人生悠遊

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鎌倉を知る --北条泰時の政治:聖徳太子十七条憲法ーー

2021-01-11 10:09:27 | 日記

北条泰時シリーズ第三弾。今回は泰時が制定した『御成敗式目』(貞永式目)の下地となった聖徳太子の十七条憲法を取り上げます。まず『源実朝』(五味文彦著 角川選書)の「おわりに」を一部抜粋しての問題提起です。

実朝の最も直接的な影響を与えられたのは北条泰時であった。泰時は実朝より約十歳の年上で、頼朝の徳政に学び、実朝の徳政を支えてきたことから、承久の乱後の貞永元年(1232)にはその徳政の延長上で武家の法典『御成敗式目』(貞永式目)を制定した。  その五十一条は聖徳太子の憲法十七条の三倍の条数にあたる。律令があるにもかかわらず、新たに武家の法を制定する際に、律令制定前の聖徳太子に遡ってその精神を受け継ぐものという主張がこめられていたのであるが、実朝は承元四年(1210)十月十五日に十七条憲法を取り寄せて見ており、十一月二十二日には持仏堂で聖徳太子の御影を供養している。

北条泰時が実朝のもとで十七条憲法を見たのかどうかは?。しかし間違いなく影響を受けているだろうと推測されます。では604年に聖徳太子が制定した十七条憲法とはいかなるものか?要約版ですがおさらいしてみましょう。

まず「和を以って貴しと為し忤(さがう)ことなきを宗とする・・・。」という第一条からはじまります。第二条は仏法の大切さ。第三条は天皇の命令に従うこと。第四条は礼法を物事の基本とすること。第五条は民の訴えは公明にさばくこと。第六条は勧善懲悪のこと。第七条は適材適所のこと。第八条は勤務精励のこと。第九条は真心をもって励め。第十条は人の意見を尊重し従うこと。第十一条は公正な賞罰について。第十二条は百姓から税を搾取するな。第十三条は官司の職務内容を熟知せよ。第十四条は人の才能を羨むな。第十五条は私心を捨て公務を行え。第十六条は民の使役には時節を考えよ。最後の第十七条は物事は独断で行ってはならず、話し合いで決めなさい。

素数である17に意味があるかは分かりませんが、現代でも十分に通用する17項目の決めごとです。泰時はこの3倍の条数(51条)で『御成敗式目』を制定しました。律令は朝廷が定めた規律であり、そこから離れるという泰時の強い意志が感じられます。

さて写真は源頼朝の持仏堂があったとされる白旗神社です。この場所は歴史の局面で度々登場してきました。

 

 

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