goo blog サービス終了のお知らせ 

ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

冗談みたいな『聖書』テスト

2006-07-29 17:16:29 | 未分類
ブログのお仲間の記事にあった息子さんの
『聖書テスト』に触発されて、
しょーもないテストを思いついてしまった。
冗談かと思ってたら、
キリスト教系の教育施設では本当に
そんなテストやってる学校があるらしい。
全10問、制限時間は10分です。
成績良くても何の自慢にもなりませんが、
では、どうぞ。


問1.アダムとエバの息子のうち
   聖書に名前の出ているのは何人か。
  1.2人
  2.5人
  3.3人


問2.バラムが乗って叩くと喋った生き物を選びなさい。
  1.ぞうがめ 
  2.ろば 
  3.らくだ


問3.サムソンの弱点は次のうちどれか。
  1.かかと 
  2.足の裏 
  3.髪の毛


問4.ダビデがゴリアテを倒した時に活用した道具は
   次のうちどれか。
  1.ぱちんこ 
  2.落とし穴 
  3.地雷


問5.ダビデの息子達について、
   A群に適合するものはB群のうちどれか。

  A群
   い.アブサロム
   ろ.アドニヤ
   は.アムノン
   に.ソロモン

  B群
   a.大岡越前のドラマのネタになる裁判をした。
   b.異母妹を強姦してアブサロムに殺された。
   c.父の後継者になろうとして
     軍の指導者ヨアブと祭司長を味方につけた。
   d.クーデターに失敗し
     長髪が枝に引っ掛かって父の手勢に殺された。


問6.熊に食われた子供達はエリシャにどんな悪さをしたか、
   次から選びなさい。
  1.ヒゲを馬鹿にした 
  2.ハゲを馬鹿にした 
  3.汚い身なりを馬鹿にした


問7.ヨナが日傘の代わりに使ったのはどれか。
  1.とうごま
  2.べーごま 
  3.ラワンぶき


問8.イエス・キリストの弟子12人の名前を挙げなさい。



問9.イスカリエテのユダがイエスを裏切って得た銀貨で
   買われた土地の名前はどれか。
  1.アケルダマ
  2.アケダルマ
  3.アカダルマ 


問10.パウロの身の上について、正しいものを選びなさい。
  1.ユダヤ人でローマ市民 
  2.ローマ人でローマ市民 
  3.ギリシャ人でローマ市民


配点は、各10点で100点満点。

評価:90~100点→『松』近眼注意。
   89~60点→『竹』聖書は楽しく読みましょう。
   59点以下→『梅』教会に行って誰かに聞きましょう。












正解:問1.→創世記5;4
   問2.→民数記22;27~30
   問3.→士師記16;17
   問4.→サムエル記Ⅰ17;49
   問5.→アムノン→サムエルⅡ13;1~33
       アブサロム→サムエルⅡ18;9~18
       アドニヤ→列王記Ⅰ1;5~7
       ソロモン→列王記Ⅰ3;16~28
   問6.→列王記Ⅱ2;23~24
   問7.→ヨナ書4;6~11
   問8.→マタイ10;2~4
   問9.→使徒言行録1;19
   問10.→使徒言行録16;37、使徒言行録21;39


テストが死活問題になるとは
学生ってかわいそう。
私の出身校あほくせー学園でも、
必修科目としてキリスト教学Ⅰ、Ⅱがあり、
2年生までの間にクリアしないとスクリーニングで
3年に進級する事が出来なかった。
私達は『キリ教』と呼んで忌み嫌っていた。
試験はなく、礼拝堂でやってる礼拝に出席して
レポートを書けば何とかなる、
どーでもいい科目だったが、
私の先輩はレポートのタイトルに『キリスト数学』と
うっかり書き間違って落とされ、進級できなかった。
(どんな数学だ?)
先輩達の話によると、
当時キリスト教学の教授だったチャプレン(牧師)は
集めた学生のレポートを窓から放り投げ、
軽くて遠くまで飛んだレポートは『優』、
適当な所まで飛んだレポートは『良』、
一生懸命書いて枚数の多い重たいレポートは
窓の真下に落ちるので『可』。
提出しなければ落第。
まさにその名の通りあほくせー学園であった。www

