緒に働いた。
「リネン室」の隣の部屋は「ハウス」。やはり地下の部屋だ。
ここはおばちゃん達が多い。責任者以外はアルバイトか契約社員だ。
「客」がホテルをチェックアウトすると、連絡が入る。すぐさま何人かで駆けつけて、部屋を掃除する。
その時第一に見るのは、「お客さん」の忘れ物。
無かった物を、「あるはずだ」と言われかねない昨今の人心に、前もって点検するのだ。
「一千万のダイヤの指輪、洗面所に置き忘れたんですけど・・・」と、客から電話が入る。
「そらきた!」・・・、しかし無かったものは、無い!。

ある日「ハウス」の部屋がざわめいていた。
何かあったのだ。いつもの事だから気にもとめない。
リネンはリネンの仕事がある。しかしその時は違った。
部屋を空けるから、電話が鳴ったら出てね~、と言われそして誰もいなくなった。
リネン室だって、2人しかいない。(今日は休みの日だもの)
いずれニュースが入るだろう。
案の定入った。600万円入った封筒が部屋になかったか、と。
もちろん客は大慌てだ。何かの契約金らしいが、今見たら「封筒」が無い!
何とかしてくれ!。
万万が一、あり得ないが、「ゴミ箱」に捨てた?
誰もが笑って「あり得ない!」と言った。が、それでも可能性のあるものは何でもやってみた。
お客はもう、うろたえるのみで話にならない。(電話の向こうでも、その様子は分かる)
私はリネン室で電話番に早変わりしていた。
今日出した「ゴミ」はどこを経由してどこの「ゴミ処理場」へいくのか?
時間によっては、焼却されてしまう。
「まさかぁ~」と言って笑っているうちに、600万の札束が燃え尽きるのだ。
所沢。焼却場の場所である。
何時に乗せたゴミか。「ホテルメトロポリタンのゴミ」として、はたして分かるものなのか?
事情は全部説明してある。
結果、奇跡に近い事が起こった。
そのごみ処理場から、札束6つが発見された。焼却炉に投げ込む寸前にである。
まるで「おとぎ話」みたいな事が起こったのだ。
興奮と安堵で、くたくたに疲れた社員は言う言葉すら失ってコーヒーをすすり続ける。

世の中には考えられない事って、あるものだ。
なぜ、ごみ箱なんだ?・・・本人も分からないものを、他人の我々が知るはずもない。

「喫茶」の女子社員がコーヒーをかけて制服を汚した。
替えの制服はクリニング中だ。倉庫へ連れていって、一番体に合う物を選んでやる。
台帳に乗せられた何千枚の制服の中から、その部署の制服の、それも女子用を身長とウエスト・サイズで割り出す。
「ピッタリ!ありがとう」と言われた時はホットする。
リネン室に入って、ようやく「ものになってきた」証だ。
始めての人には絶対出来ない。小一時間かかって見つかる時もある。
それをいち早く探し出して、着せてやるというこの技は、年期がいる。


さて、長く話をしてもきりがないので「ペストリー」(菓子部門)に配置換えされた時の話をば。
洋菓子部門だからケーキ造りが主である。
私はその雑用。ほとんど道具洗いが主だったが、時には出来上がったケーキの「テープ」まき。
そしてある時は、「杏」の缶を汁ごとミキサーにかける。50缶くらいだったか?
またある時は、レモン絞り。100個は有にある。機械を使うが目に沁みるほどである。

