霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「夢を解く」ということ

2012年10月26日 | 心霊現象
意味の分からない夢を解く、という事はそうとう難しい。
多分解けない方が、多いかもしれない。
「夢を見る」という行為自体が、多分にも神がかり的なものであることをみれば、夢を見た人は
以前から何かに的をしぼって祈っていた、という行為が前提となる。そして暗示的な夢を見る。
従って夢を解くということは、夢を見た本人の責任分野だともいえる。
他人が口出しすることではないかもしれない。
が、それ、つまり「夢の中身」、その夢の意味することが重大な「摂理」に関することに限り、
解く者が他に現れ得る。
夢を見た、いえ見せられた本人よりも「神がかり」であり、信仰が篤い者に限りそれは解ける。
下世話な夢、つまり「ご利益的な夢」は人間の欲であり、手前勝手な事情の結果であれば、夢見た者
の勝手な解釈でことは済むようになっている。失礼な言い方をすれば、夢を解くなど意味のない
遊びでしかない・・・と。
せいぜい「夢解き」の本を読み漁って、遊ばれたがいい・・・となる。

しかしたった一つ、夢を解かなければいけない時がある。
それは預かった「使命」にかかわる時である。
その夢を解かなければ、前へ進めないという場合である。
祈りの問いかけに対しての夢。これはその問いに対しての「答え」だからだ。
ほとんどは、本人が分かる。真剣に祈り求める人に、謎かけをしたってはじまらないじゃないか・・・。
しかし、何かが不足していて、答えをもらう条件がまだない時、「解く」ことをもって答えが与えられるという事は起こりえる。

「あの人とわたしは将来、どうなるんでしょうか?」そうあなたは問いかける。
答えをもらって、あなたは「素直」に受け入れるだろうか?
例え、守護霊が語っても、「でもね・・・」とか、「だって・・・」とか言わないだろうか・・・。
すでに心に答えをはじき出している人は、霊界ではお見通しだから夢も言葉も暗示も来ません。
自分が出した「答え」の向こうに、「幸せ」という保証を得たいだけのこと。
そのような人には、「ケセラ・セラ」の歌を進呈いたしましょうね。


さて、冗談めいたことはこれくらいにして。
昔々のお話を。
エジプトの王、パロの時代。
ヨハネという人物がいた。
神の前によく祈る信仰者だった、と書いてある。
本来奴隷の身分ではなかったが、ひょんな間違いから「奴隷」に売られてしまった。
作業中、仲間が見た夢の「夢解き」をしてやり、名前を覚えてもらえるようになった。
しかしご主人の奥さんに誘惑され、自分の衣類を部屋に残して彼は逃げ帰った。
主人が帰ると、奥さんが泣いている。「どうした!」。
奥さんが見せる「脱ぎ捨てた衣類」を見せられて、その誘惑の虚偽を疑うことなく怒り狂い、主人は
「ヨハネ」を牢屋にぶち込んだ。

その頃王「パロ」は、自分の見た夢を解く者を探していた。
国中の智者、魔術師あらゆる者を呼びよせ、見た夢を告げ、その意味を聞いた。
だれも答えられない。
国王の見たその夢とは・・・。

 彼はナイル川のほとりに立っていた。
 するとその川から美しい、肥え太った七頭の雌牛が上がってきて葦を食っていた。
 その後、また醜い、やせ細った雌牛が、あの美しい、肥えた七頭の雌牛を食いつくした。
 ここでパロは目が覚めた。
 彼はまた眠って、再び夢を見た。
 夢に、一本の茎に太った良い七つの穂が出てきた。その後また、やせて、東風に焼けた七つの
 穂が出てきて、そのやせた穂が、あの太って実った七つの穂をのみつくした。
 ここでパロは目が覚めたが、それは夢であった。
 朝になって、パロは心が騒ぎ、人をつかわして・・・・とある。(聖書)


