霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

想像力(「のぼうの城」から)

2012年11月06日 | 心霊現象
最近おおいに宣伝されている、「日本映画・のぼうの城」。
ついさっき観てきたものですから、記憶が新しいうちにと思って、書いています。
「映画」の内容や、その出来具合をとやかく言うものではありません。
観たいからみてきた、映画はそんなものでしょう。きっと皆さまもそうではないかと・・・。
知り合いが映画に出ているなどという義理がない限り、無理をしてみることはそうないでしょう。
しかしね、今回は少し違いました。

ただ私の場合、その「想像力」。これが問題なんです。
原作を読む意味は、私の場合「絵(景色)」の全く無い状態で物語が始まります、そこが大切になるのです。
「絵」を自分で書く。それも想像力で。
原作を読み進めながら、だんだん「絵」(イメージ)が出来ていきます。
時代背景からくる景色。
城の情景、そして農民の生活、そして周りの色。
そうして次は一番大事な「人」の姿と形。いでたちは言うに及ばず声の質から大小まで、最後はその性格、つまり「ひととなり」がはっきりと浮き出る。
主人公、映画でいえば「主役」の姿がはっきりと自分の中で映像として浮かび上がってくる。
本読み(読書)の好きな人は、この醍醐味が忘れられない。
自分だけの「像」に酔う。完璧なまでの傑作(人)が、その本が終わるまで自分の描いた像のまま、裏切ることなく物語を誘い、決着させる。

この「想像力」を鍛錬するには、いろんな方法があると思うが、「読書」はその手っ取り早い方法である。
だから、「原作」をまず読んで、自分の作品をふくらませながら、「映画」へと進まれたがいい。
逆もまた真の場合もあるが、どうしても目から入って一端映像が刻まれると、それ以外の像は造りずらい。
ましてやこの「のぼうの城」の映画は、主人公は「野村萬斎」氏をおいては、他に頭にうかばなかった、とさえ監督に言わせしめる役柄からして、一度私達に刻まれた映像はそれほど強烈である。

だから私は映画が封切られ、私が観に行く前に原作を読み、その想像力の確かさ?を自分に強いた
わけである。
原作から受け取った「景色」「空気」「音」「匂い」など、さまざまな像から人と人を結ぶ心の在り様をしっかりと自分の中に叩き込んで、さあ、いざ出陣。(私が映画をみて、いかに違うか、いかに
似ているかを試す番だ)

私の想像の中で音が分からなかったのが「水責め」の音。音の「凄さ」が想像の域を出ない。
地鳴りと、そして水が堰(せき)を切って流れ来る「怒涛」の音。
「映画館」での凄味は、席に座るお客の腹にまで直接伝わる轟音(ごうおん)であった。
肉が少し多くなった私の腹を、ぶるぶるとゆさぶる音。
耳からだけではない、肌を通して伝わってくる「迫りくる音」というものに、私は映画を観て、はじめて「その凄さ」つまり「水責め」の凄さを知る。(圧巻!)
これを400年前に、秀吉と三成がやってのけたのかと思うと、歴史に残る名前の真実さを再確認
するのである。


結果、二時間半を楽しくすごすことが出来た。
「なーるほど、監督はこの俳優をもって現したかったのか?」という思いである。
TV映画の『臨場』ではないが、「俺のとは、ちっと違うなあ・・・」と、ところどころに発見しながら、二倍は楽しんだものです。

前に聞いたことがあります。
TV映画『明智小五郎』がなぜ次が続かなかったか・・・。
主人公を務めた俳優『天知 茂』(あまちしげる)さんが、あまりにも「はまり役」で、いわゆる
ビジュアル的に他の方を当てては成立しないまでになってしまった、という。
結果、天知 茂氏が亡くなった後は、その方と共に番組も消える運命になったと・・・。

その人のために書かれたような台本(小説)という言葉があるが、「その人」を得ることによって
生き生きと眼前に蘇る「像」は、造り手も演じ手もどこかでそれを感じながら、縁の深さを味わって
いるのかも知れない。


私、映画会社の回し者ではありませんから、みなさまが観ても観なくってもかまいません。
ただね、本を読まなくなった今の時代に少し寂しさと、危惧を感じながら書いてみました。
「想像力」、ご自分の力を試してみてください。
これって、右脳の訓練に、おおいに役立つんですよ。

そうそう、あの世とか天法、何の関係もないじゃないかと言われるか?
たまにはいいじゃないですか。でもね、読後「やっぱりね~」と感じた事は・・・。

一つだけ。勝った「忍城」の総大将がね、(つまり主人公)絶対的信頼をもって主君に従ってくる「三名の大将」をもっていたという「あの世の数」の強みと、「身を捨ててこそ・・・」という日本の良き主従関係を持っていたということでしょうかねぇ~。
(兵の数からくる大差が、また話の面白さだったのも間違いのない歴史的事実でしたが)