さて、そんなある日またまた電話がはいる。内部連絡だ。
「来たぞ!」「了解!」。
「みんな~、作業を中止して例の御仁のケーキを作るように。至急、急げ!」
何事だ・・・。
そこのホテルは、ランチタイムが終わると、お茶とケーキの飲み放題、食べ放題の時間になる。
そこへ時たま、「100個のケーキを食べる人」が来るのだ。
尋常な御仁ではない。少しおかしい人・・・。トイレへ行って吐いては食べ、吐いては食べてどこかで満足すると出て行くそうな。
ここからがまさしく舞台裏。
シェフというより、今でいう「パテシェ」達は、段つまりグレードをドーンと落としたケーキを造り始める。つまり、使う材料の一つ一つの品質を何段階も落とすのである。味や甘味や風味は同じよう
につけるから分からない。
多分私のような「素人」には、決して分からないだろう。
たとえば一流のケーキは、スイスから空輸されてくる「チョコレート」が使われる。
「バニラ」の香りづけは、エッセンスじゃない。ちゃんとしたバニラの木から煮立てて造るのだ。
あれこれと違う内容で、「御仁」の食べるケーキ類が用意され、そのお客の前に並ぶ。
御満悦の時間を過ごして「御仁」が帰ると、また内線で知らされる。
「終了!」チーフの合図で作業が終わる。「ふー、コーヒータイムにしょうぜ・・・」と、彼らは
インスタント・コーヒーで一時の憩いにひたる。

こっそり上階から下ろされた「そのケーキ」は、私が最後に片づける「ゴミ袋」の中に投げ捨てられていた。
どんな味か、捨てられる品と同じものを事前に食べさせてもらった事がある。
ショートニングとか、バターとかが全然違うから、と言われて食べてみたが、「えっ、私全然おいしい!」。しかし口には出さず、言葉は飲み込んだ。


その後ホテルにも「リストラの嵐」が吹き、一斉に500人ほどの首切りがあり、私の首もとんじゃいましたねぇ~。
その後、時々おいしいケーキを買いに足を運びましたが、サイフもドンドン軽くなるのでだんだんと
遠のいてしまいました。
ボールに付いたクリームやジャムなどなど、味見をしながらも私は「本当の味」というものを教えて
いただきました。
一番の材料を使うこと。一番の技術で造ること。一番の心で造ること。
こんなケーキは、やはり「絶品」なのでしょう・・・。

○○ホテルのカレーとか、○○ホテルのスープとか「ホテルのシェフの味」が売り物になっている昨今、その時をしみじみ思い出しながら心をよぎることは・・・。

思えばいろんな仕事をやってみたものよ・・・、と。
そしてね、種を明かしますとね、かつて書いた『ある女将』の割烹へね、このホテルの社長はじめ
専務、常務が宴を張りに来られていたというわけです。
ですからみーんな顔見知り。
しかし会社(ホテル)では「あーら、社長さん」とか「あーら常務さん」なんて決して言ってはいけません。知らん顔して最敬礼していましたね。

人生いろいろ、職場もいろいろ。
回りまわると、ふりだしに戻るみたいな「すごろく」気分になってきませんか?
人生すごろく?、そうでも思わないとやってられない時ばっかりでしたから・・・・。
はい、おしまいです。

最後に。
そのホテルは、一日の売り上げが4000万円を超えると、「金一封」が全員に出されました。
私ももらいました。500円玉が入っていました。
臨時収入とまではいかなくても、嬉しいものですよ~。
たった500円という金額でも、「やったね~!」という気分がなんともいえず、このホテルを
なぜか私の心が愛していたように思います・・・。

仕事あれこれ

2012年11月21日 | 心霊現象
長い人生には、いろいろな仕事に携わる人もいます。
私も御多分にもれず、その仲間の一人でしょう。
県庁職員という地方公務員ながら、上級試験を受けて合格した後のキャリアを目指してがんばっていたさなかの「教会入り」ですから、回りの人は100%反対いたしました。
ですから、あまりいろいろな職種は知りません。
そんな私があれよあれよという間に、実にいろいろな仕事を経験することになります。
食べていけないんですから。
だから履歴書の「職歴」は、簡単に書きました。
正社員はあの時代でさえ無理でしたから、ほとんどが「アルバイト」。いわゆる「日雇い労働者」として青春時代?を送るハメになったのです。
でも、今よりは世の中に仕事があふれていましたから、えり好みをしなければたくさんありましたねぇ。
例えば「新幹線」の掃除とか、ホテルのごみやさん(掃除)・・・とか。
もしも私が教会関係に縁を持たなかったら、ほぼ絶対に経験しなかったであろう職種ばかりを転々としたという事が、後になってその意味するものが分かってきたと言えばいえなくもない・・・。