壁(創世記11;7)

2006-07-15 01:34:48 | 未分類
さあ、降りて行って、
そこで彼らのことばを混乱させ、
彼らが互いにことばが通じないようにしよう。
               (創世記11;7)


「聖書は面白いけどさ、何で宗教なんか入った訳?」

「食べる前に十字とか切らないの?」

「死んだら土葬するんでしょ?」

「教会で賛美歌聞くと心が洗われるかい?」

教会に来て見たら?歓迎するよ。

「まさか。
確かにイエス・キリストは救い主かも知れない。
聖書も読めば面白い。
でもクリスチャンて傲慢で鼻につくんだよね。
教会の話も聞きたくないな。」

キリスト者に対する職場の皆の好奇心が
拒絶で終わるのは何故だろう。
キリストにではなく
私個人にでもなく
「キリスト教の信者」に対して
反感と嫌悪感が起こるのは何故だろう。


私が初めて教会に来た時にある人から言われた。
「さあ、あなたも早く救われて下さい。
私達と一緒に天国に行きましょう。」
私は苦笑して思った。
「あんた達と一緒なら行きたくない。」
信仰を見い出していなかった私の目に、
信者は傲慢な酔っ払いにしか見えていなかった。
何故だろう。


洗礼を受けたのだから信者に対する反感と嫌悪感は、
今ではもう自分自身が受ける立場になったのに、
信仰をまだ見い出していない人の心理を
理解し配慮する努力が自分には欠けていると
職場の雑談で感じた。
教会の群れの中にどっかりと安住してしまって
安心しているのは何故だろう。


教会に定住した途端に
言葉の障壁を黙認し、
教会から新参者を締め出すあの特殊な言葉遣いを
聞き流すようになったのは何故だろう。


学者や教職者が文章や講義の中で独自に作り出した用語を
そのまま教会の日常会話に流用する事に
疑問を感じなくなってきたのは何故だろう。
考えるのがめんどくさいからか?


例えば、
一人しかいない相手をわざと複数形の「兄弟」「姉妹」。
奉仕の協力者をわざと訓読みの「はたらきびと」。
夢想と幻覚と理想と計画を全て一緒くたにして「まぼろし」。
人間関係の交流を「交わり」。
(ただね、一歩教会を出れば「交わり」という言葉には
 性行為の意味もあるんですけど。)

だから集会の報告なんかはこんな。
 『…○月○日の集会は会場奉仕のはたらきびとにも恵まれ、
  ○山○夫兄弟による「地域伝道のまぼろし」のお話の後、
  皆で共に良き交わりの時を持ちました。』

壁が出来ている。
来たばかりの人にこれで話が通じるだろうか。
通じない会話から締め出された気持ちは
どんなものだったろう。
味わった経験があっても喉元過ぎればで、
忘れている。
私はそれを感じた事があり、
キリストに近づくための登竜門と考えていた。


教会の中に入った途端、
仲間内以外ではどこにも通用しない用語を押し通して
集団意識に酔っているのは何故だろう。
初めて来た人に対して
教会の内外で日本語の使い分けを強いているという
自覚すらないのは何故だろう。


自分が洗礼を受けた途端、
信者同士で互いに「クリスチャン」と呼び合い、
「救われた私達」と定義づけしているのは何故だろう。
自分が洗礼を受けた途端、
信者以外の人を「ノンクリスチャン」と呼び、
「まだ救われていない人」と定義づけし、
蔑むとも哀れむとも聞える名称で
十羽一絡げに括るのは何故だろう。


キリストは世の全ての人々に福音を伝えて、
世の全ての人々を救おうと願っておられるのに
信者が言語で壁を作り、
「クリスチャン」「ノンクリスチャン」という名称で
人々を分別しようとするのは何故だろう。


 「耳障りなんだよ。その変な教会内用語。」
教会内用語を連発する人に突っ込みを入れたら口論になった。
相手曰く、
 「じゃあどうやってクリスチャンとノンクリスチャンを、
どこで区別すればいいって言うのっ?」
私は返す。
 「信者が人間をクリスチャンとノンクリスチャンに
  いちいち二分する理由は何?
  あなたは神になり代わって人間を分別するつもりか?」
相手は切れる。
 「あなたは私を裁いてる!
  教会で教会用語使って何が悪い?」


いいえ。
悪くはないでしょう。
教会が信仰を持たない人々を一切招かず、
福音宣教を一切しないのなら、
教会の内側だけで通用する会話を楽しくしていればいい。
幼稚な口論もそれなりに楽しかったけどね。
どうよ。
わざわざキリストに会いに来たのに言葉の壁に締め出されて、
それでもめげずに
こりゃ登竜門だわいと乗り越えて図太く居座る人が
いると思うかい?
そもそも教会にそんな登竜門が必要か?


