霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

ノーベル賞に乾杯!

2012年10月09日 | 心霊現象
世界が喜ぶ「ノーベル賞」に、巷の我々も大喜びを隠せません。
日本人だということも大きい要因ですが、その内容が「医学生理学部門の賞」というところに、私は特に喜んでいます。
それは多分これからの人生は、「臓器移植」などということが無くなっていくのではないか・・・。
と、いう事からでした。
山中教授の受賞分野の「iPS細胞」なるものが、何であるかを詳しくは知らない私でも、自分の細胞から心臓や肝臓や胃など、ひょっとしたら血液さえも造りだせる可能性を物語っていることを感じて、夢のような「この発見」に乾杯するのです。


医師でさえ、「臓器移植」を反対する人も多い中で、宗教性からも倫理性からも納得してこれからの
将来を夢見ることが可能のようです。
山中教授が言う。
「研究中、何回トライしても失敗ばかり。一つのことを二十数回やってもダメでした。
 途中で止めたくなることもありましたが、家族がいつも支えてくれました。
 家族の支えがなければ、続けてはこれなかった」・・・と。


一人よがりに期待して、乾杯している人間も困り者(私)でしょうが、私は一つの観点つまり、
霊界からみて否という事柄が、無くなっていくことを喜んでいる。
罪になるのか、罰をうけるのかといったたぐいのものでもあれば、「このこと」は何と嬉しい限り
であり、救いであるかと・・・。
「臓器移植」がそうであり、「輸血」がそうであり、「妊娠中絶」もそうであり、はたまた「肉食」
さえもそうだと言われたら、知らない事とは言いながら、何と神の意(霊界)に反して生きてきたことか・・・。ちなみに「死刑制度」もそうらしい。(シルバーバーチによれば)

が、すべてはその「動機」が問題であり、時としては「情状酌量」(じょうじょうしゃくりょう)の
余地があるとは聞くが、はたして「人」の行いは何時の時代に『則を越えず』という状態になり得る
のだろう。
この度のノーベル賞が、いや研究成果がこの世にもたらしたものは実に大きく重い。
人類が神の前に「罪」の一つを犯さずにすむ世を迎えたとしたら、彼は「その分野」であれ「救世主」に成り得る。

『人間は、あまりにも無知の度が過ぎます』(シルバーバーチ)

これを聞けば、どれだけ無知かが分かろうというものですが、「天然ボケ」の我々には、その度合い
さえもかいもく見当がつかない、という有様だ。
せめてその一つでも、一人の、あるいはグループの快挙によって行く末が明るくなれば万々歳である。
「その時歴史は変わった」という言葉があるが、このような時代に生きた我々はまた、「歴史の生き証人」でもある。
かって「臓器移植」が成功した時、歴史は変わったと思い、彼らは歴史の証人だと思ったに違いない。
しかしこれから先、歴史は変わりながらも「神の意」に則っとりながら「正しい道」に近づいていく。

TVで司会者が言う。
この研究で、人は120歳くらいまでは生きられるようになる、といいますよ・・・、と。
「長生き」だけに意味を置く人の生き方に、肯定は出来ないが、学びの時を獲得するための延命で
あれば、私は大賛成である。
死ななくてもいい人の命が助かれば、また余命をもって学び、心の修行も出来るというものである。
人の寿命は、それほど長くは「神」は設定されてはいまい。せいぜい120歳くらいだと聞く。
その間に「無知」を克服せよ、ということだ。
どれほどの深い闇(無知)なのかは分からないし、人それぞれであろうが、自分の無知を自分で
克服するしかない。
魂は、他人が自分に代わって成長させてくれるものではないから・・・。
磨きをかけ鍛錬させてくれるのは、「他人」という環境をもって成し得るものでもあるが、我が魂の
養育は、自分と守護霊と、取り囲む環境である。
その「準備された環境」を感謝するか、恨むかは結果において雲泥の差を生むのは間違いのない事実
である。
「感謝」して前にすすめ、ということであり、「苦労は買ってでもすれ」という言葉が生きてくる。
人生のどこに「落とし穴」があるか・・・。
それは「楽」を選択する事に終始した時である、と故人が教えている。


魂を鍛え、育み、与えられた生命のかぎり極限をめざして得た「結果」をもって、次なる世界(霊界)へと誘われていきたいものです。

めでたや!めでたや!実にめでたい!!(チーン・梅酒で乾杯しました、その音)