さて、ここで牢屋から呼び出されたヨハネの「夢解き」が始まる。
パロは、王として立場上神に祈ったかもしれない。が解けなかった。
真剣であったら、神から「よし」とされて、夢の意味も分かったかもしれない。
さらに、神も同情せざるを得ない心で祈ったなら、その答えは「言葉」で教えられたかもしれない。
しかし、それは「夢」で教えられた。誰も解けない夢。神の意地悪か?
そうではなかった。ヨハネが解く、ということに神の「摂理」があった。
ヨハネの解いたその内容で、パロは喜び勇み、彼を国の司、つまり今でいう総理大臣に任命する。
ヨハネを奴隷として売った者、さらに誘惑の張本人として投獄した者、ヨハネに受けた恩を忘れた
者等々、様々な試練の果てに得た「勝利」の上に彼の本当の信仰があった。


さて、ヨハネの夢解きとは、こうである。
(その前にあなたなら、パロ王に何と解くか?)

『夢は一つです。
 神がこれからしょうとすることをパロに示されたのです。
 七頭の良い雌牛は七年です。七つの良い穂も七年で、夢は一つです。
 あとに続いて、上がってきた七頭のやせた醜い雌牛は七年で、東風に焼けた実の入らない七つ
 の穂は七年のききんです。
 わたしがパロに申し上げたように、神がこれからしょうとすることをパロに示されたのです。
 エジプト全国に七年の大豊作があり、その後七年のききんが起こり、その豊作はみなエジプトの
 国で忘れられて、そのききんは国を滅ぼすでしょう。
 後に来るそのききんが、非常に激しいから、その豊作は国のうちで記憶されなくなるでしょう。
 パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされる からです。
 
 それゆえパロは今、さとく、かつ賢い人を尋ね出してエジプトの国を治めさせなさい。(略)
 こうすれば食糧はエジプトの国に臨む七年のききんに備えて、この国のためにたくわえとなり、こ
 の国はききんによって滅びることがないでしょう』




神の前に「夢を見る」という行為こそが、「選ばれた人」ともいえます。
例えば「神官」。「伊勢」にも「出雲」にも「春日」にも、日本にはたくさんの神官がいらっしゃる。
その方々こそ、神の前に夢を見ているはずである。「日本のゆくすえ」という夢をみているはずである。しかし彼らは黙している。なぜ?
次は天皇陛下。
明治天皇の孫の孫という人が、先日TVに出て言う。
「天皇とはいかなる方であるか・・・」という司会者の問いに、『天皇とは祈りの方である』と
答える。まさしく、正解だろう。
世界広しといえども、これほど祈り、これほど神事に身をおくお方も稀有の存在である。
そんな天皇を象徴とはいえ、国のてっぺんに置く日本もまた「稀有な国」といえる。
そんな天皇が、いかなる夢を見ておられるのか・・・。
そして「その夢」の「絵解き(夢解き)」をする人は、周りにいるのだろうか?
同じ懸念が一国(日本)の総理大臣にもいえる。(祈ればの話であるが・・・)

日本における「神のホットライン」は、どこにあり、誰によって司られ、守られているのだろうか。
日本の「国の司」は今、神からの不思議な夢を与えられ、悩みの中にあるのだろうか?
そして、「それ」を解くことの出来る「賢者」を周りにお持ちだろうか・・・。
以前に申し上げた「神の復帰摂理」という「コード」から日本を読むとき、いつも私は気になるのです。
畏(おそ)れを知らない人間の「我」によってなりたったものは、国であれ個人であれ、文化であれ文明であれ、はたまた教育であれ、尽きることを知らない牙城となり、砂上の楼閣の運命にあると。



日本の運命に己の天命を悟り、その「一手」を打つべく立ち上がる者たちの声が、ようやく聞こえ始めた今、神のコードは私達に再びの「維新」をあたえようとしておられるのだろうか・・・。
きっと誰かが夢を見、その夢を解いたに違いない。
神はその「人」に、日本の司としての王権を授けたがっておられるはずである。
さあ、それは誰だ・・・。
今こそ日本中が夢を見、いや夢にうなされ、それを解く最後のチャンスをこそ感謝しよう・・・。