「山が好きでね。休みが取れると山に登るんだ。え?おかしい?
そうかい?想像できないか・・・。まぁね、登るんだよ、ただただ
登る。空を見上げてみたり、移ろいゆく木々を眺めたり、する。だ
けどね、ただ登るのが好きなんだ。黙々と登る、登るということひと
ことに没頭することで頭の中は、山の空気のように澄みきってくる。
見晴らしのいいところから眺めるように頭の中の展望も開けてくる。
海が、うっすらと遠く見える。海で生まれ、海で育った。今だって
海で暮らしてる。ここからかすかに望む海は、なんだか悲しく懐かし
いものなんだけれど、だからこそ勇気も湧いてくるような気がするん
だ。」
ある日、くじらさんからそんなお話を伺いました。くじらさん、ねこさん、
そのほか常連のお客様はたくさんいらっしゃいますが、それぞれの方
がそれぞれに抱えているであろう心情のひとかけらを垣間見たようで、
居たたまれない、いとおしい気持ちが広がって沁み込んでいくようでし
た。
・・・ふと、こんなことも思い出しました。
何ヶ月か前のこと、ペンギンさんがふらりとこの店にお立ち寄りになっ
たことがあったのです。ペンギンさんは、たいへんお話好きで、くちば
しの動きが止まるのは、カシスミルクを飲むときだけでした。なんでも
彼は旅の途中で、たまには都に入ってみるのもよかろう、ということで
滅多にいらっしゃらない都の中心部を徘徊なさって居たそうでございま
す。ペンギンさんは、旅で得た様々のお話を私どもに惜しげもなく披瀝
してくださいました。
例えば、西洋のとある国の動物園にいるサルさんの郷愁について。
友人のペンギンさんが南の国に憧れて、必死の思いで旅費を貯め、いざ
かの地の辿りついたはいいが想像以上の暑さで、あんなに焦がれたビ
ーチに行ってもクーラーボックスからわずかに見遣るだけだったとい
う哀れなお話。(これはもしかすると、自身の体験談だったのかもしれ
ませんね。)
絶滅寸前のトキさん、あまりの外野のうるささに嫌気さし、「俺自身の
生き死に、てめぇらに関係ねぇ。先祖は江戸の空を自由に飛びまわっ
ていたってぇのによぉ、こいつらてんでわかっちゃいねえんだ」と愚痴
をもらしたという秘話。
じゃこさんの呟き。
いぬくんの寝言から読み取るフロイト的夢診断
うさぎさんの糞から読み取る詳細な健康状態。
かまきりさんの保険金の額。
かぶとむしさんの代々伝わる兜の文化史的価値。
国際政治史からみたブラックバスさんとわかさぎさん関係の今後の情
勢。
アヒルおばあちゃんの智慧、などなど挙げればきりがありません。
しかしその多弁から、ペンギンさんの抱えている真情は聞くことができ
ませんでした。様々なお話を聞かせてくれるペンギンさんの目はキラキ
ラしていましたが、時折ふと見せる不安な眼差しに胸が締めつけられ
るようでした。
哀しいお方だ、と。
どうして差しあげることもできない切なさが、私の微笑を少しだけ歪め
ました。
すると、異様に遅いテンポで、「枯葉」が始まりました。私のココロを
見透かすように。
これほど名演の多い曲で、演り尽くされた感がありましたが、まだま
だ、こんな「枯葉」が散らずに残っていたのでした。
妖しく色づいた一葉一葉、枝から別れる瞬間の、声、死、離れ逝く切な
さ。
戻って往く感覚。輪廻りながら、落ちてゆく、悔いもない、恍惚。
そんな感覚が詰めこまれた演奏でございました。
誰ひとり声も出ず、指さえも動かさず、息を殺して、聴覚を、感覚を研
ぎ澄まして聞き入ってた。いや、ただひとり、ねこちゃんだけは、安ら
かな寝息を立てていた。
ねこちゃんには届いただろうか。全く届いてないかもしれない。でも、
もしかしたら届いているのだろうか。ひょっとしたら、ねこちゃんが、
一等、甘美な「枯葉」を眺めていたのかもしれないね。
8時を過ぎる頃になると、またお客様が入りだし、店も賑わってまいり
ます。すると、この大切なお客様との時間も終わることになるのでござ
います。
「ほら、行くぜ、ねこちゃん。お邪魔にならないうちにね。じゃ、ご馳
走様、ひつじくんもありがとう」
と私たちは微笑を交わします。
くじらさんはねこさんを抱え、颯爽とお帰りになりました。
お店は11時に閉めます。落としていた照明を戻して、お客様が、すべ
て帰られ、片付けが終わると、ひつじくんとわたくしは、カウンターに
