岩手県・遠野市の工務店・(有)菊正建設の社長ブログ、住まいづくり奮戦記。「親方は営業に忙しい」 

親方の日常を日記風に書いています。読めばホットな気分になるぞ。どうかな?みんなもがんばろうね!

三つの味は感謝の味だ。

2007年10月31日 19時28分58秒 | よもやま話編
画像はMM1の味噌ラーメンだ。
10月31日(水曜日)晴れ。
現場を廻りながらお客様のところを訪問した。
お昼も事務所に戻らず外食となった。と言うよりそれが狙いだったりして。
宮守町に届け物があったので市内から宮守町へ走った。
用事を済まして近くにある道の駅MM1に寄った。今日はここでお昼を食べる事にした。
以前立ち寄って食べた食堂、いやレストランの味噌ラーメンの味が忘れられずに再びの入店だ。
迷う事なく味噌ラーメンを注文しおまけにおにぎりも注文した。
きたきた、見掛けは家庭っぽさがあり良いとは言えないが味の方は?
具を炒めた時の油なのか少々油っぽい。
しかし濃厚な味噌と少々ニンニクの効いた味はやはり美味しいよ。
それにしても汁が熱い、アチチって感じだ。
食べ終わり会計へ、後味が悪かったねー。
ありがとうございましたというのは良いのだがお釣りを財布にしまわないうちに
さっそうと消えてしまった。
挙句の果てにレシートは欲しかったら持って行きなさいとばかりに渡すでもなく
受け皿にバンッと置いただけでさっさと消えた。
お客様一人一人に丁寧に頭を下げてありがとうございましたではないのかと腹立たしさを感じた。
後味はまずいラーメンだった。
店の味は三つだと言う、入った時の迎え入れの味と食べ物の味と送り出しの味と。
全ては来て戴いてありがとうの感謝の心から始まると思うが。
変にお客様慣れした残念な姿であり味であった。
期待を膨らませて入った店だったのにガッカリして帰って来ました。
以上ガッカリしてさびしい男のつぶやきでした。(中傷批判ではありません)
本当は怖いあなたのお店。あなたの店にはそうゆう店員さんはおりませんか?
どんどはれ。

感激建設開店

2007年10月30日 18時58分49秒 | 工務日誌編
画像は、しらいし屋の味噌ラーメンだよ。濃厚な味だよ
10月30日(火曜日)晴れ。
今日は朝から忙しい。見積書作成がてこずり間に合わす為に一生懸命だ。
要望プランだけの見積書なら早いが親方は提案プランの見積書も必ず提出するのだ。
お客様に悔いのない住まいづくりの応援だ。
提案プランにはたいていのお客様は感激するのだ。
「私たちの事をこんなにまで思ってくれていたのね」とある意味恋愛物語だ。
人間の心と心のふれあいが商売だと思う。
感激建設開店。ピンポーン、こんにちはー。
話は変わり今日は母親の80歳の誕生日だ。
女房はお祝いに寿司を頼んでいたとの事で今日は寿司をご馳走する事になった。
本当は外食したいところだが年を取るとなかなか外に出たがらないようだ。
未だに母親は会社の廃材の分別をしたりして朝早くから仕事をしている。
本当に感謝だ、ありがとう。寿司一食分じゃ申し訳ないがありがとう。
面と向かってはなかなか言えないのでこの場に留めて置きたい。
どんどはれ。

リハビリはここまで出来たの発表会だ。

2007年10月29日 18時22分37秒 | 工務日誌編
画像は従姉妹から戴いた○鯛の干物、おいしい、ご飯がすすむ事よ。(魚の名前忘れた)

とこぶしもおいしかったよ~。最高だった。あわびのおいしさ。

10月29日(月曜日)曇り。

今日は解体工事の着工日だ。新築の為の環境整備と言う感じだ。

今日は親方は医大に行く日で時間がなかったが仮設トイレを積んで出発した。やはり親方としてけじめの部分だ。

打ち合わせを終えて慌てて戻り着替えして出発。まずい、診察受け付けの時間に遅れてしまう、電話を入れた。

「遅れましたと言えばいいので少し位なら良いですよ」との事。やけにやさしいじゃないか。

医大に到着してあまり待つことなく診察だった。「どうですか?」「はい?あ、痛みは大分無いのだがこの通りです」

と、まだ上がらない腕を上げて見せた。「でも痛みはないでしょ、痛みがないのであれば、あとは少しづつー」

「えー?」(痛みがなけりゃいいってもんじゃないでしょ?)

