イエスの十字架のそばには、
イエスの母と
母の姉妹と、
クロパの妻マリヤと
マグダラのマリヤが立っていた。(ヨハネ19;25)
映画『バラバ』を見ると、物語の始めに
遺体となった主イエスが十字架から降ろされる。
年老いた聖母が骸になった我が子を無言で抱き締める。
その映画を見る度に、
画面の中で身を屈めた聖母の姿が、
ある腰の曲がった母親の姿と重なって
目を背けたくなる。
小さく老いた母親は息子の病室に毎日やって来た。
面会時間の午後3時になるのを待っていて、
待ち兼ねて病室にやって来た。
そして面会時間が終わる夕方7時までずっと
息子の名前を呼び続けた。
手足を擦ったり握ったり。
顔を摺り寄せて息子の名前を呼び続けていた。
息子は目を開いたり開かなかったり、
話しかけて頷く事も稀にあった。
そんな何日かに1回程度の微細な反応を見る度に、
私達は母親に告げた。
少しでも希望を持って欲しかった。
「昨夜話しかけたら返事してくれましたよ。」
「手を握ったら握り返してくれました。」
私達の報告を聞く度に母親はさらに必死で呼び続け、
帰り際にはしょんぼり呟いた。
「何も返事してくれなかったよ。」
「何も言ってくれなかった。」
「今日も手を握り返してくれなかった。」
その当時は病院でも施設でも、
今よりも比較的簡単に身体拘束の紐が使われていた。
実際、急性期の脳外科では
自分で管を抜いてしまうと生命に関わる危険が多かった。
息子は意識がない訳ではなかった。
目を離すと鼻の管を抜いた。
じっと目で見ていても判らない程ゆっくりと、
抑制帯で縛られた手に僅かずつ顔を近寄せていく。
いつの間にか枕がずれていたり、
手を縛る紐が緩んでいたりすると、
彼は一瞬のうちに鼻の管を抜いた。
あんまり何回も抜くので鼻腔が傷ついて血だらけだった。
気道に痰が溜まったのかゼイゼイ鳴るので吸引すると、
鼻孔から血の塊が出てきた。
DIC。末期的な出血傾向が始まっていた。
鼻血で窒息する事態だけは避けなければならなかった。
深夜、私はその人に話しかけてみた。
「今日、お母さん来た?」
彼は頷いた。
昼間は目を開いていても何も反応しないのに、
夜になると彼は活動的だった。
「お母さんに返事してあげたの?」
彼は首を横に振った。
「どうして?」
首を傾げた。
「明日お母さんが来たら返事してあげなよ。」
彼は頷いた。
言葉が出ないのだろうか。
声が出ないのだろうか。
私は白衣の胸ポケットの名札を指差してみた。
「これ何て書いてある?読んでみて。」
彼はしばらく唇をむずむずと震わせた。
「い…の…う…え」
はっきり答えた。
私はもう一人の夜勤者と顔を見合わせた。
ちゃんと喋る事が出来る!
先輩が自分の顔を指差して言った。
「この顔、見た事ある?」
彼は答えた。
「変な顔。」
「明日お母さんが来たら、
お母さんって呼んであげるんだよ。ね。」
彼は頷いたが、
翌日も、そのまた翌日も、
何日経っても母親はがっかりして帰って行った。
ある日の午後、
私はベッドサイドで彼の手足を洗っていた。
そこに母親が面会に来て、傍らでしきりに言った。
「看護婦さん、ありがとう、ありがとうね。」
どうしてありがとうと言ったのだろう。
目の前で私が洗っていた息子の右手。
彼の浮腫んだ右手首には
紐の痕がくっきり残っていたのに。
あの小さな老母の目にそれが留まらない筈はないのに、
どうしてありがとうと言ったのだろう。
半身麻痺で身動きならない我が子を
こんな目に合わされてどうしてくれると
殴りかかってくれてもよかったのに。
数日後、紐は要らなくなった。
容態が悪化した彼は重患病棟に移され、
器械で強制的に呼吸を維持し、
心拍も乱れてきて除細動も何度か行なった。
彼が逝く前日、
準夜出勤の途中で私は母親と行き会った。
「お世話になったね。ありがとうね。」
その日、
必死で業務を時間内に終わらせて自宅で仮眠を取り、
夜が明けると朝一の電車で父の入院先に向かった。
現地に着くとすぐ、
いつも立ち寄る教会の聖堂に行った。
父の面会時間までしばらくボーっとした。
聖堂の壁には
14枚の古い木製レリーフ『十字架の道行き』が
掛けられている。
第13留。
イエスが十字架から降ろされる場面が
浮き彫りにされている。
十字架から降ろされたイエスの傍らの聖母と
とうとう独りぼっちになったあの小さな老母の姿が
重なった。
どうしてありがとうと言ったのだろう。
ありがとうと言われて、
言いそびれてしまった事が苦しい。
ありがとうと言われる前に言いたかった。
ごめんなさい。
