霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

人身売買(今様)

2012年11月25日 | 心霊現象
今日はちょっとショッキングな題名です。
内容もまた尋常じゃない。
この世界のどこかで今も間違いなく行われている、神からも人からも程遠い「蛮行」です。
「わたし」とは関係ない、と思っていらっしゃり、また感心も薄いかもしれない。
でも、自分の目の前で「それ」が行われると、無関心を装うことはさすがに出来ない。
これが「人の心」というものでしょうか。
そして、その人身売買が、私の目の前で行われた・・・。


買ったのは、在日韓国人。買われたのも韓国の12、3歳の女の子。
その金額は総額で100万円にも満たなかった。(当時の為替レートからみれば、円はウォンの約10倍。韓国では1000万になる)
その在日韓国人とは、私が勤めていたあの金貸しの「じいさん」。
老後の面倒をみてもらうべく、貧しい韓国の中学生になったばかりの女の子を、金を払って連れてきたのだ。(遠い親戚といっていたが、分かったものではない)
実の子供やその家族もありながら、面倒やわずらわしさやきたないことは、女中がわりに買ってきた
その子にやらせるつもりだ。

言葉一つ出来ないその子の「日本語担当」が、私だということだった。
「よろしく、たのむ」と言われても・・・。
自分の娘としての、養子縁組の手続きは終わった。
金さえ払えば、闇の家業を生業(なりわい)としている者は結構いるものだ。
法律関係は簡単に手続きが済む。これも驚きである。
あとは「娘」として使いたい放題。何でもやることがまた約束事だったのだろう。
しかし、日本に於ける義務教育は外せない。
しぶしぶ学校へやることは実行したようだ。
が、そのかかる費用が思ったより高くついた。(もっと安く、簡単に通わせられると思ったのだろう)
子供を育てるという事を考えに入れず、ただ都合よく使うことだけを考えての蛮行であれば、文句や
ぐちは当然出る。
ベランダの布団干し。小さい子がうまく出来るわけがない。また「韓国式」との違いもあるだろう。
75歳すぎた「ばあさん」の気に入るように出来るはずもない。
日本語と韓国語の入り混じった「罵倒」がとぶ。
キョトンとする「女の子」。
泣いたりわめいたり、たたかれて悲鳴をあげたり・・・。

私はちょっとした知り合いの「弁護士」に聞いてみた。
韓国では「ある」そうな。人身売買がである。しかし表向きは「無い」。闇の取引としてあるのだ。
案外日本もあったりして・・・。
東南アジア系の人身売買は「映画」になったりして、その闇の部分は少しは知っていた。
幼児売春から臓器売買まで、想像を絶する世界がまだ、ある処でまかり通っているのだ。

その子の日本語教育の教材は、私は「外」にあるものを使った。
うでを組んで歩きながら、電柱を手でたたいては「でんちゅう」、自転車があればそこへ行って指さして「じてんしゃ」と教える。
子供は覚えが早い。いや「その子」は賢く、頭もよかった。
次々に頭に入り、その「物体」も間違わず頭に記憶された。
「オー、チャジョンゴ。オー、ペコッ。オー、コット」、理解できるとスピードをあげて「日本語
教育」はすすんだ。
「あなたをなんとよぶか?」指で私を指す。「先生じゃないな」、ではお姉さんだ。
「オー、オンニー。カムサムニダ」と、手を合わせる。
こうなると可愛いではないか。いろんなことを教えたくもなる。
時々ギュット抱きしめては、その出来の良さを褒めた。
女の子のやわらかい体のぬくもりが、初めての体験として私の記憶に残る。

が、結果韓国へ強制送還された。
犯罪に手を染めたわけでもない。が、日本語が分かってくると友達が出来る。
そしてだんだんと、学校よりも「悪ガキ」と付き合うようになる。授業を途中で抜けたり、朝から一日休んだりと、その「不良ぶり」がうわさになった。
韓国色のまだまだ強い「女の子」を、面白がったのか、いじめたのかは分からない。
自分をもてはやし、相手にしてくれる子供と「たむろ」したかったのだろう、きっと。
「養女」をまた取り消すのも簡単だ。(闇の法律家があんじょうやってくれる)
「彼女」は短い時間それも幼い時に、いったい「何を」感じて韓国へ帰っていったのだろうか・・。



貧しさゆえに「幼児期」を、想像を絶する世界に身を置かざるをえない世界の子供がまだまだたくさんいることも知っている。
が、観たくないものを見ずにすめば、この世は何事もなく過ぎ去っていく。
そして日本の子供たちは、温室で無菌培養されるがごとく、これがあたりまえのようにして育って
いく。今は・・・。
国が落ち着き、大人も高学歴になり良き環境に囲まれて育つ「彼ら」は、しかしそれが稀有なことだとは思わない。
だから当然あたりまえな事に「感謝」はない。
国があり、水があり平和があり、物がある。
しかしその「あたりまえ」はいつまで続くかは、何一つ保障はない。



時々その女の子の、それも抱きしめた時の「ぬくもり」を思い出す。
体で感じたその感触は、きっと一生私は忘れることが出来ないだろう~。
幸せになってほしいとはもちろん思うが、「それ」をもってむしろ人生をジャンプして高く飛んでいってくれたらありがたい。
たとえ一時でも、どこへ行ったかも、この世に絶対にあってはいけない事である。
一人一人が「神の子」であれば、神を金で買ったことになる。
これ以上の冒涜はない!
世界で行われているこの「蛮行」に対し、地球上の全人類は「何」をもって償おうとしているのか?
「何と罰当たりな」ことが、あまりにも多いこの地球に、それでも「愛」が注がれている事実を
知らなければ、いずれ人類は自暴自棄になるしか道はない。



日本はそれでも「よい国」でしょうか?
有権者の約半分が、来たる投票日まで「どうしていいか分からない」と言っている。
御多分にもれず、私もです。
国に何をしてほしいかではなく、国に何が出来るかを考えよと言った名言があった。

この世に私は何が出来るんだろう・・・、と、私も考えています。