座り一息入れるのが、常になっております。ひつじくんは甘くしたミル
クにマイヤーズを入れて、わたくしは、カルヴァドスのロックかペルノ
ーにグレープフルーツジュースを入れて飲んだりします。
ひつじくんは余ったチョコレートシフォンをつまみながら、
「ねこさんは大丈夫だったのでせうか?」と心配顔で呟きました。
「なに、あれくらいなら、へいちゃらです。仕合わせそうなお顔でした
よ。不眠のクスリですよ。」
「薬のほうが、クセになってしまったり・・・」
「大丈夫ですよ。くじらさんがついていれば。それよりひつじくんの
ピアノの方が良い薬になっていたみたいですよ。」
ひつじくんは照れて俯きながら、
「いえ、自分は、まだ、じ、自己満足の域を出ておりませんから・・・」
と、どもりながら仰います。
「そうですか?この店にいたみんな、ウットリしていましたよ。」
「え、いや、そっそんな、いやいや、私、鳥渡、着替えてまゐります。」
ひつじくんは慌ててバックルームへ消えてしまいました。
そして、わたくしは、カルヴァドスをひとくち含んで酒瓶の色をライト
に透かしてみたり、棚にあるジノリのカップなどを何とはなしに眺めた
りいたします。
これがわたくしの、日常でございます。
そして、きっとあなたは、いつかこのお店を見かけます。
(了)
そうかい?想像できないか・・・。まぁね、登るんだよ、ただただ
登る。空を見上げてみたり、移ろいゆく木々を眺めたり、する。だ
けどね、ただ登るのが好きなんだ。黙々と登る、登るということひと
ことに没頭することで頭の中は、山の空気のように澄みきってくる。
見晴らしのいいところから眺めるように頭の中の展望も開けてくる。
海が、うっすらと遠く見える。海で生まれ、海で育った。今だって
海で暮らしてる。ここからかすかに望む海は、なんだか悲しく懐かし
いものなんだけれど、だからこそ勇気も湧いてくるような気がするん
だ。」
ある日、くじらさんからそんなお話を伺いました。くじらさん、ねこさん、
そのほか常連のお客様はたくさんいらっしゃいますが、それぞれの方
がそれぞれに抱えているであろう心情のひとかけらを垣間見たようで、
居たたまれない、いとおしい気持ちが広がって沁み込んでいくようでし
た。
・・・ふと、こんなことも思い出しました。
何ヶ月か前のこと、ペンギンさんがふらりとこの店にお立ち寄りになっ
たことがあったのです。ペンギンさんは、たいへんお話好きで、くちば
しの動きが止まるのは、カシスミルクを飲むときだけでした。なんでも
彼は旅の途中で、たまには都に入ってみるのもよかろう、ということで
滅多にいらっしゃらない都の中心部を徘徊なさって居たそうでございま
す。ペンギンさんは、旅で得た様々のお話を私どもに惜しげもなく披瀝
してくださいました。
例えば、西洋のとある国の動物園にいるサルさんの郷愁について。
友人のペンギンさんが南の国に憧れて、必死の思いで旅費を貯め、いざ
かの地の辿りついたはいいが想像以上の暑さで、あんなに焦がれたビ
ーチに行ってもクーラーボックスからわずかに見遣るだけだったとい
う哀れなお話。(これはもしかすると、自身の体験談だったのかもしれ
ませんね。)
絶滅寸前のトキさん、あまりの外野のうるささに嫌気さし、「俺自身の
生き死に、てめぇらに関係ねぇ。先祖は江戸の空を自由に飛びまわっ
ていたってぇのによぉ、こいつらてんでわかっちゃいねえんだ」と愚痴
をもらしたという秘話。
じゃこさんの呟き。
いぬくんの寝言から読み取るフロイト的夢診断
うさぎさんの糞から読み取る詳細な健康状態。
かまきりさんの保険金の額。
かぶとむしさんの代々伝わる兜の文化史的価値。
国際政治史からみたブラックバスさんとわかさぎさん関係の今後の情
勢。
アヒルおばあちゃんの智慧、などなど挙げればきりがありません。
しかしその多弁から、ペンギンさんの抱えている真情は聞くことができ
ませんでした。様々なお話を聞かせてくれるペンギンさんの目はキラキ
ラしていましたが、時折ふと見せる不安な眼差しに胸が締めつけられ
るようでした。
哀しいお方だ、と。
どうして差しあげることもできない切なさが、私の微笑を少しだけ歪め
ました。
すると、異様に遅いテンポで、「枯葉」が始まりました。私のココロを
見透かすように。
これほど名演の多い曲で、演り尽くされた感がありましたが、まだま
だ、こんな「枯葉」が散らずに残っていたのでした。
