霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

台湾海峡を封鎖せよ!

2012年10月11日 | 心霊現象
似たような言葉を、どこかで聞いたような気がしませんか?
映画「踊る捜査線」で、あったような気が・・・。しかしあの時は日本のそれも「橋」の封鎖の話。
これからお話するのは、国際情勢のそれも一触即発を目の前にした、危機せまるものでした。
今から40年ほど前の話ですから、これも「時効」としての思い出話としてご紹介します。


今年は何かと騒がしくなった「日中国交40周年記念」。
ことは、丁度国交を開くという40年前の「田中内閣」時代に遡(さかのぼ)ります。
先にご紹介した「赤尾 敏氏」が、かの「数寄屋橋」であらん限りの声を出して訴えていたのが、これでした。
『台湾を切って、中国と結ぶ?
 田中は気でも狂ったか? 日本を亡ぼす気か? 馬鹿者が!
 こんな蛮行は、神も仏も決して許さない! え、一国の総理が気が狂ったですむ話じゃあない!
 ・・・』
とまあ、激しい口調で一国の首相を「バカ者」呼ばわりしながら、声をからして道行く人達に訴えて
おりました。
「あの気違いじいさん、またやってる・・・」と、道行く人は笑いながら通り過ぎていきました。
私は植え込みの石に座って、じっと見、聞きいっていましたから日本人の空気はすこしはとらえていましたねぇ~。
赤尾 敏氏の狂わんばかりの話は、真剣に聞く人を確認できないまま終わりました。
彼の右肩の「イエス」と、左肩の「日蓮」が狂わんばかりに最後の警鐘を日本に鳴らしたと思うと、
それから経過したこの「40年」が、不気味さをもって今私に蘇ります。

赤尾氏が、「気違いじいさん」の一言で国民から振り向かれもしなかった裏で、もう一つの動きが実はあったのです。
それが「統一教会」の動きでした。
教会の「政治部」、別名「勝共連合」。どこかで、聞いたことがおありかもしれない。
そこで「文氏」(教祖)からの命令を受けたことが、「台湾海峡を封鎖せよ!」という密命でした。
台湾を切って中国と結ぶことは、神の願いではなく、日本の赤化あるいは共産化を早めるという意味
でした。いずれにしても好ましくない・・・と。
一時私も政治部の渉外係りをしていましたから、国会議員はじめ「右翼」、右寄りの議員にむけての
渉外活動をしたことを覚えています。
私は下っ端でしたから、台湾へは渡りませんでしたが、上役は台湾議員団に「海峡を封鎖せよ!」との密命をもって渡りました。

中国大陸はあれだけの人口(13億?)です。市場を開くには文字通り「よだれが出る」くらいの
ところ。経済大国を目指した日本、そして国民も台湾の小国よりも、大陸を望んだ。
「どこが悪い?」と言うかもしれない。理由はいろいろある。
が、「神の願いではない」。これが日本に突き付けられた「矢」の一つだった。
「一の矢」か「二の矢」かは忘れたが、確かに重要な日本に対する神からの選択がせまられていた
ことは確かだった。
赤尾氏の絶叫は、今も私の耳に残っている。
その後、日本が台湾を切り、つまり台湾との国交を断絶し、中国との国交を回復した時、赤尾氏は
静かにこの世を去った。
彼が生前、「文氏」と会った事がある。
その折、彼は労をねぎらわれ、金の時計を頂いたそうな。
そして言われたことは、「後継者を育てなければならない。一代で終わらせることは活動としては
失敗である」・・・と。
今頃は、お二人とも「あの世」である。
あの世からみて、今後の日本はどう見えるのだろうか・・・。

なぜ台湾当局が「台湾海峡を封鎖」しなかったのか・・・?
詳しくは私の耳には入ってこなかった。
あの時、海峡を封鎖されたら、日本はたまったもんじゃない。悲鳴をあげて、「金」に走った行動を
修正したかもしれない。(即刻日本の経済に支障をきたすからだ)
どんな天秤か分からないが、「天秤」の「ふれ」が中国に出た。
その後、時間が流れて40年経っている。
霊界の「ものさし」は、ものごとの結果は「40」をもって現れる。
(守護霊は120数をもって、地上に示した。これも「あり」だ)
「矢」の一つを損なった日本の運命は、その後何をもって修復されたのか、それともただ結果を待つ
だけなのか・・・。

「原因と結果の法則」は、間違いのない天の法則の一つである。
植えた物は必ず芽を出し、花を咲かせその実を刈り取る。
これを「罪」と置き換えてみれば、一目瞭然である。その結果を今刈っているのだ。
いい種を植えれば、いい実を収穫する。逆もまた真である。
一人の人間から国家、人類にいたるまで地球規模で「神」の前に立つとき、答えは何と出るのだろうか・・・?


私が政治家を多少知っているという事は、その時の「渉外」で歩きそして出会った人達ですね。
東京・台東区、中央区、文京区が担当でしたから、この三区の区会議員、都議会議員、国会議員は
大体お話をしています。(当時の方々という意味)
「鳩山家」も文京区ですから、もちろん行きましたよ。
でもあの頃は、ほとんどを「ご母堂」が仕切っていらっしゃいましたので、そこで話がつくというもの。その「婦人部」がまたすごい!
他に類をみない結束でしたね。集まるお金もはんぱじゃない。「いい」と分かれば則決定。
資金も集まるという時代でした。皆様は「日本」を常に意識していました。
今のへたな国会議員よりは、ましでしたね。勉強もしていたし、「打てば響く」というご婦人も多かったことを、覚えています。
新参者の私は、そのご婦人方の話を聞きながら、育てていただいたようなもの。
現在は、ご母堂はじめ皆様は「あの世」の人となられましたが。

今も現役で「国会議員」だと胸を張っておられる方々も、若いあの頃、選挙をお手伝いした方も
いらっしゃいます。
が、目に余るものは「日本の行く末」よりも「目先の自分」という蛮行があまりにも見え見えで、
興ざめいたします。
鳩山ご母堂とその婦人部の面々が、今「この世」に現れたら、何と思召すか・・・?
一回でいい、化けて出て欲しいと思うくらいの昨今です。
このようにして時が流れ、今は台湾とは観光や貿易で多少の関係はあるでしょうが、それでも
国民はさみしさを隠して、日本を意識し続けているのです。


相手の意を尊重して、事を荒立てず、出来ることならば穏便に解決を・・・・。
日本人のDNAが常にそれを「モットー」とする。
でもね、もうそれでは「あかん」時代が来ています。
右か左か、選択できない人種。中道を行くだって? そんな甘い時代は過ぎました。
リスクを負ってでも、「こうだ」と決める「決定できる人」は、なにも総理に要求する事だけでは
なく、一人の国民つまり今の自分が「そう」であるかを見つめるべき時でしょうね。
「贅沢」が身に沁み込んでいる国民に、今から「倹約」を強いたら、暴動(不平不満)が起こりかねない「国民性」は、結果として現れたにすぎません。
江戸時代だって、「倹約」を打ち出した将軍に、大反対の嵐が巻き起こったのですから・・・。



「伊勢神宮を爆破」し、皇室に怪文書を送る。
たとえ脅しでも愉快でも、その発想の裏には、国民の病んでいる闇の部分がマグマのように「その
噴火の時」を待っているかと思うと、これも結果かと思わざるをえないのです。
「昔は良かった」か? 否。
今が一番!と、感謝しながら病魔と闘う姿勢こそが日本のこれからかと思いながら、「昔ばなし」
を致しました。


(また少しの間、留守にいたします。ではまた)