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SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

春昼

2006-04-04 09:04:51 | 太宰
「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、――」家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね。」
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、――離れないの。」
「僕は、食塩の山を思い出すのだが。」これも、あまり風流とは、言えない。
「蛙の卵よりは、いいのね。」妹が意見を述べる。「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」


太宰治「春昼」


蛙の卵
食塩の山
半紙

くすくす。

私は、死に装束。

あなたは?

たらいまわしTB企画 第22回「サヨナラだけが人生か? グッドバイの文学」

2006-03-17 15:32:57 | 太宰
「サヨナラだけが人生か? グッドバイの文学」

久しぶりに参加させていただきます。といっても二回くらいしか参加してないかしら?
グッド・バイといったらもう、参加しないわけには行かないでしょう♪
でも、『グッド・バイ』じゃないですよ。
まずはこれ。

斜陽

舵社

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大きな文字で読んでください。w


「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの? いつまで経っても、みんな子供です。なんにも、わかってやしないのです」
 けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。私は、みごもって、穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。


お母様の死。
最後の貴婦人。
和子は恋と革命に走る。

そして、次は・・・、

お伽草紙

新潮社

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「浦島さん」のラストも印象深い。



年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。

 竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した観がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招来をさへ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。



竜宮からのグッド・バイでもあるし、世間からのグッドバイでもあるんですね。

「聖諦」

このあたりから、太宰さん現実離れしてきていないかしら?
戦後は、桃源郷を夢見たり。

もともとそういう性向だったのでしょうね。

きりがないので、最後は・・・

津軽

フロンティアニセン

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お風呂で読んでください♪



私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。


ラストの一言。高校のころ、車の中で読んだ『津軽』。
忘れられないな。家族と一緒だったのに、危うく泣きそうだったよ。
太宰さんは故郷を見納め、の気持ちで回ったんだと思う。
そうして、たけにあって、忘れ難い人たちに会って。
すっきりしちゃったんじゃないかな?
もういいかなって。
この後、戦争が激化して、終わって、東京に戻ってくるくる回って、散る。



考えてみると、太宰さんはいつも世の中からグッド・バイしたかった人だから、(逆にだからこそ凄まじい執着があったともいえる)彼のテマは、サヨナラの喪失感だったのではないかと思うのであります。


「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば」

と『斜陽』にあります。
この薄明り、光と影が、多くの読者を捕えて離さないのでしょうね。

では、ぐだぐだでしたが、スイマセン。

グッド・バイ

同じ星

2006-01-11 05:37:58 | 太宰
「いままでの、いままでの、あなたのとおりに、生きていて下さい」

                        ~太宰治

昭和21年の「同じ星」というエッセイの結びの言葉。

これまで、何度この言葉に励まされたことだろう。

あなたも感じるところがありませんか?

パンドラ

2005-10-05 07:48:08 | 太宰
たとえば、モオツァルトの音楽みたいに、軽快で、そうして気高く澄んでいる芸術を僕たちは、いま、求めているんです。へんに大袈裟な身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くて、わかり切っているのです。焼跡の隅のわずかな青草でも美しく歌ってくれる詩人がいないものでしょうか。現実から逃げようとしているのではありません。苦しさは、もうわかり切っているのです。僕たちはもう、なんでも平気でやるつもりです。逃げやしません。命をおあずけ申しているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持にぴったり逢うような、素早く走る清流のタッチを持った芸術だけが、いま、ほんもののような気がするのです。いのちも要らず、名も要らずというやつです。そうでなければ、この難局を乗り切る事が絶対に出来ないと思います。空飛ぶ鳥を見よ、です。主義なんて問題じゃないんです。そんなものでごまかそうたって、駄目です。タッチだけで、そのひとの純粋度がわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないのは、みんな、にせものなんです。

「パンドラの匣」  太宰治



長い引用・・・

言葉もない。

戦後の太宰さんの達した境地、とかいうと美化しすぎなのかな。

「苦しさは、もうわかり切っているのです。」

「気高く澄んで」いたい。

だけど、いつまで経っても私は愚鈍で野暮ったい。






野望と、献身

2005-09-09 04:10:56 | 太宰
この世に、ロマンチックは、無い。私ひとりが、変質者だ。そうして、私も、いまは営々と、小市民生活を修養し、けちな世渡りをはじめている。いやだ。私ひとりでもよい。
もういちど、あの野望と献身の、ロマンスの地獄に飛び込んで、くたばりたい! できないことか。いけないことか。