「救われた人々」と「まだ救われていない人々」との区別を
信者が名称を使って識別したがるのはなぜだろう。
職場の同僚が
「クリスチャンて傲慢で鼻につく。」と言ったのは、
きっとこの事だ。
教会に一度も行った事がないか、
信者に知り合いが一人もいない人は
「クリスチャンて傲慢で鼻につく。」とは決して言わない。
その同僚が教会や信者と何らかの関わりがあったからこそ
生じた傲慢な印象、嫌悪感だったのだと思う。
私達は知らず知らずに自覚なく傲慢な事をしてるのだ。
言葉という建材で壁を作って。
まるでゴミを「可燃」と「不燃」とに分別するみたいに、
人間を「救われた私達」と「まだ救われていない人々」とに
分別しようとしているのだと、
クリスチャン嫌いの人の目にはそんな風に映っているのだ。
(あれ、でも「可燃」と「不燃」どっちがどっちだろ?)


「まだ救われていない○○さん」と呼ばれて、
私もあなたのように救われたいですと望む人は
いるだろうか。
洗礼前までは私だって
さんざん迷って死ぬの死なないのとうろうろしていたのに
洗礼を受けた途端、
教会内の仲間意識に甘やかされて、
価値観の違う相手の心理に鈍感になったのは何故だろう。
教会に定住できたからと言って
自分もかつては抱いていた苦々しい嫌悪感を、
忘れたつもりになるのは何故だろう。
鈍くなった。
自分がどんどん鈍くなっていく。

貧しさも富も私に与えず(箴言30;7~9)

2006-07-09 23:22:01 | 未分類
二つのことをあなたにお願いします。
私が死なないうちに、それをかなえて下さい。
不真実と偽りとを私から遠ざけて下さい。
貧しさも富も私に与えず、
ただ私に定められた分の食事で私を養って下さい。
私が食べ飽きて、あなたを否み、
「主とは誰だ」と言わないために。
また、私が貧しくて、盗みをし、
私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30;7~9)


聖書では神と人との関係を親と子の関係に例え、
愛情とか信頼といった感情が教えの基本になっている。
私はクリスマスが今でも苦手だ。
御降誕の意味はわかっても、あの聖家族の絵が気持ち悪い。
父親と母親がいて子供の顔を覗いているあの聖家族。


何かの腹いせに子供を殴った者は、
殴った事など忘れるか、
あれは躾であったと正当化して、
時間が経つと忘れるが、
殴られた者はそうではない。
抵抗できずに我慢していたものを
自分を殴った相手ではなく、
別の者にぶつける。
父は母と私にぶつけ、
母は私にぶつけ、
私は妹にぶつけ。



5歳以前から私は両親の八つ当たりの的だった。
やられっぱなしで両親への憎悪を溜め込んだ子供の自分は
成人になって信仰告白し洗礼を受けて一度死んだのに
まだ死にきれずにいる。
何でこんな事になってしまったのだろう。


大叔母から父の生い立ちを聞いて、
私に手をあげた父にもその親への怨みがある事を知った。
幼少時の自我がまだ父の中に生きており、
継母から受けた仕打ちに対する仕返しの相手として
母や私を位置づけてきた事に気づいた。


自分にだけ食事を与えてくれなかった継母に対する怨みを
後年、食事を出してくれる母や私にぶつけていた。
キリストの助けによって私は、
父に殴られていまだに怨んでいる子供の私自身を潰し、
打ち勝って親子3世代に続いている憎悪の連鎖を
断ち切らなければならない。
親を怨み呪って育った私の父が、
晩年になった今残されている時間のうちに、
父自身が生まれてきて生かされてありがたいと
心底思えるように働きかける事。
それが和解であり勝利であると、
私は気づいた。
でも実際どうすればそこまで到達できるのだろう。
親子関係の修復とは、
本来は親の方から考えて働きかけるものではないのか。
私達は構図の逆転した親子かも知れない。



