「いとうことなく、したうことなき」は、
『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』のなかにある、
道元禅師(どうげんぜんじ)のことばですね。
道元禅師はこう言います。
「この生死は、すなはち仏の御いのちなり。
これをいとひすてんとすれば、
すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著(じゃく)すれば、
これも仏の御いのちをうしなふなり。
仏のありさまをとどむるなり。
いとふことなく、したふことなき、
このときはじめて、仏のこころにいる。
(我の命は、仏の命である。
これを捨てようとするのは、
仏の御命をを失うことである。
これにとどまって生死に執着するのは、
仏の御命を失い、仏をただ表面的に理解することである。
ただ生死を厭うことなく、慕うことないとき、
始めて仏の心に至る。)」
(禅文化学院編『現代語訳 正法眼蔵』誠心書房)
さあ、今日もいとうことなく、したうことなきでいきましょう。
電子書籍にすてきなことばをたくさん収めましたので、そちらも見てくださいね。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』のなかにある、
道元禅師(どうげんぜんじ)のことばですね。
道元禅師はこう言います。
「この生死は、すなはち仏の御いのちなり。
これをいとひすてんとすれば、
すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著(じゃく)すれば、
これも仏の御いのちをうしなふなり。
仏のありさまをとどむるなり。
いとふことなく、したふことなき、
このときはじめて、仏のこころにいる。
(我の命は、仏の命である。
これを捨てようとするのは、
仏の御命をを失うことである。
これにとどまって生死に執着するのは、
仏の御命を失い、仏をただ表面的に理解することである。
ただ生死を厭うことなく、慕うことないとき、
始めて仏の心に至る。)」
(禅文化学院編『現代語訳 正法眼蔵』誠心書房)
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