霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「議員」とは何ものであるか・・・(荒野で呼ばわるものの声)

2012年11月18日 | 心霊現象
帰ってきて、今これを書いています。
衆議院が解散されて、暮れにさしかかった日本がいよいよ騒がしくなります。
結構なことです。
議員が問題ではない、というわけではないが、今回はそれよりも「国民」が問題であると
申し上げる。

かって私は以前のブログで書いている。
「天皇とは何ものであるか?」との問いに、明治天皇の孫の、そのまた孫にあたる方が答えて言う。
『天皇とは、祈りの方である』・・・と。

では問う。
「議員とは何ものであるか?」と。
皆様が出されるこの答えの向こうに、今後の「日本」の将来(運命)が見えてくる。


『一番ではなく、二番ではダメなんですか?』との問いに答えて?その結果、
かの日本が世界に誇った「スーパー・コンピューター」(京)は、世界第三位に落ちた。
二位のアメリカが一番になった。
めでたし、めでたしと思うか?
それともあなたは、残念に思うか・・・。
日本の誇りと簡単に言うが、そこまでの路程や苦労は推し量るには難しい。が、たゆみなく努力する
日本人の「職人魂」とでもよぶ「ものづくり」の心意気は、今も熱く生き生きと呼吸し続けている。
ただ、「金(資金)」が無いだけなのか?
それとも予算の額とともに、その心意気さえ萎えていったというのか?
あるいはまた、日本人そのものの「質」が、もはや世界には立ち向かえなくなったのか・・・。

あの「はやぶさ」でさえ、全身を燃やして消え失せる一瞬の中で、宇宙から見た「地球」の写真
(半分ではあるが)を最後に送ったではないか。
祈るような地球人の魂が届いたかのように、まるでそれに答えるかのような結果を残して「はやぶさ」は漆黒(しっこく)の闇に消えた。
この滅した時の余韻が「日本的」といえば、あまりにもそうだが、今だに残像が目に残る。
そして私達の心にも「誇り」として残っていくのだ。

それこそが、日本(日本人)の誇りだと思える人にとっては、ということです。



『総理になった父は、いつも死ぬ気で家を出ていきました。
 今日生きて帰れるかも分からない。
 そんな思い(決意)が、本人は語らずとも我々身内にはよく分かりました』

と、俳優になった方の息子が、ある番組で語っていた。(小泉氏のことである)

目を閉じて演説を聞いてみよう。
その人が、どれだけの決意を持ち、日本をどれだけ愛し、民と共に生死を共にする気があるか
見抜くだけの「国民」でなければ、また同じことを繰り返すだけである。

国民一人一人に向けて、日本の天津神が歴史を賭けて今、リセットさせようとしている。
・・・としたら、あなたは「その神」に何と答えるか?

何も答えない、つまり棄権をする者が多い国に先はないのは当然であるとともに、「我」あるいは
「欲」のかたまりの答えを聞く神でもない。
たかが衆議院の解散、またまたの選挙と思うなかれ。
日本は今、「玉入れ」のまっただ中にあると思召せ。
一億総国民の運命を国会議員ではなく、国民に、(今は有権者全員に)委ねられていると、思って
いただきたい。


『サイは投げられた』と、ある方が言う。一人の国会議員の方だ。
彼は政権奪還や、今後の議会のしくみのことを考えての言葉であったろうが、今投げられたこの
『サイ』は、そんな次元の低いものじゃない。
のるか、そるか・・・日本最後の神の前に出す答え、つまり国民の玉入れ競技の始まりである。

再度問う。
「議員」って、何ものですか?・・・と。
一人の議員にかかる費用は「約一億円」(年間)だそうな。(税金から支払われる)

目を閉じて聞く「あなた」の耳に、そして心にまで染み渡る「その声」に賭けて、その玉入れを
りっぱに成し遂げてくださいませ。

その声こそ『荒野で呼ばわるものの声』でしょうから・・・。