帰ってきて、今これを書いています。
衆議院が解散されて、暮れにさしかかった日本がいよいよ騒がしくなります。
結構なことです。
議員が問題ではない、というわけではないが、今回はそれよりも「国民」が問題であると
申し上げる。
かって私は以前のブログで書いている。
「天皇とは何ものであるか?」との問いに、明治天皇の孫の、そのまた孫にあたる方が答えて言う。
『天皇とは、祈りの方である』・・・と。
では問う。
「議員とは何ものであるか?」と。
皆様が出されるこの答えの向こうに、今後の「日本」の将来(運命)が見えてくる。
『一番ではなく、二番ではダメなんですか?』との問いに答えて?その結果、
かの日本が世界に誇った「スーパー・コンピューター」(京)は、世界第三位に落ちた。
二位のアメリカが一番になった。
めでたし、めでたしと思うか?
それともあなたは、残念に思うか・・・。
日本の誇りと簡単に言うが、そこまでの路程や苦労は推し量るには難しい。が、たゆみなく努力する
日本人の「職人魂」とでもよぶ「ものづくり」の心意気は、今も熱く生き生きと呼吸し続けている。
ただ、「金(資金)」が無いだけなのか?
それとも予算の額とともに、その心意気さえ萎えていったというのか?
あるいはまた、日本人そのものの「質」が、もはや世界には立ち向かえなくなったのか・・・。
あの「はやぶさ」でさえ、全身を燃やして消え失せる一瞬の中で、宇宙から見た「地球」の写真
(半分ではあるが)を最後に送ったではないか。
祈るような地球人の魂が届いたかのように、まるでそれに答えるかのような結果を残して「はやぶさ」は漆黒(しっこく)の闇に消えた。
この滅した時の余韻が「日本的」といえば、あまりにもそうだが、今だに残像が目に残る。
そして私達の心にも「誇り」として残っていくのだ。
それこそが、日本(日本人)の誇りだと思える人にとっては、ということです。
『総理になった父は、いつも死ぬ気で家を出ていきました。
今日生きて帰れるかも分からない。
そんな思い(決意)が、本人は語らずとも我々身内にはよく分かりました』
と、俳優になった方の息子が、ある番組で語っていた。(小泉氏のことである)
目を閉じて演説を聞いてみよう。
その人が、どれだけの決意を持ち、日本をどれだけ愛し、民と共に生死を共にする気があるか
見抜くだけの「国民」でなければ、また同じことを繰り返すだけである。
国民一人一人に向けて、日本の天津神が歴史を賭けて今、リセットさせようとしている。
・・・としたら、あなたは「その神」に何と答えるか?
何も答えない、つまり棄権をする者が多い国に先はないのは当然であるとともに、「我」あるいは
「欲」のかたまりの答えを聞く神でもない。
たかが衆議院の解散、またまたの選挙と思うなかれ。
日本は今、「玉入れ」のまっただ中にあると思召せ。
一億総国民の運命を国会議員ではなく、国民に、(今は有権者全員に)委ねられていると、思って
いただきたい。
『サイは投げられた』と、ある方が言う。一人の国会議員の方だ。
彼は政権奪還や、今後の議会のしくみのことを考えての言葉であったろうが、今投げられたこの
『サイ』は、そんな次元の低いものじゃない。
のるか、そるか・・・日本最後の神の前に出す答え、つまり国民の玉入れ競技の始まりである。
再度問う。
「議員」って、何ものですか?・・・と。
一人の議員にかかる費用は「約一億円」(年間)だそうな。(税金から支払われる)
目を閉じて聞く「あなた」の耳に、そして心にまで染み渡る「その声」に賭けて、その玉入れを
りっぱに成し遂げてくださいませ。
その声こそ『荒野で呼ばわるものの声』でしょうから・・・。
衆議院が解散されて、暮れにさしかかった日本がいよいよ騒がしくなります。
結構なことです。
議員が問題ではない、というわけではないが、今回はそれよりも「国民」が問題であると
申し上げる。
かって私は以前のブログで書いている。
「天皇とは何ものであるか?」との問いに、明治天皇の孫の、そのまた孫にあたる方が答えて言う。
『天皇とは、祈りの方である』・・・と。
では問う。
「議員とは何ものであるか?」と。
皆様が出されるこの答えの向こうに、今後の「日本」の将来(運命)が見えてくる。
『一番ではなく、二番ではダメなんですか?』との問いに答えて?その結果、
かの日本が世界に誇った「スーパー・コンピューター」(京)は、世界第三位に落ちた。
二位のアメリカが一番になった。
めでたし、めでたしと思うか?
それともあなたは、残念に思うか・・・。
日本の誇りと簡単に言うが、そこまでの路程や苦労は推し量るには難しい。が、たゆみなく努力する
日本人の「職人魂」とでもよぶ「ものづくり」の心意気は、今も熱く生き生きと呼吸し続けている。
ただ、「金(資金)」が無いだけなのか?
それとも予算の額とともに、その心意気さえ萎えていったというのか?
あるいはまた、日本人そのものの「質」が、もはや世界には立ち向かえなくなったのか・・・。
あの「はやぶさ」でさえ、全身を燃やして消え失せる一瞬の中で、宇宙から見た「地球」の写真
(半分ではあるが)を最後に送ったではないか。
祈るような地球人の魂が届いたかのように、まるでそれに答えるかのような結果を残して「はやぶさ」は漆黒(しっこく)の闇に消えた。
この滅した時の余韻が「日本的」といえば、あまりにもそうだが、今だに残像が目に残る。
そして私達の心にも「誇り」として残っていくのだ。
それこそが、日本(日本人)の誇りだと思える人にとっては、ということです。
『総理になった父は、いつも死ぬ気で家を出ていきました。
今日生きて帰れるかも分からない。
そんな思い(決意)が、本人は語らずとも我々身内にはよく分かりました』
と、俳優になった方の息子が、ある番組で語っていた。(小泉氏のことである)
目を閉じて演説を聞いてみよう。
その人が、どれだけの決意を持ち、日本をどれだけ愛し、民と共に生死を共にする気があるか
見抜くだけの「国民」でなければ、また同じことを繰り返すだけである。
国民一人一人に向けて、日本の天津神が歴史を賭けて今、リセットさせようとしている。
・・・としたら、あなたは「その神」に何と答えるか?
何も答えない、つまり棄権をする者が多い国に先はないのは当然であるとともに、「我」あるいは
「欲」のかたまりの答えを聞く神でもない。
たかが衆議院の解散、またまたの選挙と思うなかれ。
日本は今、「玉入れ」のまっただ中にあると思召せ。
一億総国民の運命を国会議員ではなく、国民に、(今は有権者全員に)委ねられていると、思って
いただきたい。
『サイは投げられた』と、ある方が言う。一人の国会議員の方だ。
彼は政権奪還や、今後の議会のしくみのことを考えての言葉であったろうが、今投げられたこの
『サイ』は、そんな次元の低いものじゃない。
のるか、そるか・・・日本最後の神の前に出す答え、つまり国民の玉入れ競技の始まりである。
再度問う。
「議員」って、何ものですか?・・・と。
一人の議員にかかる費用は「約一億円」(年間)だそうな。(税金から支払われる)
目を閉じて聞く「あなた」の耳に、そして心にまで染み渡る「その声」に賭けて、その玉入れを
りっぱに成し遂げてくださいませ。
その声こそ『荒野で呼ばわるものの声』でしょうから・・・。
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