マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

歴史から学ぶ

2017-07-20 20:29:46 | 最近の読書
今年は宗教改革500周年。
宗教改革のことも改めて考えてみたいと思いまして、最近、この本を読んでいます。

『宗教改革の精神と日本のキリスト者』中村敏 著 いのちのことば社




あとがきにも述べられていますが、宗教改革を日本のキリスト者との結びつきで書いている点が特色です。
宗教改革の概要を踏まえて、現代の日本のキリスト者として何を大切にしていくべきか、その課題を考察しています。

時代や状況は異なりますが、宗教改革者たちの精神から学ぶことは有益ですし、本質的には現代のキリスト者や教会にも通じることだと思います。

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頂いた本

2017-07-04 19:50:38 | 最近の読書
先日、L先生から一冊の本を頂きました。
お申し出のあった何冊かのうち、この本はまだ持っていないものでしたので、感謝して受け取りました。



『なぜ神が説教の中心であるのか』
ジョン・パイパー 著 相崎恵美 訳
Christ Bible Institute Press 2015.4.1 発行

私にとって、内容もとても興味深く、訳文も読みやすかったです。
論旨も、三位一体の神という神理解と結びつけられて明快で、200ページちょっとなので、一気に読了。
説教に携わる者として、刺激を受け、随分励まされました。
ジョナサン・エドワーズにまつわる章も、良かったです。

序文にはこんな一節があります。
「…真の礼拝には、常にこの二つの側面があります。神を知性で理解することと、神を心から味わうことです。…」

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古書でしたが

2017-07-03 22:24:04 | 最近の読書
牧会学の講義のときに、M先生から教会に関する本を紹介して頂きました。
古書なのですが、幸い、ヤフオクで良心的な価格のものを見つけることができました。
早速、手配して購入。


『聖書の教会観』 R. B. カイパー 著/ 山崎 順治 訳
小峯書店 1972年 初版

この本の序説、「栄光は消えたのか」の中で、「教会の差し迫った危険がその内部から生じている」というくだりがあります。
その危険の代表的なものを「世俗化」と「教理的無関心」としています。


たしかに聖書は次のように言っています。
「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」(テモテへの手紙第一 3:15b)


教会開拓期ということで、礼拝に集まっているみなさんと、改めて教会をテーマにして学んでいます。
不定期ではありますが、これまでも主日礼拝の主題説教のテーマに教会を選んできました。
教会が建て上げられていくために、みことばを語り、教えることに尽力したいと思います。

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問題意識

2017-02-11 14:20:42 | 最近の読書
日本の教会や社会のことを思うとき、危機感と戸惑いとを覚えています。
一人のキリスト者として、伝道者、牧師としてどのように歩んでいくのか、問われるところです。

最近、『従順という心の病』アルノ・グリューン著、ヨベル を読んで、考えさせられているところです。
この本で指摘されている状態は、教会のカルト化にも通じるところがあるでしょうし、即カルトとは行かなくとも、そもそも体質として抱えているものなのだと思います。



今日の午前中は、『「日本的キリスト教」を超えて』を読んでいました。
「日本的キリスト教」への洞察に教えられるところが多くありました。
自らの人生を振り返る、講師の真摯な観察にも感銘を受けました。
この時代の宣教と教会形成、地域社会にあっての使命など、時代を見る眼を持たなくては...と思わされます。




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聞き手

2016-11-18 00:39:41 | 最近の読書
『共に生きる生活』ディートリッヒ・ボンヘッファー著 / 森野善右衛門訳 新教出版社 2014 より

Ⅴ 罪の告白と主の晩餐
179ページ
「…イエスの十字架の下に生きている人、またイエスの十字架においてすべての人間と自分の心の中にある最も深い無神性を知った人、そのような人にとってはもはやどんな罪でも無関係なものはない。イエスを十字架にかけた自分の罪の恐ろしさに一たび驚愕した者は、もはや兄弟のどんなに深刻な罪にも驚くことはない。彼はイエスの十字架から人間の心を知る、人間の心が罪と弱さの中でどれほど完全に失われているか、罪の道にどれほど迷い込んでいるか、またそれが恵みと憐れみの中でどのように受け入れられているかを知る。ただ十字架の下にいる兄弟だけが、私の罪の告白を聞くことができる。人生経験ではなく十字架経験が罪の告白の聞き手を造る。…」


今日、この本を読んでいて、心に留まったところです。
ひとりの罪人に過ぎない私を、主がどんなに憐れんでくださっているのかを思い巡らしています。

明日は神学校の「祈りの日」とされていますので、学びの手を止めて、祈り静まって過ごします。

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