後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

伊吹山登山

2016年07月19日 | 名勝旧跡巡り

 15日日帰りバスツアーで伊吹山ハイキングへ行って来た。 ツアーの案内書などによると、伊吹山は高山植物の宝庫で琵琶湖の国定公園に
なっている。 
近畿では三山しかない深田百名山の一つで、頂上からは琵琶湖、はるかに濃尾平野が見渡せる。伊吹山は日本全国が海の底に
あった古世代(約2.5億年前)の海底が、古世代末期~中生代初期の大造山運動により、日本の大部分と共に海上に隆起した。その後、
衝上断層(押しかぶせ断層)が起こり、山頂付近は石灰岩で覆われたそうだ。

伊吹山には「ヤマトタケルノミコトにまつわる話」や、大男「伊吹弥三郎」の伝説がある。又、伊吹山麓は昼夜の温度差が大きく、そばの栽培に
適していてそば発祥の地で有名だという、日本そばの栽培は伊吹山で始まり、木曽、甲斐、信濃などに伝わり、やがて北海道にまで伝わったと
言われている。日本のほぼ中心に位置する伊吹山は、北方系の植物が南下して来たり、日本海側に近いことから、日本海側に分布の本拠をもつ
植物も生息している。好石灰植物や、独自の進化をとげた花々も生息し、薬草の宝庫としても知られているという。

又、麓から頂上付近標高1,260m(頂上1,377m)迄伊吹山ドライブウェイが開通している。 

8時40分長野駅東口「ユメリアバス発着場」を出発、参加者20数名程で全員が登山慣れしている方々と思われた。登山の経験の殆んどない
老人は私だけのように思われた。
旅行、特にハイキングや登山は天候が楽しみを左右する。恵那山トンネル付近から雨になったが、中津川付近では雨も止みほっとした。
高速道を関ケ原ICで降り、伊吹山ドライブウェイの入口で地元「伊吹山もりびとの会」のガイドが同乗した。ガイドの話によると山頂は濃霧で
視界20~30m小雨だという。

ガイドの説明を聞きながら標高1,260mのスカイテラス駐車場に11時40分着いた。天候のせいか駐車場は閑散としていた。
濃霧に包まれ霧雨の天候だ。琵琶湖も望める展望も全く不可、残念だが仕方がない。売店「スカイテラス伊吹山」の入口で雨具を着用した。
11時55分案内に伴われ西登山道コース(約1,000m)で頂上に向かった。登山道コースは他に中央登山道(500m)、東登山道1,500m
(下り専用)とあるが、今日は雨模様で石灰岩はすべり安いので帰りも西登山道を降りることになった。

     
   ←駐車場にあった芭蕉の句碑  [そのままよ 月もたのまし  元老2年秋 芭蕉] 
   句碑説明文; そのままよ 月もたのまし  伊吹山 芭蕉
  俳聖松尾芭蕉は元禄2年秋(1689年)俳諧紀行文「奥の細道」むすびの地・大垣に到着しました。奥の細
 道の旅は東京
深川・仙台松島・岩手平泉・岩手平泉・出羽三山・秋田象潟・金沢・鶴賀を巡り大垣に至る五ヶ
 月間、2千4百キロに
及ぶ旅でした。この長旅の疲れをいやした二週間余りの大垣滞在中、「そのままよ 
 月もたのまし 伊吹山」の句を
詠みました。「伊吹山は月の力など借りなくても、そのままで立派な山だよ」
 という意味です。伊吹山の美しさを
たたえた名句といえましょう。

              
   駐車場にあった桂由美の「さざれ石」のモニュメント                 下にある「さざれ石」の説明文

           
            クサフジ (草藤)                                    ミヤマコアザミ(深山小薊)

           
       ヤマホタルブクロ(山蛍袋)                                 イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)

西登山道では他にも沢山の花あったが、不勉強で花の名前も良く解らない。花畑も霧で視界も悪くお素人のカメラでは儘ならなかった。
   
              
      日本武尊像         
                  頂上の水源施設;階段状に小石を敷き詰め、底はコンクリートで雨水を流し貯めている。
  

 ◎伊吹山に纏わる逸話(伊吹山ドライブウェイHPより)
  *ヤマトタケルノミコトにまつわる話
    
ヤマトタケルノミコトは、古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されています。 今から2千年ほど前、日本武尊は
   伊吹山の
荒神を退治しに伊吹山に登りますが、途中で白い大きな猪と出会います。 日本武尊はこの猪を「伊吹の荒神の使いの者」と思い、
   「今殺さなくても、 帰りりに殺してやろう」と言われたが、この猪こそ伊吹の荒神自身だったのです。 荒神は日本武尊の言葉を聞いて
   大氷雨(雨と霧)を降らせ日本武尊は命からがら下山します。 伊吹山の麓に湧き出る清水のもとで休みようやく正気を取り戻します。
   この清水が 居醒いざめ の清水(=玉倉部(関ケ原町玉)の清水)と言われており、現在でも手の切れるような清水が湧き出ています。
   この清水を辿って鍾乳洞も発見されています。 伊吹山山頂にある日本武尊は、この伝説を記念して建てられたものです。

  *大男「息吹弥三郎」の伝説
  
 昔伊吹山に住んでいた(と言われている)、山のように大きな体を持つ怪力の大男。 伊吹山とその隣の七尾山を天秤で担いだところ、
   伊吹山の方が重く少し傾いたため、七尾山の方に自分の弁当を乗せ釣り合わせたという話や、伊吹弥三郎は暴れ者で、体も頑丈だった為、
   脇の下の急所に矢を射ることでりようやく討ち取ったという話などがあります。

   鬼の酒呑童子の父とも言われています。

   *大地に書かれた「五芒星(ごぼうせい)  
   
伊勢神宮・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)・伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)・元伊勢 外宮豊受大神社(もといせ
   げぐうとゆけだいじんじゃ)・伊吹山を線で結ぶと、地図上に奇麗な『五芒星』が浮かび上がる。
近畿の主要神社を結ぶと『五芒星』が
   浮かぶ この五芒星は、中心に奈良の「平城京」があり、平城京を守る結界と言われている日本のレイラインと言われています。
   さらに、伊吹山の東には「富士山」、西には「出雲大社」があり、この3点は一直線で繋がっています。 伊吹山は底知れぬパワーを
   感じさせてくれる「霊峰」なのです。

     

 

 

 



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