霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

生き方の懐述

2012年10月25日 | 心霊現象
あの世にいかないまでも、「人生」先がないと知る時、人は自分の生き方をつらつら考える。
さてその時、その想い(思い)は何と出るか・・・。
本心からの叫びは、間違いなく「あの世」(霊界)に行って口を出る「まぎれもない我が懐述」である。
これまでも幾つかの懐述を聞いた。
それは守護霊が語ることだから、「自分」の守護霊が語らない限り関係はないと、思っていたかもしれない。が、自分の守護霊が語ったことでさえ、一線を引いて人事のように聞き逃して来た者には、終焉(しゅうえん)の際はきっと「二人分の懐述」でその重さを感じるであろう。


神官と金刺家頭領の二つの役目を兼ね備えた『金刺頼芸』(かなざしよりあき)。
今から400年前に生を受けた人物である。
さらに自ら「破戒僧」と言い、どこにも属せず、100日修行をやってのけた「あの御仁」、そう
「蘭奢待」(香木)の持ち主の「あの霊能者」である。
この霊能者の守護霊が『金刺頼芸』。
金刺家は諏訪家と常に争っていた。諏訪神社のトップをかけた争いである
戦さの明け暮れと神官という、まるで両極端の勤めを果たす彼の日々は、「彼」(守護霊)の言葉を借りれば『七転八倒の苦しみ』だったと懐述する。
戦から帰り、血なまぐさい身で神に祈る。
こんな日々を続ける身の愚かしさ、そして運命宿命を呪う・・・。「人は何者なのか・・・?」。
常に己の心を苛(さいな)み続ける、そんな人生だった、という。
ある意味では「死んでホッとした」そうな。
だからあなたには、こんな人生を送ってほしくはない。本心の赴(おもむ)くままを生きて欲しい
と切望する。そんな守護霊の懐述を受けて「彼」の今がある。


そしてもう一人。
老中『堀田正盛』。徳川家三代将軍・家光のころ。
「春日局」の義理の孫にあたる彼の人生は、ハタでみるよりも楽ではなかった。
老中という役目がら、『清濁合わせ呑む』生活の日々だったらしい。
それが「あの世」でひっかかる。つまり本心が違うと叫ぶ。心の痛みとなって身を苛むという。
人間として、その心の持ち様として「清濁」が併せ呑めるハズがない!
よって「あなた」からは、真実一つの心で人生を送ってほしい・・・、と懐述する。
地上の御仁は、守護霊に「春日局」をもつ実の母と「献金問題」で揺れたあの「東銀座」の人である。


おしなべて、歴史が人の口を借りて「語る」としたら、表向きの出来事ではなく、その奥の奥に
流れてきた「人の心」の懐述にある。
それこそが、一族の歴史であり、国家の歴史であり、民族の歴史ともいえる。
流れながれてきた人の心の「大河」を集めたとき、人類の歴史がようやく見えてくる。
それは「形」ではなく強烈に「心」に迫ってくる悲しみ、苦しみ、恨み、希望等という「心情」となって「人の行くべき道」を示そうとする。


今「生」をもって生きている者は、守護霊と同じ生き方をしてはならない。
すくなからず、彼らが教え諭(さと)し、懐述する二の舞をしてはならない。
人生に「意味」があるとしたら、生を全うする事は第一ではあるが、自分の人生の意義にあわせて
守護霊の人生をも全うさせるべき「使命」がある。
この二つをやり遂げたとき、はじめて『おつかれさん!ご苦労様!』と声がかかる。


そうそう、ずいぶん前に見た夢の一つを・・・。

あの世も「女子会」があるのか?・・・、と思うような「集まり」でしたねぇ~。
「遅れちゃった、急げ急げ」と、走って息を切らす人がいる。
私が急いで走って息切れがしているところをみると、「お松さま」だろう。
ふすまを勢いよく開けて、「遅うなりました」と部屋に入る。
女子会のメンバーは約7、8人。それも膝しか「私」には見えない。
しかし「着物」だ。あの時代劇の、それも侍の娘の着物とまでは分かる。
空いている席(座布団)に座ると、隣の女人(女性)が静かに会釈をする。
「あら、ガラシャ様。遅うなりまして・・・」とわたし。
えっ、横はガラシャで、隣が(わたし)信松尼・・・・。
ははーん、この「女子会」は、日本の女の救済のための「プロジェクト・チーム」か?
さてさて、面白いところへ紛れ込んだものだ。ではチームの面々は誰か?
と、目線を膝から徐々に上へと移していく、と・・・。
あーら不思議。こんないいとこで目が覚めるなんて!

それ以来「つづき」は見せてもらっていません。



人生いろいろ、ため息も「吐息」もいろいろ。
そのいろいろを人の心に乗せて、救われようとしている存在があることを、どうぞ忘れないで
くださいね。