「人の利鈍(りどん)と云(い)ふは志しの到らざる時のことなり」とは、
『正法眼蔵随聞記』にある道元(どうげん)禅師のことばですね。
曹洞宗の開祖、道元は言っています。
「人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり。(中略)
今夜死に、明日死ぬべしと思ひ、
あさましきことに逢ふたる思ひを作(な)して、
切にはげまし志をすすむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。
中々世智辨聰(せちべんそう)なるよりも、
鈍根なるやうにて切なる志しを発(ほっ)する人、
速に悟りを得るなり」(吉田紹欽訳注『正法眼蔵随聞記』岩波文庫)
(人の聡い鈍いが言われるのは、志がまだ到っていないときのことである。(中略)
いま死ぬ、明日死ぬかもしれないと思って、
生きてきて情けないことに出会ったことを思い起こして、
自分を励まし、志にまい進するならば、誰でも、悟りが得られないということはないのである。
なまじ世間のことに通じ、口が達者な人よりも、
にぶいようでも切実な志をおこした人のほうが、
すみやかに悟りを得るものである。)
さあ、今日も人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなりでいきましょう。
電子書籍にすてきなことばをたくさん収めましたので、そちらも見てくださいね。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
『正法眼蔵随聞記』にある道元(どうげん)禅師のことばですね。
曹洞宗の開祖、道元は言っています。
「人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり。(中略)
今夜死に、明日死ぬべしと思ひ、
あさましきことに逢ふたる思ひを作(な)して、
切にはげまし志をすすむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。
中々世智辨聰(せちべんそう)なるよりも、
鈍根なるやうにて切なる志しを発(ほっ)する人、
速に悟りを得るなり」(吉田紹欽訳注『正法眼蔵随聞記』岩波文庫)
(人の聡い鈍いが言われるのは、志がまだ到っていないときのことである。(中略)
いま死ぬ、明日死ぬかもしれないと思って、
生きてきて情けないことに出会ったことを思い起こして、
自分を励まし、志にまい進するならば、誰でも、悟りが得られないということはないのである。
なまじ世間のことに通じ、口が達者な人よりも、
にぶいようでも切実な志をおこした人のほうが、
すみやかに悟りを得るものである。)
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