私の父は自分の生い立ちや親族の事を多く語らない。
子供の頃私は不思議に思っていた。
母には母の両親があり兄と姉妹がいるのに、
父にはどうして誰もいないのだろう。
父は誰から生まれ、誰に育てられたのだろう。
育った家はどこにあるのか、兄弟か姉妹はいないのだろうか。
父に聞くと返してきた答えは
「そんなものはない。余計な事を聞くな。」
大叔母Hから聞いた父の生い立ち。
Hは家系図に深い関心を寄せて
徳島にまで足を運び、調べていた。
Hの血筋に対する執着が何によるものか
今ではもう確かめようもないが、
私の考える祖父の系図は鬼畜の系図である。
親になるべきでない者が親になり、
生まれた者に後始末を負わせた呪いは未だに消えていない。
老い衰えて足腰立たず、
今では人生の様々な記憶も失いつつある父と、
子である私との間で今なお引き摺り続けている。
祖父と父とその親族の残した古い手紙や記録は、
巡り巡って私の手元にある。
そこから知り得るのは、
祖父と何人もの後妻達の所業に翻弄されて
歪んだ父とその異母弟妹の生い立ちである。


父が2歳の時、祖父母は離婚した。父には1歳の妹がいた。
田舎の大家族による嫁いびりのためか、日頃の疲労のためか、
祖母は1歳の子に乳を含ませたまま寝入ってしまった。
気がついた時、乳児の顔は半分潰れていた。
父の妹は母親の乳房の下で圧死した。
祖母は裸同然で家から追い出された。


祖父という人物は再婚と離婚を
判っているだけでも5回以上は繰り返し、
何をして荒稼ぎしたのか今では知るすべもないが
巨額の財産を築いたという。
誰もが貧しく物資不足の終戦後に、
下着やYシャツは全てオーダーメイド、
着る物は下着の一枚一枚までアルファベットの飾り文字で
名前の頭文字が刺繍されてあった。
ロンジンの腕時計を身に着けて葉巻を吹かし、
他人の嫌がるような事も平気でするほど
その人間性は荒んでいたと聞く。
非合法な手段で何処かの土地を手に入れようとして、
自分の息子と妹達の戸籍を偽造した。


父と一緒に暮らし、育てたのは祖父の姉Aである。
Aは全盲だった。
5歳で失明し家から出た事もないAと孤児同然の父は、
数年間の間身を寄せ合って暮らした。
小学1、2年足らずだった父が米をとぎ、
買い物や掃除洗濯をし、
Aの出来ない身の回りの事をして生活した。
父は自分の生母を母親として顧みる事は一切せず
その存在すら黙殺したが、
Aだけは母親代わりとして信頼していた。


ある時
気紛れを起こした祖父が突然父を引き取ると言い出した。
父はAから引き離された。
何番目の後妻だったか、新たに同居する事になった継母は
継子の分だけ食事を作らず、
目の前に菓子を置きながら手をつけさせなかった。
男児を産んだ継母は狭い家の中で陰湿に私の父を排斥した。
この後妻の産んだ最初の男の子は1歳で死んだ。


14歳になると父は家を出て札幌の鉄道学校に入り
旧国鉄の機関区で働いていた。
19歳の時に仕事中に右脚を機関車に轢かれた。
創部は骨髄炎にまでなり、数年の長い間入院療養していた。
退院後は機関士として働けず無学歴では転職もできないので、
父は商業高校の定時制に夜間通って経理を身につけ、
鉄道管理局の経理部に配置換えされた。