「あまり通えないからせめてリハビリをもうちょっと長めにやって貰えればねー」

「普段のリハビリが大事ですよ、ここにリハビリに来るのはこのぐらい出来る様になったと発表の場見たいなものだよ」

「えー」(またびっくりだよなんの為に通ってリハビリしてるか意味ないよ)「そうですか自分次第ですか」

「まあ、最悪の場合は手術って手もあるから時間をかけて治しましょう」

リハビリして未だに上がらない腕がこのまま動かないで終わるのかと心配していたがいくらか安心したような複雑な心境だ。

どんどはれ。

苦難に感謝は苦難に勝ったという宣言だ。

2007年10月28日 11時45分23秒 | よもやま話編
昨日従姉妹から戴いた伊勢海老、いい色になった。おいしかった、ありがとう。
10月28日(日曜日)晴れ。
今日従姉妹家族は帰った。とんぼ返りと言うやつだ。
従姉妹にとっては昨年からいろいろ苦難が続いた。
母親の病名が分からずの突然の入院で危篤状態が続いたし、
それから間もなく今度は父親の突然の肺炎での入院、危篤状態が続いたがなんとか生還し退院した。
だが母親は依然として入退院を繰り返している。
そんななか今度は次男が交通事故による大我怪だ、誰が見ても死亡事故と思えるすさまじい大事故だ。
そんなこんなで頭を悩ましているうちに今度はまた父親が一人住まいの自宅で倒れていた。
救急車で運び込み一命を取り留めたが脳梗塞となり一人住まいは不可能になった。
何故次々と苦難ばかり続くのかと嘆く間もなくすきを突くかのように今度は本人の交通事故だ。
この時も九死に一生を得た、幸いにも軽い怪我ですんだ。
あまりにも続く苦難に大概は落胆するところだ。
しかし一つ一つの苦難を逃げる事なく正面からのり越えてきた従姉妹。
必ず良くなるとの確信と友人だけが頼りだった。
従姉妹は今「おかげさまでここまで成長させていただきました。強くなりました」とむしろ感謝に変わる。
苦難がある事が不幸ではない、むしろ苦難により強く何が有っても負けない強い心こそが幸せである。
苦難に感謝は苦難に勝ったと言う宣言だ。
どんどはれ。

病気の意味がここにある

2007年10月27日 10時54分21秒 | よもやま話編
画像は従姉妹家族から戴いた伊勢海老、美味しそう。
10月27日(土曜日)雨。
千葉県から従姉妹家族がやって来た。
叔母の見舞いと言うか容態が心配で家族で駆け付けたところだ。
確かに容態も良くないが一番びっくりしたのは叔父と叔母の変わり映えした
仲むずましい姿だろう。
今までの叔父は叔母の面倒を見るどころか頑固で一切何も手を付けなくて
いつも言い争いが絶えなかった。
そんな夫婦が仲良く支え合う姿に従姉妹家族たちは感動し涙したろう。
願っても願っても出来なかった事が叔母の病気が因でこのように仲良くなれたのだから。
どんなにかお互いに望んできた事か。病気の意味がここにあったのかとまた涙ながらに思う。
人間はみなこうやって成仏していくのか。(幸せに)
どんどはれ。

叔母が脳血栓になっていた。

2007年10月26日 22時37分17秒 | よもやま話編
画像は先日の木むらの店内。
10月26日(金曜日)曇り、雨。
入院中の叔母が体を動かそうとしない、目も片目が動かない。
おかしい、思い切って医者に脳の検査をお願いしてみよう。
今日は意を決して病院へ、そしてようやく検査をする事になった。
検査の結果やはり、脳血栓になっているとの事だ。
早速治療が始まった。意識も大分はっきりしてきた。
片目は閉じたままだったが開く様になった。
叔母の声をしばらくぶりで聞いた、そんな雰囲気だった。うれしい。
しかし病院にいながら手足が動かなくなった事が気付かなかった。
そんな事ってあるんですね、病院にいるからって安心できないぞ、むしろ危ないぞ。
不自由な人の中に不自由になった人がいても見つからない、
違和感なく混じっているだろう。いつも見ている家族だけが変化に気付くのだ。
今回も家族から申し出たから検査も出来たし脳血栓も分かった、早期治療もできた。
完全看護なんて言うが患者一人一人をもう少し詳しく把握してもらいたいものだ。
ただ医者ばかりを責められないが。
これからの医療現場は家族と医者の一丸となった治療が大事だ。
どんどはれ。

地元にこんな美味しいお店があったなんて!

