今日は、娘の十七回忌の法要でした。
娘は、阪神・淡路大震災のあった、平成7年7月19日、小学校1年一学期の終業式の日、校門を出たところで亡くなりました。
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先天性心臓疾患。術後3年もてば・・・の丁度3年でした。
あれ以来、妻は酒に強くなりました。
T2は心が強くなったと思います。
やりたいことは今やる!!と・・・
娘のことが無ければ・・・バイクに乗ることも無かったと思います。
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T2の書くモチベーションとポイントも上がり
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死んだ子の歳を数えるなと言われますが・・・悲しみは無くなりましたが、生きていればピチピチの22歳。
寂しくなることも・・・
それもまた、人生だと。
私は友人と従兄弟が相次いで亡くなった時に
人生は一期一会、やりたいことは直ぐにやるという
スタンスで生きるようになりました。
彼等に似た人と出会うといつも
生き返って私に会いに来たと思ってしまいます。
喪失感を伴いますが、残った人に何かを残してくれますね。
震災でも知り合いが何人か・・・忘れられない年です。
身の丈程も、父の死がバイク乗り復活の起点になっています。一つの恩返しのつもりで、代りにハワイで母親を後ろに乗せて。
ただ、お互いいつまでも乗り続けられるのにしましょう。(о'д')b
皆、それぞれ何かを背負って走っている。
出来るだけ、長く歳を重ねて行きたいですね。
お嬢様がT2さんの心の中で元気に育っていてくれると信じています。
悲しみは刻が流してくれますが、想いは永遠に心に刻みますね。
出逢えた事、一緒に居てくれた事に・・私はいつも故人に感謝する様になりました。
当時、医者にかかっていながら発見できなかったために大手術をしても既に手遅れの状態でした。心肺同時移植しか手段はないと・・・
術後の半年余りの入院生活、退院後、爆弾を抱えながら元気な、妙に大人びた娘でした。
女として妻と張り合おうとする姿が可笑しく昨日のことのようでもあります。
ありがとうございます。
優希が生きていたら、なんて言うだろう・・・と、思う癖がついてしまいました。
22歳の姿は想像できないのがさびしいですが・・・