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参院選後に安倍首相が動かす? 「憲法審査会」とは何なのか
参院選の最大争点、憲法論議がちっとも深まらない。安倍晋三首相は「選挙の結果を受け、どの条文を変えていくか議論を進めていきたい。次の国会から憲法審査会を動かしていきたい」と国会に委ねる姿勢を見せ、中身の議論に踏み込まないためだ。参院選後の「憲法審査会」で、どこまで民意を反映した議論ができるのか。「動き出す」前に学び直してみた。【沢田石洋史、庄司哲也】
憲法改正手続きを定める国民投票法と、憲法審査会の設置を盛り込んだ改正国会法が成立したのは2007年5月、第1次安倍政権の時である。00?05年に設置された憲法調査会、05?07年の憲法調査特別委員会を経て衆参に設けられた常設の機関だ。憲法審査会の委員数は衆院50人、参院45人。会派の所属議員数の比率に応じて割り当てられる。改正国会法によると目的は、憲法改正原案や国民投票に関する法律案などを審査することとしている。
当時、与党は衆参ともに過半数を占めており、安倍首相は07年1月の年頭記者会見で「私の内閣として憲法改正を目指したい。参院選でも訴えていきたい」と在任中の改憲に意欲を見せた。しかし、同年7月の参院選で与党は惨敗。参院は野党が多数を占める「ねじれ国会」となり、安倍首相は退陣に追い込まれた。その後、憲法審査会はどのような道を歩んできたのか。
「その参院選直後の8月に改正国会法が施行され、4年2カ月に及ぶ『空白期』に入りました」と解説するのは、国民投票法や国会法に詳しい南部義典・元慶応大講師(憲法)。法的には設置されたものの、委員数や議事運営のルールなどが決まらず、実体が伴っていなかった。「野党は政権交代へ向け対決モードに入り、憲法論議は無期限延期という扱いになったのです」
南部さんによると、政権交代を果たした民主(当時)が参院で過半数割れした後の11年秋、衆院の憲法審査会はようやく初動の「第1期」に入り、参考人質疑や自由討議が始まった。12年末に自公が政権を奪取して以降の「第2期」は委員を海外派遣して各国の事情を学んだり、地方公聴会を開催したりするなど活発化した。
ところが、昨年6月4日を境に潮目が変わる。この日の衆院憲法審査会で、与党が推薦して招いた長谷部恭男・早稲田大大学院教授ら3人の憲法学者全員が、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案は「憲法9条違反」と明言し、安保関連法反対運動に弾みが付いた。政府・与党は収拾に追われ、同月15日に高知で地方公聴会が開かれた後、実質的な審議はストップ。審査会の与党筆頭幹事だった自民党の船田元・憲法改正推進本部長は更迭され、現在は混迷の「第3期」が続いている状況だ。
衆院憲法審査会事務局によると、11年10月の第1回審査会からこれまでの総開会時間は80時間16分。前々身の憲法調査会は約5年半で451時間55分に及んでおり、審議時間で見劣りするのは否めない。
衆院とは別に、参院にも憲法審査会が設置されているが、自民の丸山和也議員が今年2月、オバマ米大統領について「米国は黒人が大統領だ。黒人の血を引く。これは奴隷ですよ」と述べ、人種差別と受け取られかねないとして問題化。この発言はその後、撤回された。
南部さんは「国会がねじれたり、与野党の政治的な思惑で動いたり、止まったりしてきたのが審査会の歴史です。今回の参院選から18歳以上が投票できますが、憲法改正の国民投票ができるのは20歳以上のまま。憲法審査会での審議が止まったままなので、矛盾が生じました。恥ずかしい限りです」と総括する。
参院選で改憲勢力が3分の2以上を占めるとどうなるか。既に与党は衆院で3分の2以上の勢力となっており、衆参ともに、憲法96条が定める改正発議に必要な議員数を満たす。上智大の高見勝利名誉教授(憲法)は「改憲4党と民進・共産などが対立する中で、衆参の憲法審査会を舞台に改正に向けた動きが本格化します」と予測する。