その頃父は母と出逢って結婚したが、
新婚旅行の途中で突然呼び戻された。
新居に祖父が後妻の子供2人を連れて転がり込んだのだ。
父を排斥した継母と祖父とはすでに離婚しており、
別の新しい後妻を迎えたが、その女に全財産を持ち逃げされ、
毒殺され損なったという。
(H大叔母さんこれ本当の話ですか?)
一命は取り留めたが著しく健康を害して、
先妻の産んだ女の子と男の子2人を連れたまま
無一文になった祖父には行く宛がなかった。
女の子と男の子を産んだ後妻と祖父との間では
どちらがどの子を引き取るかで争っていた。
祖父も後妻も、女の子の方を引き取りたがり、
男の子の方を互いに押し付けあった。
畜生にも劣る雄と雌の争いの根拠はこうである。
中学生の女の子を引き取った方が得であり、
小学生の男の子を引き取った方は損である。
中学生の女の子は家事や身の回りの世話をさせるか
或いはどこかで働かせれば役に立つ。
小学生の男の子の方はまだ幼くて、
世話をしなければならない年齢で足手纏いだ。
結局その時点で後妻はどちらの子も引き取らず、
父の腹違いの妹と弟は祖父と共に
私の両親の貧しい新居に来た。


しかし父の薄給で全員を養うのは不可能だった。
新婚間もない頃、母は密かに自分の兄に借金して凌いだ。
間もなく祖父は女の子と男の子を置いたまま、
何処へともなく家を出た。
祖父が家を出たのは、
嫁との間の折り合いが悪かったからだと父方の親族は言う。
しかしそれは父方の一族に都合よく事実を歪め、
舅と嫁の問題にすり替えて語られたに過ぎない。
親からして貰うべき事を何一つして貰えずに育った私の父が、
無一物で病身になったからと新居に上がり込んだ祖父を、
父親としてどう評価していたか。
祖父は何と考えていたのだろう。
生父からも生母からも利用価値でしか顧みられず、
連れ回され放棄された上に、
腹違いの兄夫婦の新居の居候となって身の置き所すらない、
その後も親戚中を当て所なく
ぐるぐる盥回しにされ続けた娘と息子の、
親としての自分を評価する目がどんなものであったか、
祖父は何と考えていたのだろう。
私の手元にある古い写真の中で、父の異母妹はまだ幼い。
当時にしては仕立ての立派なセーラー服を着せられて、
小学1年生の白布の名札を下げている。
しかし小学校に入学して可愛い服を着て、
何故こんな心細い寂しい表情をしているのだろう。


父と祖父は互いに口をきかず、
狭い部屋の中で何か話すにも父はいちいち母を間に立たせた。
父が仕事に行って留守の間、
母は女癖の悪い舅と2人でいるのが苦痛だったと言う。
半世紀近く経った今、この事を書き留めている私自身は、
母の言い分と父の親族の言い分の両方を知っている。
しかし自分が立ちたくない矢面に配偶者を立たせた事に
自責の念すら持たない父の卑劣さ矮小さに、
これまでも今も私は注目する。


この時点で
母は忍耐などせず私を身籠る前に家を出るべきだった。
そうすれば父には自分の父親とその後妻に対して
直接自ら対峙する機会が与えられたはずだ。
父は自分の父親に正面から立ち向かって糾弾すべきだった。
親の身勝手な生き方のツケを子に払わせる無責任を、
親になる資格のない愚劣な者達が己の遺伝子を
ドブネズミやゴキブリか何かのように撒き散らした責任を、
親を選んで生まれてくる事のできない者を
利用価値ずくで不幸に貶めた責任を。


正面から向き合ってぶつかり合って初めて、
その先にあったかも知れない和解の機会も
与えられるはずだった。
しかし父には自ら相手と衝突する勇気などなかったらしい。
元々私の父は
自分から働きかけて痛い思いをするのを極度に嫌う人間だ。
手すら汚したがらない。
自分の力で何かをする気もなく、
必ず誰か使える人間を探そうとする。
そして自分に対する評価だけは飾りたがる。


親族から長男なのに何もしないと非難され、
後ろ指を差されたくなかった事だけが
義務的に祖父と連れ子達を引き取った本当の動機である。
自分はそうするより仕方ないのだと、父は母に言ったという。
しかしそのために迷惑をかけてすまないとか
労わるなどの言葉や姿勢は、
父が母に対して示す事私の目にもなかった。
腐敗したガスを腹に溜め込んだ険悪な空気の中で
無言のうちに囲む貧しい食卓は
そのまま私の生まれ育つ家庭の土台となった。
年月が経って食材が豊かになり、
食べ飽きるほどの食物が食卓に溢れても、
この土台の呪いは以後も長く尾を引き、
今現在も続いている。
(私は家族と食卓を囲んで食べるのが吐くほど大嫌いだ。)