私は県庁の農林部、生活改善における課の「課長」の座を狙っていたのですから・・・。
結局、とどのつまり「死神」との約束の前に、この世の人生の全てを捨てて「死後」の意味を探るためだけに残された人生を賭けた、とまあこういう訳です。


先日TVを視ていてね、「あれっ!」って思いました。
新幹線が東京駅で止まるとね、何人かで組になって入り込み急いで掃除を始めるあの人達の話を
取り上げていました。(私もそれをやったことがあるので、興味深くみていました)
その人たちの名前は『エンジェル』。女性たち7人が組になり車両の一つを掃除する。
その所要時間、わずか7分間。
その女性たちは中年の人がほとんどである。60歳をすぎている人もいる。
ただその制服が実にいい。ダサくないのだ。
きびきびと走りながら7分間で終わらせる。出発時間を見ながらの作業であれば、のんびりとはやっていられない。
7人それぞれの分担がある。終わった人はまだ終了していない人を手伝う。
一人の責任者のもとで、号令が飛び交う中でしっかりと時間内に終わる。
列車から降りると笑顔で整列して、ホームで待つお客さんに一礼して事務所に帰る。

なるほど「エンジェル」かぁ~。
私は時代の流れをしみじみと感じた。
(株)新幹線サービス、これが今から3、40年前に私がいたところだ。
制服もない。制帽なんかもちろんない。4人のおばちゃんで組をつくり、1車両を15分かけて掃除
する。
東京駅での作業だから、忙しいことには違いない。
年期のはいった「おばちゃん」が、牢名主のように胸をはってジロジロとなめるように私を見る。
私は自前のエプロンをして、一つの組に配属され手ほどきをうける。
時間だけはゆずれない。終わりしだい列車が出る。15分の後5分ほど車掌が点検して、列車が滑り込んできて20分後には出発していった。
座席の清掃係りには特典がある。お客の置いて行った「週刊誌・雑誌」新聞や果物、キャラメル等々、頂いていいものは「その人・係り」のものになる。
あとの者は座席の頭部の白いカバーを全部取り換える。そしてある者は座席の向きを進行方向に変えていく。座席のカーテンを全部開け、フックに止めていくのも仕事である。
「モップ係り」はもっぱら床のモップ掛けに終始した。
4人のコンビネーションが最後はものをいう。
だから新参者は手間どるから、あまりよくは思われない。
「中年のおばさん、おじさん」が新幹線の掃除に携わっていた時代からすれば、今はなんと「制服・制帽」で「エンジェル」と呼ばれるまでに「キレイ」になって仕事をこなしていることか・・・。

なぜだ?!
私は食い入るようにTVを見続けた。
理由はなるほど、よーく分かった。
私がはるか昔味わった世界が、全部とまではいかないがあらかた改善されていた。
まず、労働の意欲を起こさせる方法である。
そのためには「きれい」な職場であらねばならない。だから「制服と制帽」。
中年の「おばちゃん」が「エキスパート」に見える魔法だ。
そして次はお客さんに見られているという緊張感と誇り。やりがいは「人」に見られてこその刺激
からくる、と上役がのたまう。
そして、よくやっている人を褒める。これも大切なことだ、と。
何回も褒められた人は表彰する。
そして身も心も「エンジェル」になっていくのだ。

私がアルバイトした頃は言葉の通り、きたない掃除のおばちゃん以外のなにものでもなかった。
しかし、全く違う。天と地ほどの差だ。
「制服かぁ~」、今はどんなものでも制服を着る機会さえなくなった私であるが、その制服のもつ
力、良い意味での魔力は憧れの対象でもある。

