霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

巨匠たちの霊感

2012年10月03日 | 心霊現象
「もの」を創作することで、彼らがなぜそこまでに神経を集中し、一生という長い時間をかけて
現そうとしたか・・・。
一つは自発的な心の叫びであると同時に、いずこかから聞こえ、あるいは教え導かれる「霊感」によってもたらされたものがある、ということを知る。
世に現れた巨匠たちは、選ばれ、その使命を甘受(かんじゅ)して、無形なるものを、有形なるものにして「この世」に表した。そしてある時代に一瞬にして出現し、輝き、そして去っていった「生命の証人」でもあった。
「絵」にしても「彫刻」にしても「音楽」にしても、霊的な世界を切り離してはその存在はなかった
と言えるようだ。


日本画家「東山魁夷」。
彼が言う。『無心に風景を見ていると、風景が「書いてくれ!」と言って、私の足を止めさせる』
そこで彼は、その自然が叫ぶ「部分」を切り取って絵にする、と言うのである。

彫刻家、ロダンも言う。
石の中から「わたしを彫り出してくれ!」という声が聞こえてくる。
だからわたしは、ただその像を石から掘り出してやっているのだ・・・と。

同じようなことを「運慶」も言う。
大木の中に見える、埋もれている「仏の姿」を、わたしは掘り出していくにすぎない・・・、と。
霊界から聞こえる「旋律」を、音符になおしてこの世に再現させる「モーツアルト」もそうだ。
あふれ出る「心情のほとばしり」を音楽という形で残し、無言でありながらも永遠に「何か」を語り
続けようとした作曲者たち。
見るがままに、感じるがままに、「埋もれたもの」を彫り出して形に残した巨匠たち。


それらは「巨匠」といわれた人たちの、彼らの霊感が導いた賜物であるともいえる。
その恩恵を賜りながら、私達は歴史とともに積み上げられた輝かしい「形」に見入る。


最近のニュースでは・・・。
「モナリザ」の若かりし時の絵が出てきた。
彼女が10歳若い時の絵だそうな。ニセモノではなさそうだ。
間違いなく「レオナルド・ダ・ビンチ」が描いた絵だそうだ。

まだまだ埋もれた「もの」が出てきそうだ。が、それは過去に生み出されたものである。
これからの「もの」、つまりいまだ生まれ出ず、その日を待っている「構想」や、霊感の「ひらめき」は、目白押しかもしれない。
年末の行事、歴代の「歌謡大賞」の中には、年の終わるぎりぎりに出来上がり、滑り込みセーフで、大賞にこぎつけたというものもあるらしい。(「ちあきなおみ」さんが歌った「喝采」がそうらしい)
10月はそういう意味で、一年間の集大成になる「その作品作り」のぎりぎりの残された期間にあたる。


気が付けば、今年も残すところ「あと三か月」。
今から来年のことを言うのは、鬼を気にするわけではないが、さすがにはばかられるが、今年の集大成、あるいは反省は「あの世」では今からもう受け付けているかもしれない。

秋風を感じ、秋の夜長をしみじみ味わいながらこの一年「私は何をしただろうか・・・」と、思いをめぐらすいい機会かと。
TVでね、気象予報士が最近「秋を感じた三つのこと」を挙げていました。
「風(秋風)」と「赤とんぼ」と「キンモクセイ」だとか。
皆様はどうですか? 私は二つの事は確認ずみですが、「キンモクセイ」は未確認ですねぇ~。
もうすぐこの「ブログ」も、一年経ちます。
皆様におかれましては、よくぞ読み続けてくださいました!と、心から感謝を申し上げます。
私においては、よくぞ生きて書いてこれたものよ・・・、と。

仕切り直しをして、また初心に帰り、書いてまいりましょう。
(皆様の耳のタコが、ますます増えていくことを嬉々として、楽しみながら・・・)