祖父や父の異母弟妹と暮らした記憶は私にはないが、
誰かがマーブルチョコレートをくれた記憶がかすかにある。
食べると母の顔色が変わった。
びくびくしながら食べたマーブルチョコレートが
どんな味だったか思い出せない。
大叔母Hが言うには、祖父が1歳半の私に無断で菓子を与え、
母がそれをいちいち見咎めて逆上した事が、
祖父にとっては家を出る直接の原因だったという。
残された古い手紙を見ると、
その時私はまだ2歳にもなっていない。
記憶が残っているのも不思議だが、
よく喉に詰めて誤嚥・窒息死しなかったものだ。
母が祖父を警戒したのは無理ない。
(私としては窒息死でも不満はなかった。何せ2歳前だし。)


間もなく祖父は
札幌の南外れの精神病院で身元不明者として死んだ。
(後になって判明した。)
家を出た後の祖父の所在について、
私の両親や父の親族そして祖父直筆の古い手紙が残っている。
これらは祖父の死後遺品として届けられたものだ。
祖父は家を出て札幌に行き、
何か事業をしようとしたが失敗して心身の不調が増悪した。
斗南病院、国立札幌病院、市立札幌病院と
手紙の消印が転々としている。


精神的な不安と孤独に陥ったのだろうか、
一時的に退院して突然気紛れを起こし、
男の子の方を引き取ると言って連れ出した。
行き先を突きとめた父は祖父と異母弟の様子を伺うために
自分で出向かず、私を背負った母を札幌まで行かせた。
2歳の私を抱えた母が10数時間列車に乗って
やっと札幌の祖父の宿泊先に辿り着くと、
祖父は母を追い返した。
「何しに来た。帰れ。」
祖父は男の子を小学校にも行かせないまま連れ歩きながら
麻雀に興じていた。


その後再び祖父は病状悪化して療養生活に戻り、
男の子は姉とともに知人に預けられた。
この頃に父の異母弟が書いた手紙の幼い文面は、
胸に突き刺さるほど寂しい。
「おとうさん、ぼくはきょうおしるこをたべました。
あまくてとてもおいしかったです。
おとうさんは、こんばんなにたべましたか。
おとうさんいまなにしていますか。
ぼくはおとうさんにあいたいです。
はやくびょうきがよくなってかえってきてください。」


2人の子供を預かって貰っていたにも関わらず、
祖父は何故かその知人を手紙の中で貶めている。
「子供らを手なずけて何をたくらんでいるのか」
父の異母妹は自分達が世話になっている知人を
祖父が貶めた事に抗議している。
「我が子同様にして下さっているのに
お父様はなぜあんなひどいことを言うのですか。
私は残念で悲しいです。」
しかしこの当時の祖父が書いた手紙を読むと、
被害妄想的に膨らんだヒステリックな文面から、
すでに精神に変調をきたしていたと思われる。
僧帽弁狭窄、大動脈弁閉鎖不全という心疾患と診断され、
「ひとりぼっち」という言葉が何度も
手紙の文面に書き出されている。
祖父は肺癌であり、最後は急性心筋梗塞で死んだ。
天涯孤独と偽って施設に入り、譫妄か肺癌末期の意識障害か、
暴れて周囲の人々に迷惑をかけた末、
精神科の一室で生涯を終えた。
札幌で祖父と関わったという人物が
区役所やあらゆる公的機関に問い合わせて
父と私達親族を探し出し、知らせてくれた。


祖父の遺骨を墓に納め、
事後処理の相談のために大叔母Hが訪ねて来た時の事を
私は憶えている。
Hはキツネの襟巻きを身に付けていた。
そのキツネの襟巻きには小さなキツネの顔が付いており、
私はそれをよくできた犬の縫ぐるみと思って、
頑として放さず結局貰ってしまったらしい。



