人生悠遊

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鎌倉を知る --明恵上人、島殿への便り--

2021-02-14 10:26:35 | 日記

明恵上人は華厳宗を中興した栂ノ尾高山寺の住職。承久の乱の時に敗残兵を匿い、北条泰時と交流した話が知られています。その泰時は明恵上人に師事し、敬愛しました。そして『明惠上人伝記』(平泉洸全訳注 講談社学術文庫)に「島殿へ」という一文があります。一部を抜粋し紹介します。

・・・。島の自体を思へば、これ欲界繋の法、顕形二色の種類、眼根の所取、眼識の所縁、八事倶生の体なり。色性即智なれば悟らざる事なく、智性即理なれば遍せざる所なし。理即真如なり。真如即法身、無差別の理、理即衆生界と更に差異なし。然れば非常なりとて衆生に隔て思ふべきにあらず。いかに況や、国土身は即ち如来十身の随一なり。廬舎那妙体の外の物に非ず。六相円融無礙法門を談ずれば、島の自体則国土身なり。・・・。然れば華厳十仏の悟の前に、島の理りを思へば、依正無碍・一多自在・因陀羅網・重々無尽・周遍法界・不可思議円満究竟、十身具足、廬毘舎那如来と云ふは、即ち島自体の外に、何ぞ是を求めんや。・・・。

《島》は廬毘舎那如来そのものであるという、華厳思想を展開した文章です。そしてその島は和歌山県湯浅町にある苅藻島。明恵上人の出生地で、修業した場所の近くにあります。ではなぜ《島》なのか? 『古事記』のイザナギとイザナミが天浮橋から海面をかき回して最初に「おのごろ島」を創った話はご存じですね。伝説ではこの島は兵庫県南あわじ市の沼島。この沼島と苅藻島は紀伊水道を挟み30km位の距離。明恵上人は『古事記』の国造り神話と華厳の哲学を冥合させたのだと訳者は指摘しています。

さてここからが妄想の世界。梅原猛は『古事記』は藤原不比等の創作だと推測しています。その藤原不比等は数多経典の中で華厳経を国家さらには藤原一門の仏教に選びました。たぶん華厳哲学の宇宙観が不比等の目指す神と仏が共存・共栄する国造りのシナリオに近かったのでしょう。そして明恵上人も同様に、イザナギとイザナミが生んだ日本の国土も、草木も、古人も現実に生きており、すべては最初に創られた《島》から生まれたと考えたようです。すべてが《島》=同じモノから生まれたのであれば、理屈としてはDNAは一緒で差別ない世界となります。まさに求める「衆生本来仏である」世界ですね。

写真は高尾の神護寺付近から北を望んだもの。満開の三つ葉ツツジの下のお寺は西明寺。栂ノ尾の高山寺はその先にあります。

 

 

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