マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

今日的課題

2016-10-06 22:28:51 | 教会の風景
昨日は定例の祈祷会。
主の御名において共に集まり、心を合わせて祈りをささげました。

聖書はヨハネの黙示録2章の続きを読みました。
テアテラにある教会へのメッセージのところです。

その地方の教会には、自称「預言者」の教えによって、誤りに引き込まれた者たちがいました。
その「預言者」の教えに流されず、使徒たちによって伝えられた福音に留まっている信者には、イエスがこのように言っています。

「ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。」(2:25)

外には異教社会での信仰上の試練があり、内には福音と異なる教えとの戦いもありました。
福音を変質させてしまう「預言者」の教えには注意が必要です。

福音理解を問うことは、今日的課題でもあると思います。




久しぶりに礼拝説教のあらすじ、旧約講解(2016年7月分:ヨシュア記11-12章)を掲載します。

2016年7月 ヨシュア記11-12章
 イスラエルの民は、ギルガルを本拠地としてカナン一帯で転戦してきた。今度は、北方の有力者ハツォルの王ヤビンが、近隣の王と連合して大軍勢で対抗してきた(11:1-5)。この時も「彼らを恐れてはならない」と主はヨシュアに語った(11:6)。困難な条件での戦いではあったが、主はイスラエルに勝利を与えた。主の御力と民の信仰とをここに見る。攻略していく町々への聖絶は野蛮な行為という印象も受けるが、その当時極みに達したその地域住民の罪悪へのさばきだった。アブラハムの時代に預言されている(創世記15:16)。神の忍耐と正義との現れとして理解すべきだろう。この北方での勝利を経て、ヨシュアは『その地をことごとく取った』とされている(11:23)。ヨシュアとイスラエルが向かうところ、その町々が反抗的だったのは、戦闘によりイスラエルに勝利をもたらし、所有地として与えるためだった(11:20)。ここに神の主権と御力とが示されている。
 モーセの時代に、ヨルダン川の向こう側、つまり東側に、ルベン族とガド族、マナセの半部族は所有地を得ていた(12:1-6)。ただし、ヨルダン川の東側に位置しながら、エドムやモアブやアモンの領土には一切手出ししていない。それは主によってあらかじめ命じられていたからだ(申命記2:5,9,19)。その後、ヨルダン川のこちら側、つまり西側、海の方にイスラエルは進出している。主が、その地方一帯を割り当て地として、イスラエルに『所有地を与えた』からだ(12:7)。記録によれば、この時代に31人の王たちに勝利している(12:24)。神はこのように先祖アブラハムとの約束を実現していった。私たちは、ここに神の真実を見る。その真実な神が私たちに御国を下さる。私たちが受け継ぐべき一切を備えておられる。この神に望みを置こう。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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