長い時間が経過して、
私が札幌の大学に進学した時、
父は全盲の大伯母Aと18年ぶりに再会した。
私が生まれるよりずっと昔、
まだ子供だった父と乏しい糧を分け合って生き延びたAが
父の持参したシュークリームを食べた。
「ああ、おいしい。」
人前で泣いた事のない父が涙を流したのをHは見たという。
Aはいつか私が進学で札幌に移る事と父との再会を確信して、
僅かな援助金の中から千円札を3枚、
手で触って選り分けていた。
その心を思うと泣きたくなる。
視覚のない、親族の間で盥回しになった末の施設暮らし、
孤独な80余年の人生を、Aは不幸と嘆かなかった。
暗闇の中でも光の感じる方角を探して
生きようとした人だった。


私が30歳の誕生日を迎えた時、
何を思ったか電話で父が言った。
「誕生日とは
今日まで無事に生きてこられた事を感謝する日だぞ」
何故、誰に感謝するのかは漠然としているが、
Aの姿勢が少なからず父に影響を与えたのかも知れない。
生かされる。感謝する。与える。
キリスト者でありたい私は、
キリストを知らなかったAの足下にも及ばない。
洗礼を受け信仰告白してもなお、
私は何一つ解決出来ていない。
全ての問題が棚上げになったままだ。
諦めないこと。投げ出さないこと。
父がこの世に生きているうちに、
私達家族の間の憎悪の連鎖を断ち切りたい。

共同体の夢(箴言16;2)

2006-07-03 20:02:33 | 未分類
人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。
しかし主は人の魂の値打ちをはかられる。(箴言16;2)


主のために働くって何だろう。
共同体の夢の話でKさんの家庭集会は盛り上がっていた。
Kさんは夢を語る。
自然豊かな田舎に土地を買い、
農業を営む傍らで敷地内に老人施設を建て、
老いも若きも共に働き共同生活をする。
そこで礼拝や集会を開き、皆で共に祈り、賛美歌を歌い、
皆で聖書を読む理想の教会。
愛に満ちた共同体の姿。
「私はそこでパンを焼くの。」
Kさんの憧れはアーミッシュ村。
私はその理想の共同体には興味なかった。
Kさんは私に言う。
「あんた若いんだから、もっと夢持たなきゃだめよ。」


いや、若くないけどね。
自分の理想通りの夢を実現する事と、
主のために働く事と、何の関係があるんだろう。


Kさんの教会では日曜礼拝の後に読書会が行われていた。
その時に皆で読んでいた本は、ボンヘッファーの
『共に生きる生活』(森野善右衛門訳・新教出版社)。
複雑怪奇な日本語で1ページ読むのにも骨が折れるが、
皆にも私にも深く共感するところがあった。
翻訳した学者の日本語があまりにも回りくどくて、
せっかくのボンヘッファーの教会観をひどく難解な
理解し難いものにしてしまっているのがもったいない。
ボンヘッファーの教会観が難解なのではなく、
翻訳者の日本語が難解なのだ。
その難解な日本語を皆で頑張って解読していた。
この本にはそれだけの価値があると思う。


 「キリスト者の集まりは、
 それが理想から出発して生きたために、
 何回となく全面的に崩れ去った。
 …一つの交わりのイメージを夢見る者は、その実現を、
 神に、他の人に、そして自分自身に求める。
 …あたかも自分がキリスト者の交わりを
 造り出す者であるかのように行動する。
 …キリスト者の集まり自身よりも、
 交わりについての自分の夢を愛する者は、
 結局はキリスト者の交わりの破壊者となる。」
 理想を求める事は、
 教会を建てる事と混同してはならないのだ。
(『共に生きる生活』ボンヘッファー著
           森野善右衛門訳 新教出版社)


