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SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

哄笑するニイチエ氏に感心する太宰君

2004-06-15 04:21:28 | 太宰
「笑いながら、厳粛のことを語れ!」

ニイチエ氏もいい事を言います。    太宰治

~太宰は意外にもニーチェを真剣に読んでいたようです。
彼は蔵書をほとんどせず、いつも近所の亀井勝一郎のとこで借りたりして読んでいた。その数少ない蔵書の一冊がニーチェ、あと落語全集だったそうです。

ひとり

2004-06-14 04:53:54 | 太宰
「私はいつも独りでいる。
 そうして、独りで居る時の姿が
 いちばん美しいのだと信じている」  太宰治

少し?ナルシスティックかしらん?
でもわからないでもない感覚なんです。

ふと、こんな言葉が浮かんだんです。(いずみさんに捧ぐ)


太宰眼鏡

2004-06-05 03:30:59 | 太宰
皆さんのブログにお邪魔してコメントを残すのですが、そのコメント、
太宰を介してじゃないとコメントできないような感じになっている。
皆さんの記事に対して太宰というフィルターを通して、私のコメントになる。
太宰はこう言ってましたが・・・てな。
イタコですかな。

おかしな話だ。


自信の無さ

2004-06-04 14:39:55 | 太宰
「わかる、ということ」はずっと私の頭の中にある思いでした。
「自信の無さ」というのもまた、然り。

昭和15年の太宰の小文「自信の無さ」
朝日新聞6月2日に載ったのが初出らしいです。
丁度この時期ですね。

同じ朝日新聞の文芸時評で現代の新人について、しかも太宰の作品を例に挙げて、
「今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついている」
と指摘されたことの反論として掲載されたようです。
反論といってもこの頃の太宰さんはもう30になり少し大人になってなす。かつて川端康成に「刺す」と言った無頼さ加減は影を潜めています。

「けれども私たちは、自信を持つことが出来ません。どうしたのでしょう。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りません。ひそかに読書もしている筈であります。けれども、努力と共に、いよいよ自信が無くなります。」

実際、太宰は再婚をし、つつましい「小市民生活」をし、この年「走れメロス」「駈込み訴え」「春の盗賊」などの中期の傑作を生み出してます。そんな太宰はこう、この文を結びます。

「今は大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のがれる事は出来ません。・・・私たちはこの「自信の無さ」を大事にしたいと思います。卑屈の克服で無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例のない見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」

文化という言葉にハニカミとルビを振る太宰のこの感覚を私は受け継ぎたいと思う。
時代は変わる、しかし構造自体は変わるものじゃない。
若いまま逝ってしまった太宰はいつも若く卑屈な人間の旗手なんですね。
昭和15年の太宰のエッセイ・雑文は他の年に比べて断然多い。
そういう年頃なのかしら、私がブログにハマルように・・・。

(iceさん、あきこさんのコメントに感謝!)






太宰治 29歳

2004-05-28 03:42:14 | 太宰
もうすぐ29になる。
29の太宰は何をしていたんだろう。
なんと!
「富岳百景」の頃だった。
井伏鱒二のいる御坂峠、天下茶屋を訪ねたのが9月。

転機だ。

ここから太宰の中期が始まる。
その始めの作品とされる「満願」は中期を象徴する
おだやかで気持ちのイイ傑作短編。

私にとっても、この年は転機になる気がする・・・。


世界の中心で愛を叫ぶ太宰氏

2004-05-19 01:38:00 | 太宰
「太宰は愛情依存症でした」というようなことを妻の美智子さんは著書で言っていたが、愛についての言葉はやはり、多い。

愛は言葉だ。

神のみ、よく愛し得る。まことか?

愛というのも、結局は義務の遂行のことでは無いのか。

必要なものは、叡智でもなかった。思索でもなかった。学究でもなかった。ポオズでもなかった。愛情だ。蒼空よりも深い愛情だ。

どんなに愛し合っていても、口に出してそれと言わなければ、その愛が互いにわからないでいる事だって、世の中には、ままあるのです。

愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはならない。

「愛する」という言葉を、気軽に使うのは、イヤミでしかない。
キザである。

以上。
ちなみに彼は恋愛という言葉が大嫌いらしい。
そのくせ、「死ぬ気で恋愛してみないか」なんて言って口説いちゃったりするイケナイお方。

せかちゅう

2004-05-15 02:59:12 | 太宰
私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな余裕を持ったことが無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。
                 太宰治   「弱者の糧」
せかちゅう、ちょっと気になります。


畜犬談

2004-05-10 01:43:48 | 太宰
このブログ解説の頭に太宰とあるのに一向に話題が出てこない。
他の方のブログのコメントで太宰のことばかり言ってるから、こっちに書くことがなくなってるんだ・・・。そういうときはトラックバックすればイイんだ。そうだ。けどうまいこと使いこなせんなあ。

先日実家に帰って犬の散歩してたら、「畜犬談」の太宰の気持ちがよくわかった。あのご主人を窺うような目つき、あれはダックス特有のものなのか、いや、犬はみんなあんな感じかな。あの姿態だから、情けなく、滑稽で、愛しいのだ。

Waltz for ・・・

2004-04-18 15:08:26 | 太宰
こんなささやかなブログでも、たどり着く人がいるのだと思うと、何だか切なくなる。
僕らは、どこにいるのだろう?どこをさまよっているのだろう?
太宰の「虚構の彷徨」というタイトルは、今こそ浮かび上がってくるような気がする。
手掛かりは、目の前にある、ささやかなことなのだと思う。
最近、子供の頃の記憶をふとした拍子に思い起こすことが多くなった。
匂い、光、音、いろいろな感覚で。
それは幼時から変わっていないからこそ感じる感覚。
世の中は、それほど変わっていないんだ・・・、という安心感。
生活は、めくるめく変わっていく。しかし変わらないこと、日常の下地は変わらないのだと思う
このことに気づいて、少し安心する。

キーワード検索しながら、いろいろな方のブログにお邪魔してみました。内容よりもそれぞれの方の生活を思い浮かべました。私達のこの渇きは一体どうしたらいいのでしょうね。