自民幹部の発言をみると、改憲項目として挙げているのは、大震災など緊急事態下の国会議員の任期延長や、参院での47都道府県代表の確保??などだ。国会で熱い論戦が繰り広げられてきた、戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条の改正は当面の焦点になっていない。その理由について高見さんは「憲法審査会では憲法改正原案をまとめます。9条はハードルが高いので、各会派が議論に入りやすいテーマを選ぼうとする。安倍首相は現行憲法が時代にそぐわないと言っていますが、どうそぐわないのか納得できる説明がない。改正そのものが目的となっています」と説明する。
両院合同でスピード審議も
憲法審査会の議論はどう進んでいくのか。高見さんによると、この制度には発足当初から時限爆弾のような仕組みが埋め込まれている。国会法102条の8に定める「合同審査会」だ。運用の仕方によっては、憲法が定める「2院制の壁」を取り払った議論が進む可能性があるという。国会法によると、両院の審査会の協議で開催することが可能で、そこでは「憲法改正原案に関し、各議院の憲法審査会に勧告することができる」と書かれている。
通常、ある院で可決された法案が他院に送付され、時間をかけて慎重に議論することで、ときとして修正されたり、否決されたりする。これが本来の2院制に期待される役割だ。しかし、合同審査会が衆参の調整の場になると2院制の機能が奪われる。ここで調整が済むと、合同審査会は衆参の審査会に合意事項を「勧告」できる。「その後、衆参の憲法審査会で議論することがどれだけ残っているでしょうか。実質的に1院制と同じになり、憲法の2院制の趣旨に反します。衆参とも改憲勢力が3分の2の壁を突破すると、世論の反応次第では数の力に任せて一気に改正手続きが進むこともありえます」。高見さんは国会法改正前の06年11月、衆院憲法調査特別委の小委員会に参考人として出席し、合同審査会について「大いに問題のあり得る制度ではないか」と指摘した。
今後の憲法論議について、国会任せでは駄目だと訴えるのは、改憲派の社会学者、宮台真司・首都大学東京教授だ。衆参両院の憲法審査会の審議内容を見て、立憲主義とは何かを理解していない国会議員が見受けられるからだという。
宮台さんは、天皇や閣僚、国会議員などに「憲法を尊重し、擁護する義務」が課せられている憲法99条の持つ意義を自覚していない国会議員が少なからずいると指摘し、憲法が定める統治権力と国民の関係についてこう解説する。
「憲法は、国民が統治権力をどのように制約するかの契約であり、国民生活に権力が勝手に介入できなくするための人権規定が含まれています。例えば、現憲法には、教育、労働、納税の義務があります。これは一見すると権力が国民に命じているように見えますが、国民が権力に対し『ズルすることが許されない法律を作れ』と命令しているのです」
宮台さんの持論は、憲法9条を改正して「重武装での中立」を目指すこと。米国の戦争に巻き込まれないようにするためだ。「重武装を制御できるだけの国民の民度の向上や民主主義の深化が前提です。つまり『憲法とは何か』ということを理解していなければならない」。宮台さんには、多くの改憲派は対米従属の札を首にぶら下げており、護憲派も平和主義を掲げながら米国の軍事力に頼り、その矛盾を戦後一貫して沖縄に背負わせていると映る。
「国民自ら憲法を考え、議論を深めなければいけないのですが、現状はどうでしょうか。特に若い世代では政治の話をするとKY(空気が読めない)と見られがちです。さらに日本人は所属する集団から離れて意見表明がしにくい。言い換えれば保身ですね。日本社会が立憲的であるためには、まず政治的な議論が自由にできることが必要です」
このまま参院選後、改憲勢力が多数を占める国会で憲法審査会が動き出すと、宮台さんの言葉を借りれば「国民がぼんやりしている間に、異常な方向になだれこんでいく」恐れがある。
前出の高見さんも国会任せの流れには警鐘を鳴らす。「今回の参院選は、ムードに流されてはいけません。憲法改正に賛成か反対か、政治家に任せず、孫やその次の世代を視野に入れて自分で考えた上で判断してほしい。憲法の行く末を最終的に判断するのは国民なのです」
憲法審査会が動く前に、参院選で国民は態度表明できる。残された短い時間で、真剣に考えたい。
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