しかし教会に限らず、
何かを建てる時には誰でも理想を青写真にして、
そこに夢の実現を求めるものではないだろうか。
教会でなくても、理想を掲げて建てられるものはあるはずだ。
例えば福祉施設とか。
以前私が働いていた特別養護老人ホームにだって
創立当初は理想があったと思う。
そこで私が出会った在宅介護の高齢者達は
独居、家族同居問わず生活の場の選択権を失って
施設入所を待っていた。
独居ではこれまで暮らしてきた生活の場所を奪われる。
不動産があれば子供等の手で処分され、
間借りならば老朽化したアパートからの立ち退きを迫られ、
新しく転居しようにも殆どの賃貸物件は高齢者お断り。
仕方なく施設への入所を待つ。
たとえ家族と一緒に暮らしていても、
家族には家族それぞれの生活がある。
年寄りは家の中で疎んじられて孤立し、虐待されたり、
或いは逆に家族の方が心身ぼろぼろに疲れ切って
施設に空きが出来るのを待つ。
施設は満員、老人病院は満床。
まだ死を迎えない人間に、一体何処に行けというのだろう。


ある時誕生会の主賓席に座った女性がいた。
「これからもお元気で、来年もまたその席に座って下さい。」
同じデイサービスの仲間は祝福の挨拶を述べたが、
彼女は無言で涙をぽたぽたこぼした。
嬉し涙ではない事を誰もが知っていた。
彼女は家族と同居している。
彼女の部屋は家族とは別の離れにあり、
食事は彼女の分だけ盆に載せて離れの廊下に置かれる。
来年の彼女の誕生日など家族は望んでいない。
その場にいた誰もがそれを知っていた。
殆どの人が皆似たような境遇にあり、誰も何も言わなかった。


莫大の資産を持つ男性がいた。
介護に疲れ果てて寝込んでしまった家族には、
ショートステイ何泊かの滞在日数分の下着の替えを
持たせるだけの精神的な余裕すらなかった。
莫大な資産があっても、彼には着替えが一枚きりしかない。
深夜になって彼は施設内を徘徊し、泣きながら訴えた。
「家に帰ります。家に帰りたいです。」


当時私が働いていた施設は、
運営上の利害も絡んで能力以上に高齢者を受け入れ、
私達は事故を起こす寸前だった。
そこで働く間ずっと、
「今に何かが、取り返しのつかない何かが起こる」という
強迫観念に取り憑かれていた。
人件費を削りに削った末に収容するだけで目も手も行き届かず、
何かあれば即病院に送り込む。
回復しても退院後の受け入れ先はない。
家族は受け入れを拒否したり、都合が付かないからと
迎えに来るのを延び延びにする。
施設や病院は高齢者を捨てる場か?
自然豊かな環境と称して、
高齢者施設を人里離れた山奥に建てているのは何故か?
病院は急患を受け入れるために
ベッドを空けなければならない。
施設は誰か死ななければベッドが空かない。
まだ死を迎えない人間に、
一体何処に行けというのだろう。


高齢者を若者が支えて共存する。
そんな愛と平安に満ちた共同体の夢を見ることは悪くない。
でも土地と金を持つ夢想家には立場の弱い者を
自らの夢実現の小道具として利用している自覚がない。
アーミッシュに憧れて理想の共同体を目指す人達にしても、
たとえ実現したとしても
自分がそこに入所する気はないと言い切る。
にもかかわらず畑を耕すような
人里離れた場所に老人施設を作りたがるのは何故だろう。
高齢になったからといって、
それまでの生活を全部切り捨てて
人里離れた施設に入れられて幸せか?
たとえ安全で清潔で食事もレクリエーションもあって
冷暖房完備であっても、
そんな生活が幸せか?
実際に一人一人と関わって話してみて、私もやっと気づいた。
年老いて身体が不自由になっても働き盛りの頃と同じく、
慣れた土地に住んで、慣れた道を歩いて、
馴染みの街の景色を眺め、馴染みの友達を訪ね、
顔馴染みの店に立ち寄る、
日曜日にはいつもの自分の教会に杖ついて行きたい。
誰だってこれまで通りの平凡な、
愛着ある自分の生活を失いたくないはずだ。
そして、「今までどおり」でいる為に
必要な援助の人手は全然足りない。


私は
自分の宗教観に基づいた共同体の夢や理想を持っていない。
土地も金も力も持っていない。
夢もなく理想を具現化する術も持たない者にとって、
主のために働くって何だろう?


わからないし、何も持っていないからこちらから出向いて
他者の失われた手足になる事を考えようと思った。
そう簡単な事ではないけど。
Kさん、他の皆さん、
せっかく夢と希望で盛り上がってたのに盛り下げてごめん。