2007年10月25日 21時33分17秒 | よもやま話編
遠野駅前通りの木むらと言うすし屋さんのお刺身盛り合わせ。
10月25日(木曜日)晴れ。
美味しい店を発見!遠野市内にこんなに垢抜けした店があったなんてびっくりしたよ。
店内も琴の音楽が流れ造りは洒落た料亭風だ。
小上がりで食べたが洒落た障子が落ち着く和風の雰囲気だった。
寿司店だけあってネタは新鮮そのものだ。
年配の女将さんだがテキパキして愛嬌もいいときてる。
お酒が進む、やはり日本酒があう料理だ。
女房がこの前ランチで見つけてきたらしく朝から寿司寿司と騒いでいたが来てよかった。
おいしかった、と言うより感動したよ遠野にこんな店が有ったなんてと。
また来ようっと。みっつが来たら連れて行こうか。
どんどはれ。

造るプロは使うプロではない、使う人に謙虚に耳を傾ける事だ

2007年10月24日 19時37分29秒 | 工務日誌編
10月24日(水曜日)晴れ。
今日は打ち合わせが二件の予定だ、現場の掃除もある。
午前中は足が不自由になってしまった方のお宅へ打ち合わせだ。
歩行器で実際に歩いて頂いてその場その場で要望を聞き出していくとゆうやり方で進めた。
造るプロは所詮造るプロで不自由な方が実際に感じている事とギャップがある場合がある。
玄関ポーチの段差にはスロープ等と簡単に考えるが車椅子対応の場合の話だ。
歩行器の場合はむしろ階段の方が良いと言う事もある。
たとえばその階段の話だが本人を入れないでケアマネさんと家族の方と三人で
打ち合わせをした時の話だ、長時間検討の結果両方に手摺りを付けて段を小さくする事に決定した。
ところが本人はなんと手摺りは下がる時怖いとの事だ。
結局は歩行器で下がる方が良いと言う事になり手摺りは必要無いが階段の奥行きを広くしたいと言う事になった。
造るプロが長時間考えても結局は使うプロ(本人)になれないのだ。
プロとは言え謙虚に耳を傾けると言うことが大事だって事だ。
どんどはれ。

あ、脇の下が湿疹?

2007年10月23日 23時02分38秒 | よもやま話編
画像はイオン盛岡内のレストランでの食事、麻婆石焼き。アチチ、
10月23日(火曜日)晴れ。
朝起きてシャツを着替えしていたら脇の下の部分が黄ばんでいるのを発見。
なんだ?昨夜も脇の下が汗ばんでいたので気になっていたのだ。
恐る恐る鏡の前で脇の下を覗いて見た。うわー。なんだ?この赤黒いのは?
案の定脇の下が炎症をおこして真っ赤を通り越して赤黒くなっている。
「えー、何ーこれ?」初めての経験だ。
病院に行かないと、と思いながら出勤時間になってしまった。
一段落して自宅に戻って来た。
脇の下が気になる。遅くなったが、思い切って岩手医大へ行く事にした。
診察の結果は特にカビ菌等は見つからないらしく当面は湿疹の治療をする事になった。五十肩で腕が上がらず風通しが悪いのも原因らしい。
一カ所が故障するとそれが原因でまた故障をする。
人間はか弱い動物だまるで積木と同じだ。
一カ所外れると二カ所目が揺らいでくる、同じやーねーか。
どんどはれ。

看板作成に夢中だ。

2007年10月22日 22時30分58秒 | 工務日誌編
10月22日(月曜日)曇りと雨。
今日は看板製作で一日が終わった。と言うより夢中になれる一日だった。
相棒と共にプロを負かすような立派な看板が出来た。
やれば出来るもんだと相棒と共に感心した。
パソコンを駆使してデザインを決定した。看板用シール紙も市外から調達した。
そして印刷だ、印刷した用紙を今度は切り抜き作業だ。
切り抜きも細部にわたってリアルに、まるで切り絵師さながらだ。
細かい作業が終わり貼り付けだが貼り付けも位置合わせに神経を注ぐ。
親方はこうゆう細かい仕事が得意だ、つい夢中になるよ。
手を掛けた分だけいい物が出来た。感動的な仕上がりだ。
今度はどこの看板を作ろうかなー。
どんどはれ。