「掃除の天使・7分間の闘い」と名打った番組は、「掃除のおばちゃん」から「エンジェル」と呼ばれるまでになったその時代の流れと奮闘ぶりを、同じ現場に昔いた私にしっかりと「何か」を教えてくれた。
一つの企業が移りゆく姿といえば話はそれで終わるが、日々の「生き生きさ」という視点で見れば、今「あなた」(私も)は生きているか死んでいるか、はたまた日本は生き生きと躍動しているか・・・。


人生に寝る時間と食べる時間、それに生活空間を取り除いたら・・・。
何がどれだけ残りますかねぇ・・・。
仕事人間は、仕事して終わってしまう、そんな人生も「あり」かと。
一日24時間。眠るのが8時間。あとは仕事で8時間。残された8時間が運命を分けると、誰かが言っていました。
私もこれから「円グラフ」を作って、24時間の割り振りをしてみましょうかしら・・・?

「一つの右翼」その活動とは・・・

2012年11月19日 | 心霊現象
「右翼」から受けるイメージは、はっきりいって悪い。
その右翼をはる一つの団体で、私はある時期「事務員」をしたのだ。
これもまた「時効」の話なので、実名で。
しかし、その団体も主幹も現在生きて、りっぱに活動をされているので「検索」されれば出てくる。

その団体は「学純同」、学生純粋同盟の略である。主幹は「大場 俊賢」氏。
前にブログで書いた「大塚 和平氏」の紹介で、私がその組織の事務局に座ることになる。
泣く子も黙る「右翼」。その事務局へなぜ私が?
これぞ、まさしく「縁」である。そう思うことにした。そうしなければ、さすがの私も決心が鈍った
からである。
その右翼活動の一環として剣道の道場があった。その名が「純正館」。
そこで私は、大場氏やそうそうたる段を持つ師範じきじきに手ほどきを受けたという次第である。
大場氏が剣道の段をとるための資格検定の審査員の一人であったことから、氏はいつも言っていた。
「もういつでもいいから資格を取って、道場も手伝ってよ」と。
行けばすぐ初段をくれるとも言ってくれた。
その「道場」での教育は、少年から大学生、大人から老人まで町場の人で熱気にあふれていた。
最初は「禊払い」の「祝詞(のりと)」を唱えることから始まる。
小学生もあたりまえのように、大きな声で一緒に行う。
師範へのあいさつも徹底していた。
健全な町おこしということもあり、町内会ではその協力体制もしっかりとられていた。
道場の周りは、胴着のまま歩いてもかまわない。
喫茶店に入るのも、食堂で「めし」を食うのも、そのままでいい。
「純正館」の生徒だとすぐに分かる。

そこで私は連動するかのようにして、『伊勢神宮』の研修会に出るように勧められた、とまあこういったわけである。
事務局の電話番が「何も知らない」では、都合は悪い。
そして月一回行われる「特攻隊生き残り」の全国からの会合に出席する。
生と死を分けた経験の持ち主ばかりである。
全国にはたして何人おられるか・・・、国の調査や、その生活ぶりの細かい状態などははっきりいって分からない。それをしっかりと調査し、組織にしようというものであった。
また、定期的な「機関誌」も出そうと、思いは熱く語られる。
ただ、人の手が足りないだけであった。

「よく見ておいて。いずれあなたがやるんだから」と、大場氏の檄がとぶ。私にだ。


『遠山 満』(とおやまみつる)の直筆の額が会議室に掲げられている。
知る人ぞ知る「右翼のドン」(出発)である。
つい先だってまでは「学純同」の名誉顧問は「福田赳夫氏」だった。
政界、財界のお歴々をも抱え込み、彼らの最大目的は、「国」と「天皇」である。
だから皇室や靖国神社は、活動の範囲内になる。
新参者の私は、常に大場氏の運転する車に同乗しては初めての人や場所や会合に出た。
この組織や活動を、精神的分野は言うに及ばず、形からもいち早く吸収しなければならない立場に
いた。
「今日はどこへ行くんですか?」って、車が走りながらその日の予定を聞く毎日が続く。