「春の盗賊」


巧みに嘘をつく太宰さんも、ここではつい、口が滑ってしまったん

じゃないかと思う。

この叫びは今も響いている。

深いところで、呼んでいる。

おいでおいでと・・・

魔笛

2005-09-09 03:00:27 | 太宰
僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。つねに、自身にできる限りの範囲で、それを為し遂げるように努力すべきだと思います。どんなに小さいことでもよい。タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています。毎日、毎日、歌をつくってお送りします。


「葉桜と魔笛」



こんなことを、なんの衒いもなく言いのける太宰さんが素敵。

そして全く同感。

そんなお馬鹿なわたし。


言葉だけでも誠実こめて


そしたら伝わるかしら?

なにものにも強制されない、拙くとも真摯な言の葉で



何を信じるの?

2005-09-05 07:54:12 | 太宰
「信じるところに現実はあるのであって、

事実は、決して人を信じさせることができない。」



と太宰さんは言った。(うろ覚えだけれど)



「ない」

と言ったものは、存在しない

「ある」

と言ったものは、存在する





本当だよ、





うん、本当だよ

ア、秋

2005-08-28 06:22:09 | 太宰
「秋ハ夏ト同時ニヤッテクル」

「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに、全部身支度ととのえて、
 
 せせら笑ってしゃがんでいる。」

                 「ア、秋」  太宰治



秋とは、仲良しなんだ

とにかく安心するの

よく一緒に散歩する

手をつないでね

するといつも気持ちいい風が吹くんだ

何度も別れて

何度も出会った

これからもずっと

新しい秋と出会い続ける









花一輪  (再掲)

2005-08-28 00:33:01 | 太宰
さて、今日は、すてきなすてきな詩をご紹介したいと思います。
例によって、太宰さんです。


「花一輪」

サインを消せ
みんなみんなの合作だ
おまえのもの
私のもの
みんなが
心配して心配して
    やっと咲かせた花一輪
ひとりじめは
    ひどい
「どれどれ
 わしに貸してごらん」
やっぱり
ぢいさん
ひとりじめの机の上
いいんだよ
さきを歩く人は
白いひげの
    羊飼いのぢいさんに
きまっているのだ
みんなのもの
サインを消そう
みなさん
みなさん
おつかれさん
    犬馬の労
骨を折って
      やっと咲かせた花一輪
  やや
  お礼わすれた
  声をそろえて

  ありがとう、よ、ありがとう!
      (聞こえたかな?) 


すてきなすてきな詩に、説明は蛇足ですね。
詩は、人間が生むものなんだけれども、生まれてしまったら、もうその人の
ものではない、そんな気がするのです。

あたらしくうまれた、いのち。

たとえば、風の音、匂い、温度。
感じる人は、敏感に反応します。皮膚感覚?
感度の差は、どうしようもないもの、仕方ない。
わかるものは、わかる。
わからないものは、やっぱりわからない。
それでいい。
わからないのに、わかったような顔するのは、
なんだか、哀しくなりますね。

感じたものを、その感触を損なわず、言葉に移しかえる。
あなたの感覚は、この星をどんなふうにとらえるの?





今年も「散華」を読もう

2005-08-13 07:59:26 | 太宰
少し早いけど、これを読んでいただきたい。

考え方はいろいろあると思うけど、

この思い、僕には溜まらないんだ。

(ちょっと長いのかな?いやそんなことはない。あっという間に読めます読ませます。)




御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。


散華

今日の太宰さん

2005-08-12 15:37:35 | 太宰
「文化と書いて、それに「はにかみ」というルビを振る事、大賛成。
私は優という字を考えます。これは優れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう?優しいとも読みます。
そうして、この字を良く見ると、人偏(にんべん)に、憂うると書いています。人を憂える、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れていることじゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。
私は含羞で、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものも言えません」

~太宰治