許してください。
イエスの母と
母の姉妹と、
クロパの妻マリヤと
マグダラのマリヤが立っていた。(ヨハネ19;25)
映画『バラバ』を見ると、物語の始めに
遺体となった主イエスが十字架から降ろされる。
年老いた聖母が骸になった我が子を無言で抱き締める。
その映画を見る度に、
画面の中で身を屈めた聖母の姿が、
ある腰の曲がった母親の姿と重なって
目を背けたくなる。
小さく老いた母親は息子の病室に毎日やって来た。
面会時間の午後3時になるのを待っていて、
待ち兼ねて病室にやって来た。
そして面会時間が終わる夕方7時までずっと
息子の名前を呼び続けた。
手足を擦ったり握ったり。
顔を摺り寄せて息子の名前を呼び続けていた。
息子は目を開いたり開かなかったり、
話しかけて頷く事も稀にあった。
そんな何日かに1回程度の微細な反応を見る度に、
私達は母親に告げた。
少しでも希望を持って欲しかった。
「昨夜話しかけたら返事してくれましたよ。」
「手を握ったら握り返してくれました。」
私達の報告を聞く度に母親はさらに必死で呼び続け、
帰り際にはしょんぼり呟いた。
「何も返事してくれなかったよ。」
「何も言ってくれなかった。」
「今日も手を握り返してくれなかった。」
その当時は病院でも施設でも、
今よりも比較的簡単に身体拘束の紐が使われていた。
実際、急性期の脳外科では
自分で管を抜いてしまうと生命に関わる危険が多かった。
息子は意識がない訳ではなかった。
目を離すと鼻の管を抜いた。
じっと目で見ていても判らない程ゆっくりと、
抑制帯で縛られた手に僅かずつ顔を近寄せていく。
いつの間にか枕がずれていたり、
手を縛る紐が緩んでいたりすると、
彼は一瞬のうちに鼻の管を抜いた。
あんまり何回も抜くので鼻腔が傷ついて血だらけだった。
気道に痰が溜まったのかゼイゼイ鳴るので吸引すると、
鼻孔から血の塊が出てきた。
DIC。末期的な出血傾向が始まっていた。
鼻血で窒息する事態だけは避けなければならなかった。
深夜、私はその人に話しかけてみた。
「今日、お母さん来た?」
彼は頷いた。
昼間は目を開いていても何も反応しないのに、
夜になると彼は活動的だった。
「お母さんに返事してあげたの?」
彼は首を横に振った。
「どうして?」
首を傾げた。
「明日お母さんが来たら返事してあげなよ。」
彼は頷いた。
言葉が出ないのだろうか。
声が出ないのだろうか。
私は白衣の胸ポケットの名札を指差してみた。
「これ何て書いてある?読んでみて。」
彼はしばらく唇をむずむずと震わせた。
「い…の…う…え」
はっきり答えた。
私はもう一人の夜勤者と顔を見合わせた。
ちゃんと喋る事が出来る!
先輩が自分の顔を指差して言った。
「この顔、見た事ある?」
彼は答えた。
「変な顔。」
「明日お母さんが来たら、
お母さんって呼んであげるんだよ。ね。」
彼は頷いたが、
翌日も、そのまた翌日も、
何日経っても母親はがっかりして帰って行った。
ある日の午後、
私はベッドサイドで彼の手足を洗っていた。
そこに母親が面会に来て、傍らでしきりに言った。
「看護婦さん、ありがとう、ありがとうね。」
どうしてありがとうと言ったのだろう。
目の前で私が洗っていた息子の右手。
彼の浮腫んだ右手首には
紐の痕がくっきり残っていたのに。
あの小さな老母の目にそれが留まらない筈はないのに、
どうしてありがとうと言ったのだろう。
半身麻痺で身動きならない我が子を
こんな目に合わされてどうしてくれると
殴りかかってくれてもよかったのに。
数日後、紐は要らなくなった。
容態が悪化した彼は重患病棟に移され、
器械で強制的に呼吸を維持し、
心拍も乱れてきて除細動も何度か行なった。
彼が逝く前日、
準夜出勤の途中で私は母親と行き会った。
「お世話になったね。ありがとうね。」
その日、
必死で業務を時間内に終わらせて自宅で仮眠を取り、
夜が明けると朝一の電車で父の入院先に向かった。
現地に着くとすぐ、
いつも立ち寄る教会の聖堂に行った。
父の面会時間までしばらくボーっとした。
聖堂の壁には
14枚の古い木製レリーフ『十字架の道行き』が
掛けられている。
第13留。
イエスが十字架から降ろされる場面が
浮き彫りにされている。
十字架から降ろされたイエスの傍らの聖母と
とうとう独りぼっちになったあの小さな老母の姿が
重なった。
どうしてありがとうと言ったのだろう。
ありがとうと言われて、
言いそびれてしまった事が苦しい。
ありがとうと言われる前に言いたかった。
ごめんなさい。
許してください。