「大場総裁の車が、ただいま出発。○○交差点を左折」
何か言ってますよ、と私がいうと、「ああ公安が尾行してるんだよ」と涼しげな顔で言う。
なぜ分かるか?
公安の連絡を傍受できるように、この車はしてあると言う。
まあ、右翼は「危険」というイメージで、仕方がないのかもしれないが、自分たちよりももっと
危険な人物や団体は山ほどあるのに・・・、と大場総裁は嘆く。
天皇一家がお立ちになる「新年の参賀」には必ず行く。もちろん一般市民の場所で国旗を振る。
この時でさえ、公安の尾行はついた。

「大場総裁の車は、防衛大学の玄関前で止まる」と、また公安の連絡の傍受から聞こえる。
「連日たまりませんねぇ」と私が言っても、大場氏はどこふく風のおももちで、笑う。
おかげで私は、初めて「防衛大学の卒業式」を観た。
機会があったら、皆様も是非見てみていただきたい。
そして、観てからものを言ってください!・・・と。
「国」に、その肉体と志を捧げようとしている「日本の青年」がそこにいる。
同士を得たような思いがして、私は最後まで最後方の隅っこで固まり続けた。
その時氏は、偉い方々の方で座っていた。

「わたし」という人間を内外ともにたたきあげるには、大場氏ひきいる「学純同」と「純正館」は
恰好なところだったようだ。
道場もいいだろう、特攻隊員の全国組織化、それもいいだろう。皇室も縁があれば何でもやりましょう・・・、が私の背後ではまた違う一つの動きが働いていた。

「それでいいのか?一生右翼の事務局を背負うつもりで・・・。あれは、どうする・・・」

めまぐるしく動く活動と日常の生活は、気が付けば年中無休。剣道でくたくたに疲れて、そして
日が暮れる。
私は都合よく?「学純同」の事務所の屋上の小屋で住んでいた。
新宿・西口から歩いて数分の一等地。当時の地価は、1坪(1ヘーベー?)600万ともいわれていた。
そこへ帰ってきては、寝るだけ。そしてまた明日がくる。

そしてきたのは「体の変調」。「女だてらに」「年甲斐もなく」・・・、何とでも言ってください。
私の体はもう動かないのです・・・。
このまま死んだら・・・、死神にまた無様な姿を見せることになる。
赤尾氏の台詞ではないが、私は右肩の「神」と、左肩の「死神」を背負いながら生きていたことを
一瞬忘れていた。
そして「時」がないことも。

わたし、おいとまします・・・、しかし情をかけ、しっかりと後継者として育ててくださった御恩
は決して忘れません!

日本国を想うその情を、私はしっかりと受け継ぎ、霊界の愛国の同士を集めますので、今はお許し
ください!


・・・、と「鬼のかく乱」と人は言おうと、とっとと暇乞いをいたして現在の私がある、とまあこういう次第です。

「学純同」の玄関のシャッターには、同じ「右翼」と名乗る「ヤクザ」からぶち込まれた銃の玉の
痕が二つほどあります。
何かあったら、警察より「公安」にね・・・って、いつも教えられていましたねぇ~。
いま思えば、簡単に私などが座る場所じゃなかった、とやっと武者震いが出てくるありさまです。


人生いろいろ、右翼もいろいろ。
大場氏は父上が日大の教授。その息子の氏が、父上の「国文学」の授業に、「軍服とバーベル」姿で
出席し、一番前の席で足をくんで聞いていたってんですから(本人の話)、全く持って「変な御仁」
ではありましょうね。
その方に可愛がられ、見初められて?頑張った私もまた、いかに「変人」か・・・。
類は類を呼び、「同じ穴のむじな達」が今、「日本」を心から憂いながら、この度の解散模様を見つめているといったところでしょうか・・・。


一度亡びた国は、再びもどることはありません。
一度奪われた国も、再び返ることもありますまい。
一人一人が、憂国、愛国の志士となって「その時」を迎えてくださるように祈ります。



