「わかる、ということ」はずっと私の頭の中にある思いでした。
「自信の無さ」というのもまた、然り。
昭和15年の太宰の小文「自信の無さ」
朝日新聞6月2日に載ったのが初出らしいです。
丁度この時期ですね。
同じ朝日新聞の文芸時評で現代の新人について、しかも太宰の作品を例に挙げて、
「今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついている」
と指摘されたことの反論として掲載されたようです。
反論といってもこの頃の太宰さんはもう30になり少し大人になってなす。かつて川端康成に「刺す」と言った無頼さ加減は影を潜めています。
「けれども私たちは、自信を持つことが出来ません。どうしたのでしょう。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りません。ひそかに読書もしている筈であります。けれども、努力と共に、いよいよ自信が無くなります。」
実際、太宰は再婚をし、つつましい「小市民生活」をし、この年「走れメロス」「駈込み訴え」「春の盗賊」などの中期の傑作を生み出してます。そんな太宰はこう、この文を結びます。
「今は大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のがれる事は出来ません。・・・私たちはこの「自信の無さ」を大事にしたいと思います。卑屈の克服で無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例のない見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」
文化という言葉にハニカミとルビを振る太宰のこの感覚を私は受け継ぎたいと思う。
時代は変わる、しかし構造自体は変わるものじゃない。
若いまま逝ってしまった太宰はいつも若く卑屈な人間の旗手なんですね。
昭和15年の太宰のエッセイ・雑文は他の年に比べて断然多い。
そういう年頃なのかしら、私がブログにハマルように・・・。
(iceさん、あきこさんのコメントに感謝!)