霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

玉の緒

2012年10月21日 | 心霊現象
「たまのお」と読む。
何の事かお分かりだろうか?
『死とは、「玉の緒」(シルバーコード)が切れた時を言う』とある。
シルバーバーチの言葉である。

今からしばらく前、大いに読まれた漫画で「うしろの百太郎」というのがあった。
覚えておられるだろうか。
魔界の死神が、大きな「鎌」(カマ)を持って、人とつながっている綱を切ろうと迫りくる「絵」だ。
漫画では、地上人と霊界人である「百太郎」との綱(ひも、糸)を切ろうと躍起になる死神の模様が
描かれていた。
「うしろの百太郎」とは、地上人である一人の少年の守護霊である。
この綱さえ切れば、少年は必ず死ぬ。
その存在が邪魔だった魔界の狙い撃ちにあった「少年」。その少年こそが主人公であり、「心霊研究所」の中心人物でもあった。
こうして様々な霊現象を解決してゆく「この少年」は、魔界からみれば都合の悪い存在でもあった。
・・・、とまあ話の構成はこのようにして進められていきました。
何も分からない時の私はその話が面白く、古本屋で全巻をまとめ買いして読み漁ったことを思い出しますねぇ。

今だから皆様も、守護霊と自分(地上人)を繋ぐ糸でも綱でも緒でもないことはご承知でしょう。
この「玉の緒」こそが、人間を構成する霊と肉を繋ぐものですね。
だから、この緒が切れた時をもって「死」とするというのは、真理です。
前にも申し上げたとうり、体はいわば心を纏(まと)う衣になる。
いずれは脱ぎ捨てて「あの世」へと渡ってゆく。
「玉の緒」からみたとき、人の死はこのように言い当てることが出来る。
しかし現在の医学からは、人の死は「脳死」をもって充てられている。
じゃ、脳死って何?(現代医学でも、難しいと聞く。ここからここまでという堺が解りずらいとか)
人の死を、肉体的条件で計るやり方に限界があるということかもしれない。

この「玉の緒」を繋(つな)ぎながら、人はいつまで生きるのか・・・。
寿命まで? ・・・答えになっているだろうか?
「この世」は、「あの世」から見て大きく違う価値観の中で生きる。それも気付かずに生きる。
これを生きているうちに克服しない限り、あの世へ行ってはいけない。
死んではいけない、となる。
何度も繰り返し繰り返し申し上げている事であるが、私を含めて生ける者全ては、日々が無知の克服
に費やされなければならない。
生きていくための「学歴」であり、「職業訓練」であり、「人格の形成」であるかもしれない。
が、死ぬための準備「無知の克服」は、いつやるの?


昔から遺体は3日後に火葬(その他のやり方で)する、といわれている。
つまり、死んですぐには葬らないのだ。この3日こそが「玉の緒」が完全に切れた状況を確認する
一つの、昔からの方法だという事でしょう。
ひょっとしたら「生き返る」かもしれない。それで3日間待った。
「ミイラ」伝説は、肉体さえ残しておけば、蘇ることが出来るという奇跡を願う人間の心の現れである。しかし「玉の緒」の切れた肉体に再び再生し、地上の生活を繰り返す意味は無い。
霊界が最終目的として造られた「人」に、地上にいつまでも留まることを許すはずもなければ、それを知っている魂が求めるはずもない。

さて、緒という言葉を聞いて思い当たるのが「ヘソの緒」である。
母の胎内にあって命を繋ぐ「緒」。これがへそで繋がれている「緒」だ。
そして10月10日をもって「この世」に生まれ出る。
そうだ、この「緒」が人間を三つの形態をもって生存させた「神」の妙味、技でもある。
胎中、地上、霊界と三つの形をもって人間となる。
胎中、地上は通過体にすぎない。そしてその間は「緒」をもって繋がれている。
この世に出るときの「緒」は、「ヘソ」で繋がれ親との連携で生きる。
では地上生活は「玉の緒」を、どこと繋がれて生きるの?、ということになる。
だから肉体と霊とを繋ぐ「玉の緒」のもっと先には、「親」がいるんです。
そこから「栄養」が流れてくる。つまり魂の栄養です。それが「神の言葉」であり、「神の愛」ということになる。この栄養つまり「魂の糧」がこないと、栄養失調になってよく育たない、ということ
になるのです。
その未成熟の魂が霊界へ行けば、足りない栄養分を補給してもらうことになる。
とまあ、こういった具合でしょうか・・・。


ほら、はじまった!そうくると思った!

皆様のため息、つぶやきが聞こえそうです・・・。



「火星探査機」からのすごい映像が送られてきています。
それを見ていると、私達が昔見た映画『火星人、東京にあらわる』なんて何だったのでしょうねぇ。
でも子供ながら「火星人はタコに似た生物」というイメージがバッチリついて、興味津々。
とうとう「天文学」を志した時さえあった私です。
火星には、かつて水があり生物がいたと、ここまでは分かっているそうです。
太陽系の惑星に、これほど的確に配置された「生きるための星」は地球以外にはないと、増々奇跡
のように考えられると最後に結んでいた番組を見ながら考えます。

今の「わたし」は、宇宙という広大な環境を賜った「貴重な魂」の一つであり、かけがえのない
神の分身である・・・と。