あなた方に言っておく。
命のために何を食べ、何を飲もうか、また体のために何を着ようかと、思い煩ってはならない。
命は食べ物に勝り、体は着るものに勝っているではないか。
空の鳥をみなさい。
種をまくことも刈りいれることもせず、また倉に納めることもしない。それなのにあなたがたの
天の父は、これを養ってくださるのである。
あなた方は鳥よりもはるかに優れているではないか。
あなた方が思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。
着る物のことをなぜ思い煩うのか。野の百合がどのように育つかをよく見なさい。
ほねおることも、紡ぐこともしない。あなた方に言っておく。
栄華を極めたソロモン王でさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草をさえ、神はこのように装ってくださるのだから
ましてあなた方に対しては、なおさらのことではないか。
だから、あなた方は、「何をたべようか」、「何を飲もうか」、「何を着ようか」と思い煩ってはならない。
あなた方の天の父は、これらのものが皆、必要であることを知っておられる。
まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて
あなた方に与えれられるであろう。
だから、あすの事を思い煩ってはならない。
あすのことは、あす思い煩えばよい。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
◆「新約聖書」マタイによる福音書第6章より
過去と未来に心を奪われることなく、目の前の現実だけに生きる。ってことでしょうか。
将来の事を考え無くていいと言うのではなく、取り越し苦労するな。ってことですね。