「議員」とは何ものであるか・・・(荒野で呼ばわるものの声)

2012年11月18日 | 心霊現象
帰ってきて、今これを書いています。
衆議院が解散されて、暮れにさしかかった日本がいよいよ騒がしくなります。
結構なことです。
議員が問題ではない、というわけではないが、今回はそれよりも「国民」が問題であると
申し上げる。

かって私は以前のブログで書いている。
「天皇とは何ものであるか?」との問いに、明治天皇の孫の、そのまた孫にあたる方が答えて言う。
『天皇とは、祈りの方である』・・・と。

では問う。
「議員とは何ものであるか?」と。
皆様が出されるこの答えの向こうに、今後の「日本」の将来(運命)が見えてくる。


『一番ではなく、二番ではダメなんですか?』との問いに答えて?その結果、
かの日本が世界に誇った「スーパー・コンピューター」(京)は、世界第三位に落ちた。
二位のアメリカが一番になった。
めでたし、めでたしと思うか?
それともあなたは、残念に思うか・・・。
日本の誇りと簡単に言うが、そこまでの路程や苦労は推し量るには難しい。が、たゆみなく努力する
日本人の「職人魂」とでもよぶ「ものづくり」の心意気は、今も熱く生き生きと呼吸し続けている。
ただ、「金(資金)」が無いだけなのか?
それとも予算の額とともに、その心意気さえ萎えていったというのか?
あるいはまた、日本人そのものの「質」が、もはや世界には立ち向かえなくなったのか・・・。

あの「はやぶさ」でさえ、全身を燃やして消え失せる一瞬の中で、宇宙から見た「地球」の写真
(半分ではあるが)を最後に送ったではないか。
祈るような地球人の魂が届いたかのように、まるでそれに答えるかのような結果を残して「はやぶさ」は漆黒(しっこく)の闇に消えた。
この滅した時の余韻が「日本的」といえば、あまりにもそうだが、今だに残像が目に残る。
そして私達の心にも「誇り」として残っていくのだ。

それこそが、日本(日本人)の誇りだと思える人にとっては、ということです。



『総理になった父は、いつも死ぬ気で家を出ていきました。
 今日生きて帰れるかも分からない。
 そんな思い(決意)が、本人は語らずとも我々身内にはよく分かりました』

と、俳優になった方の息子が、ある番組で語っていた。(小泉氏のことである)

目を閉じて演説を聞いてみよう。
その人が、どれだけの決意を持ち、日本をどれだけ愛し、民と共に生死を共にする気があるか
見抜くだけの「国民」でなければ、また同じことを繰り返すだけである。

国民一人一人に向けて、日本の天津神が歴史を賭けて今、リセットさせようとしている。
・・・としたら、あなたは「その神」に何と答えるか?

何も答えない、つまり棄権をする者が多い国に先はないのは当然であるとともに、「我」あるいは
「欲」のかたまりの答えを聞く神でもない。
たかが衆議院の解散、またまたの選挙と思うなかれ。
日本は今、「玉入れ」のまっただ中にあると思召せ。
一億総国民の運命を国会議員ではなく、国民に、(今は有権者全員に)委ねられていると、思って
いただきたい。


『サイは投げられた』と、ある方が言う。一人の国会議員の方だ。
彼は政権奪還や、今後の議会のしくみのことを考えての言葉であったろうが、今投げられたこの
『サイ』は、そんな次元の低いものじゃない。
のるか、そるか・・・日本最後の神の前に出す答え、つまり国民の玉入れ競技の始まりである。

再度問う。
「議員」って、何ものですか?・・・と。
一人の議員にかかる費用は「約一億円」(年間)だそうな。(税金から支払われる)

目を閉じて聞く「あなた」の耳に、そして心にまで染み渡る「その声」に賭けて、その玉入れを
りっぱに成し遂げてくださいませ。

その声こそ『荒野で呼ばわるものの声』でしょうから・・・。