妖しく色づいた一葉一葉、枝から別れる瞬間の、声、死、離れ逝く切な
さ。
戻って往く感覚。輪廻りながら、落ちてゆく、悔いもない、恍惚。
そんな感覚が詰めこまれた演奏でございました。
誰ひとり声も出ず、指さえも動かさず、息を殺して、聴覚を、感覚を研
ぎ澄まして聞き入ってた。いや、ただひとり、ねこちゃんだけは、安ら
かな寝息を立てていた。
ねこちゃんには届いただろうか。全く届いてないかもしれない。でも、
もしかしたら届いているのだろうか。ひょっとしたら、ねこちゃんが、
一等、甘美な「枯葉」を眺めていたのかもしれないね。
8時を過ぎる頃になると、またお客様が入りだし、店も賑わってまいり
ます。すると、この大切なお客様との時間も終わることになるのでござ
います。
「ほら、行くぜ、ねこちゃん。お邪魔にならないうちにね。じゃ、ご馳
走様、ひつじくんもありがとう」
と私たちは微笑を交わします。
くじらさんはねこさんを抱え、颯爽とお帰りになりました。
お店は11時に閉めます。落としていた照明を戻して、お客様が、すべ
て帰られ、片付けが終わると、ひつじくんとわたくしは、カウンターに
座り一息入れるのが、常になっております。ひつじくんは甘くしたミル
クにマイヤーズを入れて、わたくしは、カルヴァドスのロックかペルノ
ーにグレープフルーツジュースを入れて飲んだりします。
ひつじくんは余ったチョコレートシフォンをつまみながら、
「ねこさんは大丈夫だったのでせうか?」と心配顔で呟きました。
「なに、あれくらいなら、へいちゃらです。仕合わせそうなお顔でした
よ。不眠のクスリですよ。」
「薬のほうが、クセになってしまったり・・・」
「大丈夫ですよ。くじらさんがついていれば。それよりひつじくんの
ピアノの方が良い薬になっていたみたいですよ。」
ひつじくんは照れて俯きながら、
「いえ、自分は、まだ、じ、自己満足の域を出ておりませんから・・・」
と、どもりながら仰います。
「そうですか?この店にいたみんな、ウットリしていましたよ。」
「え、いや、そっそんな、いやいや、私、鳥渡、着替えてまゐります。」
ひつじくんは慌ててバックルームへ消えてしまいました。
そして、わたくしは、カルヴァドスをひとくち含んで酒瓶の色をライト
に透かしてみたり、棚にあるジノリのカップなどを何とはなしに眺めた
りいたします。
これがわたくしの、日常でございます。
そして、きっとあなたは、いつかこのお店を見かけます。
(了)
なんかちょっと涙ぐんでしまいました。
またもう一度、最初から通して読んでみますね。
あと、途中のペンギンさんのくだり、おもしろくて笑ってしまいました。
takecafeさんの心の中の世界を垣間見たような気がします。
こんなお店あったら行ってみたいですね、本当に。
takeさんの感性だからこそ、ですね。
goo ブログで見つけた宝物がひとつ増えました。
takeさん、ありがとうです。
(これ、BLOG FRIENDSに欲しいですよ)
ありがとう。
きっとあなたが一番読んでくれてますね。
一応終わったけど、終わりのないお話だから、また書きますよ、きっと。
もけさま
ありがとうございます。
ホント、もけさんのような方に読んでもらえる幸せをひしひしと感じております。
そうそう、BF2完成おめでとうございます!♯3に載せてくれますか?なんて。w
なんかもの悲しくて穏やかな終末、
たけさんの心理を覗いたような気もします。
この登場人物、みんなたけさんの表れなんでしょうね。
静かな気持にさせられました。
続編を楽しみにしてますよ。
いろいろな問題。
いろいろな出来事。
takeさんの文体って、とてもやわらかで、
そんな”いろいろな”ことたちが、
するっと、私のココロに入り込んできました。
終わったところから始まるのです。
そんな予感めいたものを感じつつ。
チョコレートシフォンを一口いただきます。
ありがとうございます。
私のココロ、見透かされてますね・・・。w
>静かな気持ち
よかったです。
ふぅ。
たけこさま
私の20代の総決算のつもりです。思いのほとんど前半のものですが、形にしたのは後半、ということで。w
いろいろな思い、柔らかく、するりと入りこみました?
そんな事を言って頂ける方がひとりでもいる限り、書いていきたいですね。
ありがとうございます。感謝。