あちらを立てればこちらが立たず、だがどちらか立つって事だ

2007年10月21日 19時06分18秒 | 工務日誌編
10月21日(日曜日)曇り、雨。
今日は営業日だ。あるOBのお客様のお宅に訪問したら要介護になった、
介護頼む事にしたとの事だった。
親方は早速施設の紹介をした。奥様に面倒見て貰うなら安心ですとの事になった。
二階を改築して親戚に同居してもらい面倒見て貰う予定を立てていた様だった。
そうゆう施設があるなら改築はやめます。との事で本業があがったりだ。
ちょっぴり残念だったが痛しかゆしと言うやつか。
あちらを立てればこちらが立たずと言うやつだがどちらか必ず立つと言う点では
いい話ではないか。
さしずめ両刀使いの宮本武蔵ってーところよ。ウム!
どんどはれ。

貧乏暇なしに感謝だ。

2007年10月20日 22時31分52秒 | よもやま話編
画像は今日の昼食のカツ丼。

10月20日(土曜日)曇り。

今日の午後パワーコメリーに行って来た。大した用事もなかったがポッカリ心の余裕が出来たって感じだった。

次のやらなければならない事はいっぱい有るのだが切り替えの為の外出といったところだ。

不思議に悔やむ心が出て来ないとやる気が出て来ないんだ。

例えば、こんな忙しくやる事がいっぱい有ったのに休んでしまった、なんて馬鹿な事をしてしまったんだと、

悔やむと言うか反省がないと後のやる気が出て来ないのだ。ある意味親方は変わっている人間かも知れない。

逆境の中でこそ燃える人間で平和だと駄目になる人間て事だな。だからいつも貧乏暇なしって事か。

これはある意味親方を駄目にしない為の天の御計らいかも知れないなー。貧乏暇なしに感謝だ。どんどはれ。

男の介護は辛いが偉い

2007年10月19日 23時02分19秒 | よもやま話編
10月19日(金曜日)晴れ。
今日、施設の入居案内をお届けに訪問して来た。
前回リホームの予定で進めていたが奥様が転んで歩けなくなって状況は変わった。
今日訪問したら旦那さんは調度買い物から帰って来たところだった。
スーパーから何やらパック入りのおかずの様だ。
男が女房を介護したり慣れない食事を作って食べさせたりする行為は辛いしそして凄いし偉いと思う。
奥様は相変わらず歩けず寝たきりの状況らしい。
子供達にはリホームするより施設に入った方がいいとリホームを反対している。
面倒見れないから施設に入ってとの事だ。
「私もそう思っている、あなたのところの施設にお世話になろうかと思っている」と旦那さん。
やはりお年寄りが介護しながら二人寄り添って生きていくのには余りにもかわいそう過ぎる。
親方はうちの施設の紹介を新たに説明し入居する事をお奨めした。
もう一度家族と相談してからと言うことで今日は帰ってきた。
どんどはれ

苦難は幸せ行きの切符だ。

2007年10月18日 19時11分24秒 | よもやま話編
画像は盛岡イオン内のレストランのカツ丼だ、薄味だった。
10月18日(木曜日)晴れ。
今日は叔母が入院する事になった。
今日は定期的な通院日だったのでご飯を食べて車椅子に乗って準備をしていた。
しかしいつもと様子が違う、うずくまっていた。
「どうした?」と声を掛けた。「足が痛くてなー」と言っていた。
それが入院になるなんて。
詳細に付いてはここでは避けたいが人間はいつ何時どうなるかわからないものだなーとつくづく思う。
親方は朝いつも思う、今日はどうゆう日になるだろうかと。ミステリーだね。
まあ起きた事にただ越えて行くしかないが。
でも苦難もなにもない穏やかな事だけが幸せとは言えないと思う。
むしろ苦難に立ち向かっていくうちに強くなっていく事こそが幸せであると思う。
強い人間、何事にも動じない人間、どんな状況でも楽しさを見つけれる人間、
そんな人間に成りたい。と親方も日夜頑張っている。
苦難は強くなるための道場だ。苦難は幸せ行きの切符だ。どんどはれ。

親方の独り言にしては

2007年10月17日 23時03分10秒 | 工務日誌編
画像はアソベの森の夕食の先付けだ。
10月14日(水曜日)晴れ。
今日はショップ会議だった終わって、上半期の反省をチェックシートを元にやって見た。
我社としてよかった事そして出来なかっ事、出来なかっ事って多かったなー。
じゃー下半期はやろうって、そんな簡単なもんではないよなー。
上半期だって一生懸命やったはずや、でも出来なかったってー事や。
単純にやる、だけの決意だけではダメだよな。
大事なのは何故出来なかったかだよな。
ここが大事だよ、ここを分析しないとなー。
そしてそれからどうやったら出来るかを検討する事だよなー。
いずれにしても人が足りないと言う事になる。
我社は只今女性スタッフ募集中だよー。
どんどはれ。